きれいな心。
きれいな心でいたいのは私だけではないはずで、きれいな心でいることが私にとって唯一の自分を守る方策でした。
長い間私は、自分の自由のない生活をしなければならず、苦しいと感じながら生きてきました。
でもそれは私だけではなくて沢山の人たちが同じ思いを持ちながら、それでもひたむきに生きている、そう思ってその時の自分にできることを諦めないで続けてきただけでした。
私は何も求めてはいませんでした。
求めてはいなかったけど流れの中でいろんなものに出会ったり、触れ合ったり、してきただけです。
家も子どもも求めてはいませんでした。
そしてどちらも失くしました。
悲しいと思うけど、執着はありません。
本当に大切にできていたので、後悔はないんです。
子どもにはしあわせになって欲しいとだけ考えています。
だからこそ、子ども心が歪んでしまうような関わり方はできないと考えています。
間違ったお金の掛け方をしたら、子どもの人生は簡単に歪んでしまいます。
本当に大切なものを間違えると、本当に大切なものを壊してしまう。
私はそう考えています。
自分自身の両親の失敗を見て、私なりにもっと違うやり方をしたいと思ったのです。
いろんなことを通り抜けてみて、私は人が怖いと考える様になりました。欲望に引きずられてしまうとこんなに人っておかしくなってしまうのかと驚くことの連続でした。だけど自分自身もそうならないとは限らない、そういう矜持も持ち続けていないといけないとも思います。心なんて簡単に歪んでしまうものです。
私の結婚していた人の両親は周りから少しだけ見上げられるような対馬の人達でした。でも実際は私をすごく下に見ていじめたらお金やものが取り上げられると考えてひどいことを言ったりしたりし続けて傷つけられてきました。私が我慢していたのは子どもを守りたかったからです。
そういう私がもう一度誰かとまた人生をやり直したいと思うようになったのは、素晴らしいご夫婦を知る機会があったからです。
本当に心から愛し合って大切にしあっているその人達と出会ったことで、私もそうなりたいと考える様になったのです。
ただ物やお金の取り合いや、見栄の張り合いや、そういうものとは別の家族を知ったから、私もそうなれたらいいと考える様になったのです。
そのためには自分自身の心の中がきれいでないといけないと、悲しく苦しい経験が私に教えてくれました。
その心と思いを守ってくれたのは、今まで子どもを守るために自分が守ってきたお金と、母が子どもを守るために守り続けてきてくれたものやお金でした。
だから私はお金のことを汚いと考えた事はありません。
汚いのは歪んだ欲で人を傷つける歪んだ人間の心です。
だから心がきれいなまますまっすぐに努力して働いたり、お金を上手に運用したりして、お金を手に入れることは大事なことだと思っています。
その時に人を妬んで陥れたり、その人を困らせてものを取ったり、自分に使わせたりするような人と関わらないようにしないといけないと思うようにもなりました。
そんな人と関わってしまったら、人生が絶対に歪み切ってしまいます。
子どもに対して心配しているのはそういうことです。
私の結婚していた人の母親はそういう人でした。
そのために私の母は傷ついて死んでいくしかありませんでした。
でもそうなってしまった大きな原因は、母が弟を自由にさせてあげなかったことにあると思ったんです。
だから私は自分の子どもを自由ににさせてあげたいと考えました。母とは違う生き方を私は選び続けてきました。これからもきっとそうしていくと思います。それは私が母を反面教師にして、自分と子どもの人生を守るための努力です。
自分の前を歩いている誰かをまねるだけでいいとは限りません。
新しく自分なりに作っていく、そうしないと本当に自分にとって良いことは作れないと思います。それと同時に自分より下だと決めつけた人に自分の都合を押し付けて威張り散らすことばかり考えているなんて最悪だとも思います。人を見下している段階でその人は最低です。
子どもは親の所有物ではありません。
だから子どもは学校を自分自身で選びました。
私の勧めた学校を無理に強要することもしませんでしたし、子ども自身が「自分で選んだ学校だから、自分の責任で選んだから」と言っていました。
私は子どもを追いかける気もないですし、もう一度元の家庭に戻りたいとも考えてはいません。その理由はその人達が私から何もかも奪うことしか考えていないことがはっきり分かったからです。
そして私が全部悪いと決めつけているからです。
その人達が困っているのはその人達の問題で、私とは関係ありません。
私一人がいないことでみんなが困るなんてあり得ないことだからです。
もうみんな大人です。
私が悪いから自分たちが困るんだと言っているけれど、そんなの変ですよね?
それなら私が外れたら誰も困らなくなりますよね。
そうではないですか?
私は今、私から何もかも取り上げようとしている人達からひどい目にあわされて苦しんでいます。
その人達が諦めて私を開放してくれないと終わりません。
その人、死に物狂いで私のことを追いかけてきているんですもの。
その人は私を自分の下につけて閉じ込めないといけないと、もう二十年以上、私を傷つけながら必死に追いかけてきているんです。変な人だと思いますが、私にはもう関係のない赤の他人です。
彼女の考えていることは私には理解できません。
一つだけ言えるのは、その人が何か大きな勘違いをしているということです。
自分より下だと思った人に対して威張り散らしていないといけないというクラシックな思い込みを外せなくなっていることがその人の敗因だと思うのです。
自分より下の人なんていません。
基本的なところで、みんな平等です。
そういう思いがなかったらいけないと思うんです。
それはきれいごとでしかないのかも知れないけれど、そのきれいごとを守らないと自分自身は守れません。
誰だってどうなってしまうのか最後までわかりません。
そして、どんな人もみんな、心のある人間です。
その前提を守るために仕事もお金も大切なんだと思うんです。
秩序というものが。
今の私は本当に心細い立場ではありますが、それだからこそ苦しくても負けないでいないといけないと思います。
私の祖父は子煩悩で、自分の子どもたちにどんどんお金を上げてしまう人でした。でもそのお金は私の両親をものすごく安い給料で働かせて手に入れたお金でした。だから祖父と父との間に争いが絶えなくて、毎日喧嘩をしていました。そして父が祖父から独立した後、父方の祖母やおばさんたちがお金を店から取ることができなくなって、母とその人達との関係は壊滅的に悪くなり、父が亡くなった後は最悪の状況になりました。
父が亡くなった時、父方の祖母が店のお金を自分に返せと言ったので、母は店を閉めました。三か月、無休で働いて店の片づけと残った商品をできる限りお金に変えて祖母に返さなければならなくなってしまったんです。
その時にご苦労様の一言もなく、退職金も一円もくれませんでした。
母は収入を得るためにすぐに働きに出ました。
でも自分の母親が認知症になてしまって自宅介護をするしかなくてやめざるを得ませんでした。
私も自活したいのと、父方の祖母に会いたくなくて遠くに働きに出ました。お金はほとんど持たないで。
母の収入は、父と苦労して建てた店の店舗を借りてもらって入ってくる賃料ぐらいになりました。本当に大変だったと思います。
それなのに、そういう母からお金やものを取りたくて結婚していた人の母親と私の父方のおばさんが私を苛めて止まらなくなってしまいました。
今困っているのもその人達が原因です。
お金をとりたいだけなんです。
その人達の頭の中身は50年以上前のままです。
古いんです。
今の時代に合いません。
二人とも人からお金を取り上げることでズルをして生きてきた人たちです。母のように働いて、自分の母親のことも面倒を見てきた人たちとは違います。そして二人とも生活に困っている訳ではなく、贅沢がしたいだけなんです。
私は自分の子どもをその悪循環の中から外してあげたいのです。
そして自分自身も。
結婚していた人の母親が私を追いかけてくるのは、自分がいつまでも一番上の立場に立っていたいからです。その考えに反対する気はないけれど、私は彼女の他人です。今彼女の周りの人とそういう関係性を作れば問題はないはずです。
それと同時に私の子どもをそれに巻き込んでは欲しくないです。
だから私は実家にも戻らないし、元の家族にもどる気もありません。
私が込めれば困るほど、私は別の世界を探していくでしょう。
最初に実家を出た時から戻る気はありませんでした。
私は新しい人生を探すために外に出ました。
だから実家にも全く執着はなかったし、もしも何事もなかったらそのままでもよかったんです。
でも何もかも壊れてしまったんなら、別の生き方を探せばいいと思いました。私は自由になりたいと考えました。ほとんど軟禁状態でいじめられ続けてきた結婚生活から解放されてしまえばいいと考えました。それなのにどうして追いかけてくるのか私にはわかりません。
もう赤の他人なのに。
彼女の考えていることは私には謎ばかりです。
そして彼女のようにならないですますために、私はきれいな心でいたいし、他の誰とも張り合うつもりはありません。
私は私らしく、自分の信じる道を歩いてゆきたいと思っています。