見出し画像

#呑みながら書きました 同情するなら愛をくれ!

 職場の先輩にいただいた無糖ラテを呑みながら今考えていることをつらつらと書いてみようと思います。

 私は今、アレルギー性の湿疹に悩まされて七転八倒しています。

 そうしながら、自分自身の人生でも七転八倒しています。

 本当にしっかりしないといけないと感じることの連続です。


 無糖ラテ、開けます。
 パキパキと音を立てて缶を開けました。
 そして2口、コクコクと呑み、喉を潤しました。
 なかなかに美味しいです(*^^*)


 私は被災者です。
 そして、理不尽なやり方でひどい人に傷つけられて、傷つけられ続けて普通の生活ができていません。

 だから助けて欲しいです。

 だけど、同情されたくありません。

 本当に愛情を持って助けてもらうのと同情されるのは似ているけど、全然違うことだと感じ続けています。

 どんな人でもそうだと思うけど、同情されるのが好きな人は多分いません。

 もしいるとしたら、その人とわかり合う事はできないと思います。

 私はどんな時でも人から同情されて、同情され、続けて暮らすのは嫌です。

 それよりも本当の意味で愛されて大切にされたいと思い続けています。

 被災した後、いろんな人に助けてもらって、たくさんの窮地をどうにか通り抜けて今があります。

 そうしてくる中で、たくさん傷ついたり悩んだり、苦しいことの連続でした。

 その時に私が本当に心から求めていたのは、私と対等な立場になって理解してくれるとする、そういう人でした。

 物やお金や外出のチャンスや、いろいろな支援、それも本当にありがたいとは思ったけれど、それ以上に私が心から必要だと思ったのは、本当の私を私として受け入れてくれたり、大切にしてくれたりする人でした。

 そういう人に出会うことができないまま、とにかく生き抜くしかない状況でした。

 物理的には生きていられても、心が救われる事はありませんでした。

 そんな求められても応えられるわけがないと言われてしまっても仕方がないとは思うけれど、それでも私は心から私を理解して受け止めてくれる人を求め続けていました。

 本当に愛されることを渇望していないのだと思います。

 だけど実際に、どうにもならない状況の中で、もがきながらいろいろな問題を解決しようと動き回っても、それは得られませんでした。

 それは現実には存在しないものなのかもしれないし、求めても得られないものだったのかもしれません。

 だけど思いもかけないところにそれを見つけたと思った時、私はまっすぐにそちらの方向に向かっていこうと思いました。

 幼い頃から心の底で求め続けていたものを見つけることができたと感じたからです。

 だから躊躇なく、まっすぐそちらに向かって行こうと思いました。

 私にとってそれは本当に必要で、かけがえのないものだと感じたのです。

 間違いかもしれない。
 そう感じて、心からすべてのことが怖くなってしまってどうしようもない気持ちにも何回もなりました。

 それでも私にとって今本当に好きだと思っている人と文章でたくさんのことを表現して、それをいろいろな人に受け止めてもらえる存在になりたいと言う夢はどうしても諦めてはいけない。私の心にとっても私の人生にとってもかけがえのない大切なものなのです。

 傷ついたり、失敗することへの恐怖よりも、どうしてもそれを実現して、その人と生きていきたい、その気持ちの方がずっとずっと強い、私はその希望を持ったことで自分の中の強さと出会うことすらできたような気がしています。

 私は弱い人間だし、完璧でもありません。

 でも、その弱くて未熟で不完全な自分を心心から大切に思って愛することができるようになりました。

 それは本当に好きだと思う人の存在と絶対に諦めずに叶えたいと感じ続けている夢のおかげです。

 他の人と張り合って競争することよりも、私は自分自身の人生を自分らしく生きるためにまっすぐ努力する、その方が大切だから、他の人は関係ないのです。

 競わされて、比べられて振り回されるのは不本意です。

 私は自分の意思で自分の望む方向に向かっていきたい。
 私は自分を大切にして、本当の意味で愛してあげたいのです。

 子供を持って、私は本当の意味で誰かを愛するということがどういうことなのかを学んだような気がします。

 だからといって何か具体的に自分が変わったり成長したとは正直思えません。

 それは本当に、ただ心の有り様が変わっただけで、目に見える変化もなければ、何かに対して効果があるとか、そういうものでもないような気がします。

 けれども私はそのことで内面的には全然別な人間になってしまったような気がします。

 そして元に戻る事はもう絶対にできません。

 言葉で説明するのがとても難しい、でも、確実に以前とは大きく変化をしてしまった、そういう感じなのです。

 外から私を見ている人は、誰1人として私が変わったことに気がつく事は無いような気がします。
 だけど、私はそれまでとは全く違う内面を持った人間になってしまった。
 本当に不思議です。

 今の状況は絶対に好転してほしいと思うのだけれど、それとは別の部分で、私は自分をしあわせだと感じてしまっているのです。

 大切で大好きだと思える人がいること、どうしても叶えたいと思う意味があること、尊敬できる先生がいること、具体的に働くことができていること、相談を聞いてくれる人がいること、何より、今生きていられること、その全部が私をしあわせだと思わせてくれています。

 何もなくて誰もいなくて、ただどうしたらいいかわからないままさまようように生きていた頃の心許なさから少しだけ解放されたことと、素直な気持ちで、自分が求めるものの方へ向かっていこうとしている自分を、私は大切にしてあげたいのです。


 同情されても傷つくだけでした。 
 だから私は殊更に自分が被災者であることや、結婚していた人から、傷つけられて何もかも失ってしまったことを訴え続けたいとは思いませんでした。
 そんなことをし続けるよりも、本当の夢を叶えて本当に好きな人と一緒にいられる人生を作って、自分を本当にしあわせだと思いながら暮らしたいのです。

 辛かった思いや傷ついたことを全部忘れてしまえるとは思いません。

 だけど、本当にしあわせだと思える生活を作って、それに集中し続けることはできます。

 そうしたいんです。

 怒りや不満を言い続けるよりも、しあわせだと、ありがたいと、言い続けられる生活を作り続けていきたいのです。

 だから私は同情よりも愛情が欲しい。
 本当にきれいでまっすぐな誠実な愛情が欲しいです。

 ラテ、美味しい(*´ー`*)

 みんなも飲んでみてね!


いいなと思ったら応援しよう!

竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。