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第54回_転職先は天職か__耽楽的即興感想 マックス_ヴェーバー「職業としての政治」(1919)__2025.02.22
片倉洸一の耽楽的音声記録
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転職してから1週間経過。近況と再開した通勤中の読書週間で読んだ本について喚く。
1:転職後1週間
・ボンクラ氏からの反応はなし
・メールに加えて奴の幼馴染の写真家君からの転送―転送を頼んだ彼から意外な反応
・アーティスト的共同体の脆さ?―ここ2,3年の経過とボンクラのさらなる孤立を想像
・ボンクラへの文面―線引きと勝手さを前面にした文面
・転職先の業務―基本は前々職と同じだが規模、徹底ぶり、ハイテク化の面で全く違う。
・人間関係も良好―長時間同行も全く苦にならず、いい意味で距離が近い人々
・転職しての喜び―翻って前職のクソ敵に対する呪詛を吐く
・唯一の懸念は休日―土日休みに慣れ切ったところからするときついが、一日あたりの負荷から考えるとそこまで苦でもなさそう。
2:耽楽的即興感想 M・ヴェーバー「職業としての政治」(1919)
・相変らず「魔の山」は後回し
・今週で他には「ほらふき男爵の冒険」も読了
・あちこちで名前だけは聞いていたヴェーバーの「プロテスタントと資本主義」についておぼろげな概観、多分得意分野は社会学?程度の認識
・19世紀~20世紀の社会学の流れをなんとなく把握―マルクス~ヴェヴレン~ヴェーバー
・「職業としての政治」―第一次世界大戦後の1919年に行われた大学の講演内容の記録。翌年にヴェーバーは死去。
・近代国家とは決められた領域内での暴力の行使を正当化した人間の集団。
・支配に必要なものは極めて現実的―人的な行政スタッフ(政治支配を有形化する人の助け)、物的な行政手段(スタッフを動かすのに必要なモノ)
・従来の支配体制は各地の有力貴族などの助けを借りたものだったのが、絶対君主制、中央集権国家になるにつれて人的、物的手段は中央に一極化。
・官僚制の成り立ち―より支配体制が複雑化するにつれて専門教育を受けた人材(官僚)が必要になり増加
・政治家への「天職」の有無が重要―政治的な責任感、情熱のない人間が指導者になる官僚国家に対するヴェーバーの危惧
・「民主的」な選挙の発達とともに「巨大な装置(マシーン)」の誕生―各地に組織を作り、集票をして当選を左右するマシーンを支配した党上層部に権力が一極集中。
・アメリカではよりマシーンの影響力がでかい。―当選した大統領が数十万の官職の任命権を持ち、選挙の度に人が入れ替わる猟官制が横行(今でも覚えがあるが)。官職、当選を求めて金権政治が横行。→その後素人政治には限界がきて官僚制へ移行。
・現代においても似た構造があるのを実感―某党の支部長との話からも、いかに彼ら個人が党上層部をバカにしていても選挙運営は上層部に従わざるを得ない。
・選択肢は二つ―マシーンを掌握した金権、独裁的な強力なリーダーか、政治が天職ではない責任のない連中が支配する官僚政治か
・政治家に必要な資質は結構精神論的―事柄に即する情熱、自分の行動に責任を持つ責任感、事物と人間に対して距離を持った判断力
・政治方針、思想はヴェーバーにはあまり重視されない―「政治家がそのために権力を求め、権力を行使するところの「事柄」」がどういうものであるべきかは信仰の問題である」
・理想と現実の二極は決して一致しない―宗教の示す規範、目的のような「心情倫理」、現実的な状況での判断に責任を持つ「責任倫理」の間で政治家は苦悩せざるを得ない
※政治的権力を行使する以上、どれほどその目的が「善き(心情倫理)」ものであってもその実現のために暴力を用いることは避けられず、その行動には責任倫理が付きまとう。だからイエスを始めとした宗教的聖人は政治体制を持たずに非暴力を貫く事で心情倫理を体現した。
・ヴェーバーの理想的な政治家―現実を直視し、それに耐えて打ち勝つ能力を持ち、心情倫理と責任倫理を両立した者こそ「政治への天職」を持つ、という結構な精神論で終わる。
・この講演の数十年後に例のチョビ髭が出現するという歴史―ヒトラーはヴェーバーの説く政治家の資質を持ち合わせていた??
「どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間」にヒトラーは符合してしまうのでは。
ヴェーバーの社会分析は面白いが人間に対する結論は結構平凡なのでは。見方によっては「天職」でさえあればどんな極端な真似をしても正当化してしまう独裁者の誕生を許容してしまうのでは。
1:転職後1週間
・ボンクラ氏からの反応はなし
・メールに加えて奴の幼馴染の写真家君からの転送―転送を頼んだ彼から意外な反応
・アーティスト的共同体の脆さ?―ここ2,3年の経過とボンクラのさらなる孤立を想像
・ボンクラへの文面―線引きと勝手さを前面にした文面
・転職先の業務―基本は前々職と同じだが規模、徹底ぶり、ハイテク化の面で全く違う。
・人間関係も良好―長時間同行も全く苦にならず、いい意味で距離が近い人々
・転職しての喜び―翻って前職のクソ敵に対する呪詛を吐く
・唯一の懸念は休日―土日休みに慣れ切ったところからするときついが、一日あたりの負荷から考えるとそこまで苦でもなさそう。
2:耽楽的即興感想 M・ヴェーバー「職業としての政治」(1919)
・相変らず「魔の山」は後回し
・今週で他には「ほらふき男爵の冒険」も読了
・あちこちで名前だけは聞いていたヴェーバーの「プロテスタントと資本主義」についておぼろげな概観、多分得意分野は社会学?程度の認識
・19世紀~20世紀の社会学の流れをなんとなく把握―マルクス~ヴェヴレン~ヴェーバー
・「職業としての政治」―第一次世界大戦後の1919年に行われた大学の講演内容の記録。翌年にヴェーバーは死去。
・近代国家とは決められた領域内での暴力の行使を正当化した人間の集団。
・支配に必要なものは極めて現実的―人的な行政スタッフ(政治支配を有形化する人の助け)、物的な行政手段(スタッフを動かすのに必要なモノ)
・従来の支配体制は各地の有力貴族などの助けを借りたものだったのが、絶対君主制、中央集権国家になるにつれて人的、物的手段は中央に一極化。
・官僚制の成り立ち―より支配体制が複雑化するにつれて専門教育を受けた人材(官僚)が必要になり増加
・政治家への「天職」の有無が重要―政治的な責任感、情熱のない人間が指導者になる官僚国家に対するヴェーバーの危惧
・「民主的」な選挙の発達とともに「巨大な装置(マシーン)」の誕生―各地に組織を作り、集票をして当選を左右するマシーンを支配した党上層部に権力が一極集中。
・アメリカではよりマシーンの影響力がでかい。―当選した大統領が数十万の官職の任命権を持ち、選挙の度に人が入れ替わる猟官制が横行(今でも覚えがあるが)。官職、当選を求めて金権政治が横行。→その後素人政治には限界がきて官僚制へ移行。
・現代においても似た構造があるのを実感―某党の支部長との話からも、いかに彼ら個人が党上層部をバカにしていても選挙運営は上層部に従わざるを得ない。
・選択肢は二つ―マシーンを掌握した金権、独裁的な強力なリーダーか、政治が天職ではない責任のない連中が支配する官僚政治か
・政治家に必要な資質は結構精神論的―事柄に即する情熱、自分の行動に責任を持つ責任感、事物と人間に対して距離を持った判断力
・政治方針、思想はヴェーバーにはあまり重視されない―「政治家がそのために権力を求め、権力を行使するところの「事柄」」がどういうものであるべきかは信仰の問題である」
・理想と現実の二極は決して一致しない―宗教の示す規範、目的のような「心情倫理」、現実的な状況での判断に責任を持つ「責任倫理」の間で政治家は苦悩せざるを得ない
※政治的権力を行使する以上、どれほどその目的が「善き(心情倫理)」ものであってもその実現のために暴力を用いることは避けられず、その行動には責任倫理が付きまとう。だからイエスを始めとした宗教的聖人は政治体制を持たずに非暴力を貫く事で心情倫理を体現した。
・ヴェーバーの理想的な政治家―現実を直視し、それに耐えて打ち勝つ能力を持ち、心情倫理と責任倫理を両立した者こそ「政治への天職」を持つ、という結構な精神論で終わる。
・この講演の数十年後に例のチョビ髭が出現するという歴史―ヒトラーはヴェーバーの説く政治家の資質を持ち合わせていた??
「どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間」にヒトラーは符合してしまうのでは。
ヴェーバーの社会分析は面白いが人間に対する結論は結構平凡なのでは。見方によっては「天職」でさえあればどんな極端な真似をしても正当化してしまう独裁者の誕生を許容してしまうのでは。