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ブレーキをかけないで

「泣くな!」

壊れてしまった家からその時お世話になっていた場所に帰る途中で、わたしはうつむいて、顔に手を当てて、泣いてしまいそうになりました。

表情の上では、もう泣いていたのかもしれません。

運転をしていた主人は、わたしを素直に泣かせてはくれませんでした。

そしてその時素直な気持ちに従って泣くことができなかったわたしは、何か大切なものがその時に止まってしまって身動きができなくなってしまったような気持になってしまいました。

固いピンでギュッとどこかに止められて動けなくなってしまった。

そんな感じを今でも持っています。

素直な自分をごまかすとその先に進めない。

そういうふうに感じてしまって、苦しくてたまらなくて。

そうやってわたしは大切なものを見失い続けてしまっているような悲しい気持ちでずっといます。

可能性というものを感じてもつかめない。

そういう心のゆらゆらとした揺れている感じをどうしたらいいんでしょうか?

その問いに答えられる人なんて多分どこにもいません。

自分自身ですらわからないことが自分以外の人にわかるわけなんてないからです。

母のことにしたって、最後くらい何か心残りのないように素敵なことをしてあげたいと思ったことも事実です。

けれども子どもの頃からのどうにもならない苦しみを引きずっていたことで許せなくて怒りの気持ちを切り捨てることができなかったということもまぎれもない事実であってごまかしきることはできませんでした。

わたしは自分を生きなおすために実家から離れました。

そして働いて、結婚して、子どもを産んで、育てながら、新しい生活を作り上げるために自分なりに精いっぱい頑張って生きてきました。

不器用でめちゃくちゃなこともたくさんありましたが、それでもわたしはできる限り頑張ってきたから、後悔はありません。

でも本当はもっと違うものを求めていたことも事実としてあって、どうしたらそういうところに届いていくことができるのか、不器用で向こう見ずなわたしなりに考えてものすごく苦しみながら模索を続けています。

過ぎてきたことに執着はないけれど、それでも『本当はこうだったらよかったのに』という心も捨てることができなくて持ち続けてしまっています。

自分が望むような状態になっていけるような可能性もまだ残っているような気持ちも、錯覚なのかもしれませんがもっています。

  。。。

母は自分のことを最後まであきらめずに何とかしようとしていました。

それはある面から見ると間違っていましたが、ほかの人から何かを奪ってどうにかしようなんて考えないで、自分の努力と決断で決めて行動して、わたしを助けてくれました。

だから本当に最悪なことにはならずに済んだのだと思って感謝しています。

だからこそ本当の意味で自分が納得できるようなしあわせな自分になりたいと思うようになりました。

それはずっと思っていたことでしたが、助けてくださった方たちがいたからはっきりとこういうふうに文章にして公開できるようになりました。

こんなに大切にしていただいたのなにもできなかったこと、ものすごく邪魔をしてくる人達に何も対応できなくてこんなふうになってしまったこと、悲しくて仕方ないです。

本当にいろんなことがありすぎて、混乱しすぎてしまって、どうしたらいいのか全然わからないのです。

こうしようと思っていることがあっても、思いもしないことに振り回されてしまってそっちに行くことができなくて悔しい思いばかりしています。

もったいないと思うし、見失うことばかりになってしまっています。

周りから思い切り邪魔をされてしまって、混乱してしまって、判断が付けられなくなるということがこんなに怖いなんて、考えもしませんでした。

本当に心細いし、悲しいです。

こんなふうに考えることは変だと思われてしまうかもしれませんが、だからこそ、子どもはわたしから離してあげて自分の道を歩くようになって欲しいと思うのです。

自分の中に閉じ込めないでいてあげたい。

そのことで苦しまないで済むように。

だからこそわたし自身も自分のことを大切にしないといけないと思います。

本当はこの生活を変えたいです。

根本的に。

そのために書くことも工夫しているけれど、どうしていくのがいいことなのかそれさえもわかりません。

目の前のことに振り回され続けて混乱してるから。

そこから変えていかないと、っていうことになったらものすごく時間がかかってしまうけれど。

だから本当に申し訳ないと思うことがものすごくたくさんあります。

でも感謝しています。

母に怒りを覚えたのは、何もかも手放すくらいの勇気を出して頑張ってきたことを全部壊されてしまったからです。

でもそんなふうになってしまったことの原因の一つは自分が自分をごまかしてしまったことにもあります。

本当の自分の気持ちに正直になることができなかったことがそのことの大きな理由です。

そういうふうにしかできなかったことの原因は母にもあると思います。

でも自分が勇気を出すことができなかったことも事実です。

それをほかの人のせいにしてしまったら間違うと思います。

人のせいにしてしまって自分を正当化するよりも自分の分は自分で持てるようになれたほうがいいように思ってしまうのは間違ったことなのか、違うのか、わからないのですが、人のせいにしてしまうことがどうしてもできません。

人のせいにしてしまって甘えてしまうことは、実は自分のことをゆがめてしまうことにつながってしまうと思っているからです。

そういう気持ちも受け入れたうえで、わたしは本当に自分を好きになれるようにしあわせになっていきたいです。

その形がどんなものなのか、今はまだわかりません。

どんなことでもやってみないとわからないと思うからです。

文章を書くようになったことも実際に書いてみるまでこんなふうになるなんて考えもしませんでした。

SNSというもののことも今も何もわかりません。

不特定多数の人に自分の書いたものを読んでいただくということも本当の意味で分かっていないと思います。

でもそのことの素晴らしさも、怖さもわかってきて、怖くて思うことを書けなくなってしまったのも、書くことを変えていけるようになってきたことももしかしたら意味のあることだったのかもしれません。

なんだか大変な感じですが、やめたくないし、今までとは全然違うようなものを書いて、今までとは全然違うことをできるといいなと思います。

もっと自分が本当にしあわせになるために生きていきたいと思うからです。

今までの行動や考え方は間違っていたと思うようになりました。

亡くなった父や、施設にいる母や、ほかの全部の本当にわたしを大切だと思ってくれている人のためにも何もかもをもっと自分が本当にしあわせになっていくために変えていかないといけないと思うようになりました。

まわりの人の犠牲になるような考え方をすることは間違っていると思うからです。

そんなことはわたしのところでやめてしまって、新しいいいことを始めていきたいと思うからです。

同じことばかりを繰り返していても、いいことなんてなんにもないし、もっと良くなっていくために今生きていると思うから。

せっかく生きているのですから何もかもいい方向に変えていくことをしていかないと絶対にもったいないと思います。

自分だけがつらいと言って、変なことを決めつけて汚して利用してくるような人たちに負けるのは嫌だから。

こんなふうに人を汚して利用することばかり考えている人たちの中でみんな必死に生きている、世の中は本当に大変なところです。

その中で自分も周りも大切にして生きてる人もいるなんてすごいなと思います。

みんな苦しいことも受け入れたうえで、自分を生きているんです。

本当の自分の気持ちを見失って子どものため、と言ってごまかしてしまったから、こんなふうになってしまいました。

もしも自分がもっと早くに自分の本当の気持ちに正直になっていたら違ったような気もします。

これからもっとつらくなるのか? よくなっていけるのか? わたしにはわかりません。

思いもしないことばかりどんどん起こってくるからです。

自分自身の人生がこんなにドタバタになるなんて考えもしなくってびっくりしてしまうことばかりです。

それでももし間に合うのならば、自分自身の本当の気持ちに本当は従いたくて。

できるかな?

できたらいいと思います。

  。。。

思いがけず、こんなに長くなってしまいました。
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
がんばります。




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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。