いつかきっと
冷たい空気というものはどうしてこんなに気持ちを引き締めてくれるんだろう?
もう何日も休みがない。
なのに僕はこの空気に後押しをされて職場に通い続けている。
今の僕の元気の元はお昼に毎日のように食べている気に入った店のテイクアウトのスープとサンドイッチのセットくらいのものだ。
それ以外何もない。
周りの同じくらいの年齢の人は弁当を持参してる人が多い。
この今の状況の中で家計を守るにはそうするしかないという人もいる。
僕のように一人暮らしの人間にはそういうこともないのだけれど。
昼食を自分で作って持って来ていた時もあった。
けれども休みが全然なくて遅くまで残っても片付き切らない仕事が山のようにある今の状況の中で毎日自分の弁当を作る余力は残っていない。
細かいことは何もかも振り捨ててとにかく日々を生きるのが精一杯の状況だった。
疲れを感じている余裕すらなくて本当は不安だった。
年末のこの時期が忙しいのはいつものことなのだけれど今年はそれが加速していて先が見えないような気がする。
寝ているとき以外ほとんどの時間を仕事に費やしている。
休日もない。
休日があったとしても足りていない睡眠をとるための時間に充てなければならないだろう。
長い間ぎりぎりの状態でこの生活を続けてしまっているのだから。
と、不意にくらっとして倒れてしまった。
周りのみんなが驚いて駆け寄ってくるのが見えた。
僕は遠のいていく意識の中でぼんやりとそれを見ていた。
そして気がついた時には病院のベッドに横たわっていた。
しばらくは自分がどこにいるのかわからなかった。
看護師さんが見回りに来てくれた時、職場で倒れてしまってここに運ばれてきたことを知った。
僕は倒れてからすぐにここに運び込まれたのだという。
過労だと言われた。
そうだろうなと思った。
そのことは自覚していたけれどそれよりも仕事を片付けるほうが大切だと思っていた。
それは間違いだったと今は思う。
職場で倒れてから一週間が過ぎた。
目覚めた次の日に退院して病院から家に帰ることになったのだけど、その後10日ほど休みを取ることを会社から言われて余儀なくされた。
僕が会社で倒れた日、自分では気づいていなかったのだけど顔色がかなり悪かったらしい。
みんな心配してくれていた。
こんなことは初めてだった。
最初の頃はぼんやりと寝ていることが多かった。
眠ったり目覚めたりそれを何度も繰り返した。
夢なんて一度も見なかった。
その間ずっとぼんやりとしていたように思う。
心底疲れ切っていた僕はその時間を過ごさないと元の感覚を取り戻すことができなかった。
そして今掃除をしている。
ゆっくりとしたペースで家の中を片付けている。
ずいぶんと汚れていたのに気がつけなかった。
こんなことでもなかったら掃除なんていつできたのかわからなかった。
たくさん寝たので体力はかなり回復していた。
動いていても体がなんだか軽く感じられるのだ。
いつもは見ない棚の上を拭こうとしてその上のものを全部おろした時見つけてしまったものがある。
ずっと前にそこに置いたもの。
どうしても捨てることができなくて仕方なくのせていたもの。
その存在をあらためて見たときに心がざわざわとしてしまって掃除は中断するしかなくなった。
それはあの日撮影した君の写真と渡しそびれてしまった指輪。
何回も捨てようとして、でも、どうしても捨てることができなかった物達。
それらを見るのは苦しかった。
でもそれらがなくなってしまったら、僕はきっと抜け殻のようになってしまうだろう。
そんなことを知り合いに話したら笑われてしまうに決まっている。
だから誰にも話せない。
でもなかったことにはしたくない。
君を忘れてしまうことなんてどうしてもできない。
どうしてもできないんだ。
あの頃僕は傲慢だった。
そして君はかたくなだった。
そのことが二人のことを遠ざけて二人がつながることはなかった。
そしてその頃若く過ぎて大切にしなくてはいけないことが何もわかっていなかった僕は、君をこんなに深く想って苦しむ日が来るなんて考えもしていなかった。
君と離れてしまったことがこれ程自分を苦しめるなんて……。
本当にバカだったと思う。
そのことは何回考えたのかわからなくなっている。
あれから僕は何人もの人と付き合った。
けれどどの人ともうまくいかなかった。
その都度違う理由で別れた。
どうしてうまくいかないんだろう? 考えたけどわからなかった。
でもある日ふいに気がついたんだ。
君のことがどうしようもなく好きでその欠落は他の人では決して埋められないということに。
どうしてなのかはわからない。
君は特別に美しい訳でも優秀な訳でもない。 ごく普通のどこにでもいる人だ。 だから僕は君と会えなくなった時最初は全然気にしなかった。
けれどある日急に君への思いに気がついて、どうしようもなく苦しんだ。
理屈ではどうしても説明のつかないその気持ちを持て余してしまって呆然とした。
どうして君でなければだめなんだろうか?
君は不器用な人だ。
要領よく生きることができなくていつも何かに苦しんでいる。
そういう君の生き方を僕は正直理解できない。
だから君と一緒に生きて行くということについて躊躇したのだと思う。
人を好きになるということの本当の意味を僕はわかっていなかったのだ。
バカだった。
そんな僕は今でも君を忘れることができなくて心でずっと追いかけている。
モウイチドキミニアイタイ
モウイチドキミニアッテ、ジブンノキモチヲハナシタイ
思いがけずに君への想いに浸っていたら、驚く程の長い時間があっけなく過ぎていた。
僕は冷蔵庫からミルクを出して、温めて飲んだ。
お腹が空いていたし喉も乾いていた。
ホットミルクを飲んで体が徐々に温まってくると心も少し救われた。
体と心はつながっている。
それが実感できた。
夜になった。
僕はふいに24時間営業のスーパーマーケットに行ってみようと思い立った。
冷蔵庫の中がもうほとんど空っぽになっていたし、外に出てみたかった。
ずっと家の中にばかりいることに飽きていた。
年末の街はイルミネーションが光っていてどことなく浮かれている。
今歩いている道が真っ暗だったら僕はきっと引き返してしまっていただろうと思う。
心がかなり弱っている。
街の灯りに励まされて前に進むことができた。
スーパーマーケットの中は明るすぎず暗すぎず、自然な感じの照明がついていて落ち着いて買い物ができた。
この店は働いている人たちが素敵だ。
みんな仲が良くて雰囲気がいいので家から少し遠いのだけどなんとなく来てしまう。
そういうことって大切だ。
時間をかけてゆっくりと店内を回った。
カートを押すのもなんだか楽しい。
並んでいるいろんなものを見ているだけで心がウキウキした。
買い物を終えて外に出ると、イルミネーションは消えていた。
そして今夜の冷たい空気は夜空をすっきりと透明にしていて、グン!と見上げてみると真っ暗な空に大きく光るひとつの星が僕を励ますように輝いていた。
だから素直に『君をもう少し思い続けてみよう』と思えた。
いつかどこかでまた会おうね。
いつの日か必ずもう一度君に会いたい。
そして僕の本当の気持ちを君に伝えたい。
心からそう思う。
きっと最後にうまくいく。
いつかきっと二人が一緒にいられる時が来る事を信じていたいんだ。
あの大きく輝いている星が空の上から見守ってくれているのだから。
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