「夏ピリカグランプリ」        逆さまの世界

 気づいたらここにいた。
 透明な分厚いガラスの内側に。

 その分厚いガラスの向こう側に本当の世界がある。そのことに気がついたのは一体いつのことだったろう?そのことに気がつく前の私がどんな気持ちでいたのか?今ではもうわからない。


 透明な松井ガラスの向こう側の世界は、今私がいる世界が鏡に映り込んだように反転している。

 『逆さまの世界』。私は分厚いガラスの向こう側の世界をそう呼んでいる。

 その『逆さまの世界』には、誰もいない。とりあえず私は誰も見たことがない。そうしてこちら側には私がいる。

 私がいて家族がいてそのまわりの人たちがいて、何気ない平凡な普通の暮らしを続けている。

 特別なことなんて何もないけれど、そのままでしあわせで揺るぎないくらし。

 朝が来て昼が来て、いつしか夜になって、また朝が来て。そのことがただ繰り返されているだけの平凡な暮らし。

 それだけで十分にしあわせだったのに、私は分厚いガラスの存在とその向こう側にある『逆さまの世界』に気がついてしまった。

 そうして向こう側の世界のことを知りたいと思うようになってしまった。


 分厚いガラスの向こう側の世界。
 誰もいないその世界がどうしてこんなに気になってしまうのか自分でもわからない。

 今いる世界にたいして大きな不満がある訳でもない。

 なのに、気になって仕方がないのだ。
 一体なぜ?
 わからない。

 けれども気になる。
 気になって仕方ない。

 不思議だった。

 その日の仕事をひとしきり終えて夜になり、入浴も終えてゆっくりとからだを休めていた時にまた、あの分厚いガラスのことを思い出して考えていた。

 人のいない『逆さまの世界』。

 考え込んでいるうちに眠り込んでしまった。そして気づいたら朝になっていた。

 爽やかな朝だった。
 薄い水色の空に桃色に染まった雲が薄く淡く広がって層をつくっている。

 この時間、外を見ることなんて今までなかったような気がした。

 窓を開けて朝の空気を吸い込んでみる。少し冷えた朝の空気は新鮮で美味しかった。

 からだの内側がきれいになってゆっくりと目が覚めてゆく。

 意識がはっきりしていくうちに『自分』の存在を強く感じた。

 私、わたし、ワタシ。

 漢字、ひらがな、カタカナの『自分』。

 どれがほんとで、どれが嘘?


 多分、どれもがほんとの『自分』。

 その時、分厚いガラスの向こう側のことがイメージできたような気がした。


 あの空間に今意識している『自分』以外の『自分』がいる。

 今ここにいる、意識できてる『自分』以外の私、わたし、ワタシ。

 その私たちがそこにいるんだ。

 私はわたしを抱きしめて、ワタシをそっと胸の中に思い描いてみた。

 どれも『自分』。
 愛しい『自分』。


 窓の外の朝焼けは静かにそのまま赤らんでいた。

 もう一度、空気を大きく吸い込んでから窓を閉めた。

 お天気のいい一日がまた始まろうとしていた。


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 『夏ピリカグランプリ』に応募します。

 どうかよろしくお願いします。

 





















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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。