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赤い財布失くしました、知りませんか?

12年前上海浦東金橋で生活して、新高橋保税特別区の工場に通っていた。週末のうち、土曜日は、子育てのため一緒に上海に転居した両親は朝から浦西の旧市街を歩きに行くことが多かった。わたしは一歳の誕生日を過ぎて、歩き出したこどもをベビーカーにのせて、近所の商店街にパンを買いにいったり、市場を見たり、散歩をしたり、歩きだしてからはだっこしてバスに乗ってあてもなく一日過ごすことが多かった。

時々、浦西の日本人が多く住むあたりの児童文庫に、一家総出で出かけることもあった。平日でも休日でも、橋をわたるにも渋滞、高速道路も渋滞、旧市街の道も渋滞。でも、運転手の胡さん(ふう)は巧みに安全に、いつも鋭い眼光で、どこでも連れていってくださった。こどもがある日、渋滞した車の中で、「ふう、ふう、ふうー」と発語した。運転中の胡さんから笑みがこぼれた。

日本で出産し、晩婚(21歳以上?)晩産(26歳以上?)の特別休暇(それぞれ2週間、有給)を加えた法定の産前産後・育児休暇を経て、5か月のお誕生日が過ぎたころに仕事に復帰した。昼休みは自宅に戻り、授乳して、また工場に帰り、5時には一斉帰宅の工場バスと一緒に帰途についた。一歳を過ぎたころからは、工場の搾乳室で他のお母さん社員と搾乳しながらおしゃべりして、冷蔵庫に保管して忘れずに持ち帰った。

しばらくぶりに大連の新工場建設関連で一泊出張したとき、こどもはわたしの帰宅する時間からずっと玄関で、帰宅しない母を待っていたのだそうだ。大連出張はそれからも何度かあったが、突発性発疹で急に熱を出したときは、日本語しかわからない両親を、居住区の建物管理室の職員の中で英語と日本語と中国語を話す人たちが、てんやわんやで受け入れ先を探して、胡さんに伝えて、浦西の小児病院に連れていってくれた。咳には梨を食べさせるといい、と日本語が堪能な女医先生が言ったそうだ。こどもは梨が大好きになった。大きな病院の国際部に、外国人専用の受付があることを知った。

そういえば、わたしも国際病院の英語を話す女医先生と、産前の定期健診をしていた。Dr.  Yvette Kong.  いつも励まされた。ゆっくり時間をとってもらって、お話したり、様子を伝えたり、エコーを見たりした。

上海での新しい任務はやりがいがあって、忙しく、職場には仲間が大勢いて、毎日新しい経験に満ち溢れていた。

近所の商店街の話に戻そう。わたしがこどものころにも商店街にあった、10円入れると動く乗り物。1元いれるとうごく犬や自動車の乗り物があった。なにをするでもなくそんな乗り物に乗っていると、道行く人たちがカワイイ、カワイイとこどもとわたしに声をかけてくれる。立派な男児だね、とか、何歳?とか聞かれていることはわかるのだが、普通語学習をさぼりにさぼりまくっていたわたしは、なんだかにやにやするだけだった。そう、職場で普通語を使わなくても仕事が成り立ったので、動機付けが甘かったのだ。そもそもなぜか部署には上海出身者が多かったので、上海語が飛び交っていたから、というのもあるのかもしれない。でも、本当にわたしの努力不足だ。

この商店街には、ドイツ人がやっているパンやさんがあって、そこの柔らかいレーズンパンがお気に入りだった。パンを買ったり、乗り物にのったり、ふと気づくと財布がない。小さな布製の小銭いれで、赤くて中国刺繍がしてあってビーズ刺繍もしてあって、ファスナーで閉まる。上海のチームの子がプレゼントしてくれた。家の鍵も、銀行のキャッシュカードも入っている。落としたのに気づかなかった。

困った。

言葉が通じない。お財布なくしたんだけど、届いていませんか?って店を全部訪ねて回るしかない。仕方なく紙にありったけの知ってる普通語を簡体字も取り混ぜて書いた。その紙をもって、店をひとつづつまわる。

ないよ。

しらないよ。

まあ、そうだよね、そんなに簡単に落とし物がでてくるとも思えない。

交番みたいな仕組みがあるのかも知らない。

赤は紅色だったと思う。「我的紅色的銭包失落下也許?你知的?」わたしの赤い財布、落としたかもしれない、あなた知りませんか?って、こんな風に書いたかもしれない。もう覚えてない。でもこんなメモ書いて一軒一軒たずねてまわったんだよね。めちゃくちゃな普通語だよね、ほとんど日本語の漢字の羅列。

もうダメかもしれない、と思ったときに、おじさんに手をつかまれた。こっち、こっち、と隣接した居住区のほうに導かれる。こっち、こっち。こどもをみて可愛いね、大きな男児、立派。って言われながら。それ以外にもいろいろ話すんだけど、わからない。

居住区の管理人さんのいるゲートの脇の建物に入っていった。何かそこにいる警備員さんのような、事務員さんのような人に、あれこれ言ってる。おばさんが中から、包みをもって出てきた。なんだか大声で言ってるけど、わからない。

わたしの財布だった。

あけてみろ、あけてみろ、といって、渡された。

小銭も、折りたたんだ一枚の赤い100元札も、家の鍵も、キャッシュカードも入っていた。

「我的紅色銭包、謝謝你」

わたしが言うと、発音を直して、そこにいた人たちが声を揃えて言った。

「我的紅色銭包」

ああ難しい発音。こどもはつかれておんぶで寝ている。

見つかってよかった、見つかってよかった、と笑顔で送り出された。

奇跡みたいな出来事だった。

わたしは上海で生活する経験ができて、本当に良かった。社会で何が起こっても、国同士がどんなことになっても、こういう生活があったことが、わたしの人生を作り上げて、わたしの思考を作ってくれている。





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