こんなことを考えています。
今までの自分を振り返ってみると、苦しいことが全くなかった時期はありませんでした。
多分これからも同じなのだろうと思います。
だから考えれば考えるほど何が一番正しいのかわからないような気持ちになってしまいま
だけど、だからこそ、私はずっと、その時に一番正しいと思うことをしてきたような気がしています。
だから今も、これからも、それを続けていくしかないような気がしています。
いつだって痛みはあったし、何もかも満たされていることはありませんでした。
これからもずっとそうなのだろうと思います。
私は大体幸せで、大体、大体いつでも明るい方に向かっていきたい、そう考える人間です。
それに対して母でさえ理解を示してくれませんでした。
私の母は自分の考えた型のようなものに私を当てはめて自分の思い通りにさせようとする人でした。
だけど私はそんなふうにはしたくなかった。
多分母は、私以外の人間にも同じことを求めるような人だったと思います。
それは母自身が何かの型にはまることで自分を守っているような人だったからです。
その中から自分を自由にすることを自分に許していなかったから、周りの人間にも自分と同じようにすることを求めることしかできなかった。
そのやり方を譲る事は絶対にしない人でした。
それは母を守りもしたし追い詰めもしていたと思います。
私はそういう母を責めることよりも、新しい人生に自分が向かっていくことで、自分を解放してあげて、母を許してあげようと思っています。
そして自分自身のことも許してあげたい。
それ以外の人に対してもそう考えています。
無意味に戦ったり責めあったりしても、いいことなんて何もありません。
それよりも大切なのは前を向いて、明るい方向に進んでいくことだけです。
大切なことは新しいいいものを作り続けていくことで、本当のしあわせを見つけたり作ったりしていくことです。
その時に初めて、たくさんの人たちがしてきた苦労か報われるような気がしています。
痛みを伴わない方がいいに決まっているけれど、なかなかそうもいかなくて苦しんでいるのは私だけではないはずです。
ちょっと前にフルーツパーラーに行った時、たくさんの人たちがとても楽しそうに時間を過ごしていて、こんなに明るい世界があるんだと感じてすごく嬉しかったです。
その中に自分もいる。
本当はとても苦しくて、逃げ出したいようなことばかりで、でも、だからといって私がどれだけ苦しんでも現実は何も良い方向には進んでいきません。
苦しくてどうしようもない時ほど、少しでも明るいものを自分に与えてあげて、気楽な気持ちにあった方がいい結果がてるような気がするのです。
それを責め立てて叱るような考え方が全て間違っているとは思いません。
けれども、そうやって責めている人たちも、実際に自分がその立場になったときどうなるかなんてわかっていないはずです。
私は母のようになってはいけないと思っています。
母が反面教師として私に見せてくれたことをまた同じようにするのは間違ったことだと思うからです。
そうして、もっと柔軟に考えたり行動したりすることで、本当の自分らしく生きていくようになることが間違っているとは思えません。
人間は一人一人みんな違っています。
だからみんな違う考え方をして違う生き方をするのは普通のことだと思います。
誰だって、自分の考え方や生き方と違う人間を簡単に理解することも受け入れることもできないはずです。
私自身もどうしても受け入れることができないような考え方はあります。
でもその人たちを変えようとすることよりも、自分がどんなふうに考えて生きていくのか、そのことに焦点を当てていきたいと思うのです。
私はずっと不思議だと思っていたことがあります。
どうしてみんな人から奪ったり、取り上げたりすることばかりを考えるのか?
自分が今持っているもので十分なはずなのに。
だから、そういうことを考えている人たちからは離れていきたい。
そう思うのです。
物事を柔軟に柔らかく受け止めて考えたり行動したりすることが、自分自身も周りの人も救うためのただ1つのやり方のような気がしています。
まわりの人間が自分と違うと言って怒っている人はきっと、相手を自分の型に当てはめなくてはいけないと思っている人なのだろうと思います。
いろいろな困ったことは、大体がそういう考え方から始まっているような気がします。
自分のために誰かが犠牲にならないといけない、そう考えている人たちがいろいろなことをゆがめてしまう、そう感じることがたくさんあります。
それは間違った考え方だと私は思います。
新しいものを作っていくしかありません。
終わってしまったことをいつまでもぐずぐずと考えていてもしょうがないんです。
それよりも、新しい何かを見つけて作っていく方が生産的だと思います。
とても難しいことだと思うけど。
できたらいいなぁ、そう思います。