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#誰かにささげる物語 感謝の気持ちを贈りたい
今回は、父と母に向けて書いてみます。
どうかよろしくお願いいたします。
多分結婚してから3年目の夏の事だったと思います。
私は実家の母に桃を1箱送りました。福島県でとれるあかつきという名前の桃です。
父が亡くなった日の夕方、病院にお見舞いに行った時、「何か食べたいものある?」と聞いたら、「桃が食べたい」と言われて、「明日買ってくるね」と話していたのに、その日の夜、容体が急変して何も話さないまま死んでしまいました。
そのことがずっと気になっていたのです。
たまたま行ったスーパーマーケットで、桃を発送してくれるというチラシを見つけて、私はすぐに実家に桃を送ることに決めました。
母は喜んでくれました。
事情があって父のお墓にはなかなかお参りに行くことはできませんでしたが、せめて母が家のお仏壇にある少しだけ分けてもらった父の遺骨のところに桃を供えてくれたら、父への供養になると考えたからです。
父は亡くなった後もずっと私を助けてくれたような気がしています。
だから私のような頼りない人間でも今まで何とか生き延びてくることができたのだと思っています。
その感謝の気持ちを表したくて、その時は桃をつましい家計をやりくりして思い切って送りました。
とても離れた場所に住んでいたのでなかなか里帰りはできませんでしたが、もしも子供を連れて行くことがあったらあらかじめきちんとしたお付き合いをしておくことも必要だと考えたからです。
でも結局いろいろなことがあって、頻繁に子供を連れて行く事は出来ませんでした。
それでも父は私をいつもどこかで見守ってくれている、そういう思いがありました。
言葉で説明する事はとても難しいのですが、とても困った時とか深く悩んだ時に父が私を守ってくれていることをなんとなく感じていました。
だから、普通では少し信じられないような大変な状況の中でも、どうにかなってきたのではないか?と感じています。
生前父はとても厳しい人で子供の頃は怖くて自分から話しかけることが出来ませんでした。
私の子供の頃の母もとても怖かったです。
2人ともいろいろ大変な状況の中でほとんど休みもなしに仕事をするしかなかったから、そのようにしかできなかったのかもしれないと今では思っています。
そういう子供の直に感じたことがたくさんあって、私はできるだけ自分の子供に寄り添って生活をしたいと思い続けていました。
主人もそれを受け入れてくれていました。
周りの人にいろいろ言われる事はありましたが、まず子供に寄り添ってあげること、子供の生活を守ってあげることが私にとっての1番大切なことでした。
両親は私にいろいろなものを与えてくれていた、今になればそう思いますが、そういう2人の厳しい大人に対してどうすることもできず苦しみ続けていた自分自身も実際にはいて、ずっと複雑な気持ちでいました。
両親は自分たちのペースを崩す事はなく、自分たちから私に寄り添ってくれる事はありませんでした。
そのことでたくさん辛かったことや苦しんだことがあります。
だから自分の子供には同じ思いをさせたくありませんでした。
それが私の今までの生活の形です。
けれども大人になってやっと時間ができた父といろいろ話しているうちに父は私に対してそれまでと違う感情と印象を持ったようで、そこからは私に対してそれまでとは全く違う対応をしてくれるようになりました。
もっと早くにそうしてくれていたらいろいろなことが全部違っていました。
それでも今振り返ってみると、父の最後の何年間かを近くで過ごすことができた事は私にとって大切な思い出になっています。
だから今、自分から離れてしまった子供のことをとても心配しています。
しっかりしているといってもまだ子供です。そしてまだ知らないことばかり、だからとても心配です。
だけど私が何か働きかけたりしない方が子供のためになるような気もするのです。
自分なりに何かを乗り越えて大人になる、そういう経験ができる事はある意味とても貴重なことで、そのために子供は1人で暮らすことを選んだのではないかと思うからです。
心配ですが、我慢します。
私自身が未熟なように私の両親も完璧ではありませんでした。
それでも家族を守るために頑張ってくれました。
その事を思う時、両親を批判したり責めたりする事よりも、家族の生活を守ってくれた事に感謝したいと思うのです。
「ありがとう」の言葉と気持ちをできるだけたくさんの人に贈りたい。
求めることで飢え渇いた自分を育ててしまうのは不幸なことです。
逆に、感謝や愛の気持ちから誰かに何かささげたいという気持ちは、自分自身をほんとの意味で支えてくれるような気もするのです。
両親は不器用で、完璧ではありませんでした。
それでも2人は一生懸命に自分の務めを果たして、生涯頑張り抜いてくれました。
本当に感謝しています。
そのことに対する敬意の気持ちを失わないでいる事が、自分自身を本当の意味で守る事につながっているような気がします。
母に関わるようになってから、「人間の尊厳」というものについて。深く考えるようになりました。
その事で、少しだけ成長できたと思います。
そして、私は両親に感謝の気持ちと自分が最後まであきらめないで一生懸命に生きていく事を伝えて、捧げたいと思っています。
2人は私に命を与えてくれました。
だから完璧でなくても不器用であってもそのままでいいのです。
そして私もそのままで一生懸命生きていきます。
できる事はそれしかないので。
2290文字
読んでくださってありがとうございました。
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