好きすぎて書いちゃいました。
なんの気なしに選んで読み始めた江國香織さんの『やわらかなレタス』という本に夢中です。
読めば読むほどとても素敵で、やめられなくなってしまいます。
この本に書かているのは江國さんの日常です。
それをとても素直に書いておられます。
きのう読んでおもしろいと思ったのは、『最近の至高』という一篇で、スーパーマーケットから帰って袋の中のものを出してみたら、自分では買った覚えのないカップ麺が出てきたという所から始まります。
ご主人がレジカゴに入れたので購入してそこにあることが分かったんですが、そのカップ麺を江國さんが見つめていたからレジカゴに入れたのだとご主人日言うのです。
江國さん本人にはなにも自覚がないというのに。
でも、よくよく振り返ってみると江國さんはカップ麺のパッケージに描かれていた『至高』という言葉が気になって、見つめてしまっていたことに後になって気づかれます。
*
それ以外のものも、違和感のある表記が書かれているものを江國さんは見つめて動けなくなっていたことにそのあとで気が付くということを書いておらえました。
江國さんは言葉にとても敏感な人なんです。
カップ麺のパッケージに『至高』という文字が書かれていることに違和感を抱かれる感性は言葉に敏感な方でないとなかなかない経験だと思いました。
そしてそのカップ麺はとても美味しかったとのことです。
そういう感じで、何篇もの素敵なエッセイがこの本には載せられています。
どれもとても素敵です。
そして、時々登場されるご主人がとても優しくて素敵です。
なんていうか江國さんのことを大きな心で守っているというような感じです。
江國さんが夕飯に、ご飯と炒り玉子と海苔を何段も重ねたのり弁を作った時も、怒ったりしないで「ワールドカップの時期だからなのか」って言っただけで受け入れてくれます。
江國さんは、のり弁とワールドカップの関係についてよくわからないと思います。 私も分かりませんでした。 試合を見ながら食べるのに便利というようなことだったのでしょうか。
美味しいものが沢山出てきます。
そして日常生活と時々旅と、子どもの頃に読んだ本の中の何かと。
この本を読んで、子どもの頃にムーミンを読まなかったことをかなり後悔しました。
もしも今読んだとしても、本当の子どもの頃に読んだのとは全然受け止め方が違っているのだからどうにもならない気がするのです。
本を読むのにもきっとタイミングというものがあって、その時期を逃したら違ってしまうということも確実にあるような気がします。
どんなものにも時期があるということ、それはどうしようもなく仕方のないことなのかもしれません。
そしてそれは意外とその際中にはわからずに、終わってしまってからの方が自覚しやすいものなのかもしれなくて、悲しい気持ちになることも実は沢山あるのかもしれません。
手遅れになってしまった物の価値が後からわかって後悔するのはどんな人にとっても悲しい経験です。
取り返しのつくことならばやり直せばいいだけなので、その痛みはかなり小さいもので済むはずだからです。
取り返しがつく間にいろんなことに気づけると嬉しいです。
悔しさと悲しみと公開の気持ちの入り混じった訳の分からない気持ちのループにはまり込んで苦しむのは辛すぎると思うからです。
もう済んでしまったことは仕方ないので、これからのことを大切にしたいと思っています。
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。