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なんだか演説っぽくなってしまいました。

 いろんなことがあるなぁと思います。
 そして人の言う事は大体いい加減なものだということもよくわかりました。

 そういう中で自分がどんなふうに生きていくのか、新たに考えなくてはいけないことが増えてしまいました。

 見栄や欲を満たすために何かをするのは間違っていると思うけれど、SNSと言う場所はそうなってしまいやすいのかもしれません。

 人の心の怖い部分に怯えています。

 だから派手なことなんて何もありませんでしたが、子供の母親として生活していたときの自分は本当に幸せだったと今振り返って考えることばかりです。

 その時だって大変なことや苦しいことはたくさんありました。
 それでもやっぱりただまっすぐに母として生きて居られたことはしあわせだったと思います。

 でもその時期が終わった時、その状況にしがみつきたいとは思いませんでした。

 そういうやり方で自分も子供も苦しめてしまった人を何人も見ていたからです。

 だからといって野放図に奔放な生活をするつもりもありません。

 そんなことをしても自分がしあわせになれるとは思えないからです。

 いろいろな形ややり方、いろいろなものがたくさん世の中にはあるけれど、本当に大切なのは自分自身を本当の意味で愛すると言うことです。

 それができていなくて迷っている人もいるのだということを目の当たりにして、やはり自分が母親として、それだけでなく母の娘として頑張っていた時期は私にとって大切なものだと思っています。

 何もかも壊れてしまいましたが、そういう中でも私は自分を出来る限り大切にしたいと思っています。

 でもそのやり方がどんなものなのか、まだ具体的にはわかっていません。

 欲望に押し流されてしまう人いけないとは思っていません。
 でも自分はそうしたいとは思いません。

 恋愛に奔放になる人を批判したいとは思いません。
 でも自分がそうなりたいとは思いません。

 自分自身を傷つけるだけの結果にしかならないと思うからです。

 自分も相手もおもちゃにするようなやり方が間違っていると思っています。

 私が本当にしたいのはきちんと文章を書いて形にするということです。

 たくさんの人たちに嘲笑され、できるわけがないと言われました。

 実際今の私の実力では難しいと思います。

 それでも不可能ではないと考えています。

 現実は厳しくて、ほぼ人は意地悪です。

 そういう中で弱い私ががんばり続けていけるのか?
 正直自信はありません。

 世の中は私のためにあるのではないし、周りの人も同じです。

 それでも私だって世の中や他の人のために生きているわけではなくて、自分自身が自分として生きていくために存在しています。

 だから諦めなくてもいいような気がしています。

 それと、人によって現実の受け止め方も生き方も違います。

 私は結婚した時、子供を持つことも家を持つことも全て諦めていました。

 現実的なことを考えた時に絶対無理だと思ったからです。

 けれども実際は両方とも持てました。
 家は東日本大震災の時に失ってしまいましたが、子供は何とか成人するまで育て上げ大学生になっています。

 振り返ってみるとどうしてそれができたのかわからないことばかりです。

 お姑さんは私が実家からお金をもらっていたと決めつけていましたが、現実は全くもらっていませんでした。

 本当に少なかった収入の中でそれが実現できたことに私自身も驚いています。

 贅沢なんてできなかったし、ギリギリの生活でした。
 子供は奨学金を多少借りなくてはいけませんでしたが、進学はできました。
 もしも主人が自分の収入を全部家計に入れてくれていたら、借りなくても済んでいたと思います。

 そうやって考えると私はかなり努力したと少しだけ自分を褒めても良いのではないかと考えています。

 私の結婚生活はお金の大切さをあらためて実感する、勉強する、私にとってそういう日々でした。

 そして自分の両親に対して感謝ができるようになりました。

 多分子供もこれからそういう道を歩いていくのかもしれないと感じています。

 簡単にお金が手に入る、こうすればうまくいく、そういう情報が世の中には溢れています。
 けれども実際はそういうわけではありません。

 そうしてお金はあくまでも手段であって、本当に大切なのはそれを使う人間です。

 そこを間違えてしまったら、全てが狂ってしまうと思います。

 自分に必要でもないのに贅沢なものを持とうとするのは間違っています。

 だけど贅沢だからと言ってそれを排除してしまうのも間違っていると思います。

 本当に豊かな人はガツガツとモノやお金を求めません。

 自分に必要なものだけをきちんと選んで大切に使っています。

 自分の満たされない欲望を何かにぶつけてみたりとか、そのことで人を批判したりしているような人たちは気の毒だと思っています。

 モノやお金を追いかけて必死になるのは少しだけ、間違っているような気がするからです。

 その時に真面目にいろんなことを努力したり、汗を流した働いたり、そうするのならいいけれど、人を騙してお金や物を取り上げて馬鹿にするような人たちは間違っていると思います。


 そうして持っているもので人を区別したり差別したりするような人たちも間違っていると思います。

 大切なのは人間で物やお金ではありません。
 その奴隷になるような生き方は全部間違っていると思うのです。

 だからといって高級なものがいけないとかそういう風には思いません。

 それが必要だったり、それを楽しむ余裕がある人たちがいることは経済がきちんと回っていくために大切なことだと思っています。

 それと同時にもっとみんながまっすぐに努力して、素晴らしいものを持てる自分になりたいと頑張るような社会ができたら素敵だと思います。

 その人自身が向上しない限りただあぶく銭のようなものを持ったとしても、ただ物だけ手に入れても、あまり意味がないような気がするからです。


 本当に大切なものってもっと別のところにあるような気がするのです。

 そういうものや人のことを書けるようになりたいです。

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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。