生きてることが好きだから。
私は生きてることが好きです。
今が好きです。
そして今感じていることを素直に書きたいと、話したいと、そう思っています。
私は今生きていることに夢中なんだと思います。
それはいつも同じ。
多分変わりません。
noteを書き始めたことで、変わったこともあれば変わらないこともあります。
ずっと同じなのは私が、自分自身で会うということだけです。
私はそのままの素直な自分でしかないし、その時々に素直に正直に生きることしかできません。
それは私が私として生まれてきたからどうしようもないことなんです。
そのままの自分を、そのままの自分として、素直に生きることができることがその人自身のしあわせだと考えるようになりました。
結婚したことで今受けている嫌がらせを受けるようになりました。
結婚した相手の両親や兄弟は、自分以外の人を利用して自分が果たさなくてはいけない責任を誰かに肩代わりしてもらおうとするような考え方の人たちばかりでした。
それを周りの人から私をいじめさせると言う形で、無理矢理押し付けることしか考えていない人たちばかりでした。
もしも子供がいなければもっと早く離婚していたんだろうか?
その問いに私は答えられません。
結婚していた人が今と違う人格で、ひたむきに生きていたときのままだったら、もしかしたら私は今でもその人と夫婦だったかもしれません。
だけど彼は時間と共に変わってしまいました。
もしかしたら、最初からそういう人だったのに、私が気づかなかっただけなのかもしれません。
私が信じてしまったものはみんな間違いだったんです。
でも私はその中で自分なりに精一杯がんばりました。
その経験が今の私を支えてくれています。
だから後悔することよりもこれからの自分がまた一生懸命生きて新しい暮らしを作っていけばいいんだと思っています。
失ったものはたくさんあります。
本当に今でも心が痛むことがたくさんあります。
でもいつまでもそのことを嘆き続けているよりも今を大事にして、前に進んでいくことの方が私にとっては大切です。
周りに文句を言って、自分を通すようなそんなみっともないことを続けるのは私は嫌です。
本当に苦しく、めちゃくちゃなことの中にも感謝できる事は確実にあります。
それがあったからこそ今があるし、これからを作っていくこともできるからです。^_^
13年前、東日本大震災の津波で大きな被害に遭った地域に私は住んでいました。
信じられないような状況でした。
でもその中で私と子供は何とか生き延びることができました。
瓦礫だらけの被災地で先の見通しが全く立たないまま、それでも生きてその先の未来を作るしかありませんでした。
その経験は私にとって本当に辛いものでしたが、そのことよりも子供と自分がその場所で死なずに済んだことの方が、その時は本当にありがたく嬉しく大切なことでした。
生きていることが当たり前の状態ではないことを身をもって知りました。
言葉にするのは難しいけれど、その時私は大きく自分が変わったことを感じました。
それは私が子供を産んだ時も同じでした。
どう説明していいのかわからないけれど、子供が私もお腹の中から出て行くときに自分の中の何かが子供の中に吸い込まれて行くのを感じて、私の人生はこれから今までとは全く違うものになっていくことを予感しました。
私はその時、自分が母親になっていくことの大きな自覚、何か大きな責任のようなものを感じました。
人はこうやって変わっていくのかもしれない、そう思いました。
私は、出産後産院のベッドの上で毎日長い間泣いていました。
とにかく涙が止まらなくてどうすることもできませんでした。
その時私の夫だった人は、病院の人から私が産後鬱なのではないかと言われていたそうです。
でも私がその病院から退院する時看護師さんも子供の育児室の保母の方も私を送り出しながら泣いていました。
『子供って本当に可愛いから、どんなことでも我慢できるから』
そう言われました。
私は、これからどんなことが起こってくるのかわからなくて戸惑いました。
その時からずっと、夫だった人の母親から、私への信じられないような攻撃が続いてその人と離婚して1年半位経った今でもそれは終わりません。
彼女は周りの目から見て、確実に異常な部分がありました。
でもそれは何か言葉にしたり、形にできたりするようなものではなかったので、それを咎める人も咎められる人もいませんでした。
彼女の異常な執念が今でも私を苦しめ続けています。
彼女は多分普通の人が普通に考えたり行動したりすることが理解できない人なのだと私は感じ続けています。
と言うよりも、私とは全く異質な人だと言うことを感じ続けています。
彼女に対して思うのはどうして愛さないんだろう?どうして愛せないんだろう?ということです。
誰かを本当に心の底から愛したら、もっと違う考え方や行動になるような気がするからです。
私は子供を愛しているし、母親のことも父親のことも私なりに大切に感じて愛していたと思います。
その気持ちが強くなったのは、実家から離れて苦労してそれからのことだったと思います。
彼女にはそういう経験は無いでしょう。
だから、私の気持ちや考え方は理解できないと思います。
必死になって追いかけてきて、私を傷つけ邪魔をしてくる、そういう彼女のことが私には理解ができません。
だから多分一生、私たちが分かり合える事はないと思います。
私はとにかく生きていたい。
そして自分がしあわせだと思える暮らしを作りたいです。
その時に協力してくれる人がいたら嬉しいと思うけれど、他の誰かを犠牲にしたり、他の人を利用して、自分だけ良いようになりたいとは思えないのです、
誰かを犠牲にしないと生きていけない、そんな人になるのは絶対嫌だからです。
協力しあってお互いが良くなっていける、そういう関係性の人がたくさんいて、助け合ったり高めあったりしていけるのが私の理想です。
嫌になって逃げ出していく相手を必死に追いかけるなんて、私は絶対したくありません。
本当に大事にしあって思い合うってそういうことでは無いような気がしています。
予定調和で固めて安心するなんて間違っていると思います。
そんなやり方をしたら、その中に確実に壊れたり傷ついたりしていく人が出てきます。
私は本当に幼い頃からそういう形で傷つけられて苦しんできました。
だから自分の子供には同じ思いをさせたくなくて違うように育ててきたと思っています。
そしてそれに伴って、自分自身のあり方も変え続けてきました、
理解してくれる人はほとんど周りにおらず、かなり苦しい思いを今でもしていますがそれでも私は最後までその考えを通したいと思います。
それは、子供の人生を本当に守ることにつながるし、自分自身が新しい今までとは違う人生を作っていくために必要な努力だと思っているからです。
ものすごい勢いで、周り中に根回しをして邪魔をしてくる人たちの中で、たとえ非難されても私はそれを通し続けて前に進んで行くことしか考えていません。
私が尊敬している人は、それを助けてくれようとしているのだと思っていました。
状況はあまりにも悪くて、勝算は全くありません。
それでも私はがんばります。
辛くて苦しい結婚生活から逃げ出さないで我慢したのは、子供の人生や子供の暮らしを自分なりに守る方法がそれしかないと思ったからです。
自分よりも弱い人間を自分に都合の良いように利用して、自分のわがままを通すことしか考えていない人たちの異性になるのは絶対に嫌でした。
それ以上に自分の子供が自分の人生を自由に決めることができないことが絶対に嫌だったからです。
長い間苦労して頑張ってきました。
だからどうしても最後に自分が納得できるような暮らしをしたいと思ってきました。
結婚していた人がそのために私ときちんと話し合って2人で協力できなかった事は本当に残念なことだと思っています。
全然関係のない信用の受けない人にそれを委ねてしまって、私を自分の都合の良いように利用することしか考えなくなってしまったその人ともう一度やり直したいとはどうしても思えません。
だから私はその人のもとに戻る事はありません。
自分の人生のかなりの時間をその人と共にしていたと思うのですが、その間どんなふうに感じていたのかそれを私は誰にも伝えた事はありませんでした。
それはただ子供の生活を守るための努力で、それ以外のことではありません。
だからもうこれからは今までとは違う人生や暮らしを作るために生きていこうと思っています。
それが素直な正直な私自身の気持ちです。
いつでも今。
今この時に生きることが私にとっては大切なんです。
そうして未来を自分なりに見据えて、その時にできること、小さな事でもいいからそれを積み重ねていくことが私の生き方でそれ以外はできません。
こんなに不器用で要領の悪い生き方でよくここまで何とかなってきたものだと自分でも驚くことがあります。
だからその時々に助けてくれたり、守ってくれたりしてくれた人がいたのだと考えて感謝しています。
だから自分も本当に細やかな事でいいから、誰かのために何かができる人間でいたいと思っています。
今の私にできるのは、今の職場でひたむきに真面目に働くことと自分のことを大切にしてこれ以上子供の心が傷ついてしまわないように頑張ること、そして尊敬している人が応援してくれたことを無駄にしてしまわないように、書くことに真摯に向かっていくことだけです。
いい加減な気持ちで書くことはできないので集中したいし、本当に自分自身が良いと思えるものを書いて公開したいんです。
毎日報道されている災地の状況を見るたびに被災した後に自分がたどり続けてきた苦しい日々を思い出して、この人たちは、これからその道を歩いて行くんだなぁと思って、とても悲しい気持ちになります。
現実は厳しくてどんな生活をしていても楽な人はいません。
みんな厳しい状況の中で、自分なりにこらえたり我慢したり、努力したりしながら、その時々を生きている人しかいないのではないかと思うようになりました。
だからこそ、苦しい中でも頑張っている人を応援したくなるような気がします。
私が今まで子供に対してできた事は、子供がどんな状況になっても、子供を応援することだけでした。
子供の代わりに、子供の辛いことを私が肩代わりする事はできません。
子供も私の苦しみを肩代わりすることはできません。
私たち以外の人もみんな自分の片付けなくてはいけない事は自分で片付けるしかないのです。
ただできるのは見守って応援すること。
傷ついている人をそれ以上傷つけないこと。
それくらいの事しかないような気がしています。
私が今の仕事をありがたいと思うのは、ただ生活費がそこで稼げるだけのことではなく、具体的に自分が体と心と頭を使って動くことができること、仕事を通じて、誰かに本当に爽やかでも貢献することができること、自分が生きていることに小さくても、意味を見いだすことができること、そういうことの積み重ねだと思っています。
だから子供にも自分できちんと働いて、自分の生活を自分で賄うことができる人間になってほしいと切に願っています。
それが1番確実にまっとうな道を歩いていくために必要なことだと思うからです。
これからも何とかサバイブして生きていくことをやめないでいたいと思います。
今生きていられることに感謝できる、そのことが今の私のしあわせです。は