みんな、一人。
Twitterを開くことも送信することもできなくなってからかなりの時間が過ぎました。
理由は全くわかりません。
それで少し遠くまで出かけるようになりましたが今は頓挫しています。
いろんなことにおそれの気持ちを強く感じているみたいです。
勢いが少しなくなっているような気もします。
昨日髪を染めました。
さぁ外へ。
でも勢いがない。
少し前に『コーダ あいのうた』という映画を観ました。
毎日読ませて頂いている日替わりの文章に書かれていたのでとても気になっていたからです。
ヘッダーの画像に載せた紀伊國屋書店でもらった小冊子の記事の中にもこの映画を題材にしたものがありました。
その文章を書かれた方も、この映画の主人公と同じようにご家族に耳の不自由な障害を持っていらっしゃる方がいるのだそうです。
映画の中でも描かれていますが、実際にその立場になってみないとわからない大変なことがたくさんあり、そうではない人間にはなかなか理解してもらえないという悩みを感じ続けているのだそうです。
この映画を観ていて何回も泣きました。
私には健康上の障害はないけれど、被災した後そうではない人たちとの間に埋めることのできない隔たりを感じ続けてきました。
それは家族の間でもです。
人と人は分かり合えない。
そう感じ続けてきました。
そしてそれは他の人にも別の形であることだろうと感じるようになりました。
そのことに向き合わなくてもいいか、向き合うしかない状況か。
ただそれだけの違いで、どんな人にも何かあるような気がします。
そしてほんとはみんな一人で、だからこそ誰かとわかり合おうとしているだけなんだと思うのです。
それは決してよくない面ばかりではなく、その人がその人らしくいるために必死なことだから、排除してしまうのは間違っているはずです。
人間の尊厳ってきっと、そこから生まれるものだから。
大学に進学することを諦めようとする妹に、諦めるな、っていうお兄さんの気持ち、すごくわかりました。
私の子どもも進学を諦めようとしていた時がありました。
それを少し、激しい表現ではありましたが、私は止めました。
学校の担任の先生にも最初の段階でお願いしてありました。
そして先生と本人の努力の結果、なんとか進んでいきました。
見栄や世間体のためだったらそうしてはいませんでした。
本人にとって本当に必要なことだったから、そうしました。
必要なことであればどんなことをしてもするべきです。
でもそうでないのなら、やめた方がいいはずです。
映画の主人公は歌の授業を受けて、先生に進学を勧められるまで、自分に才能があることに気がついていませんでした。
彼女の家族も実際にコンサートで歌う彼女に喝采が送られるのを目の当たりにするまでわからなかった。
彼女には可能性があり、認めてくれる人もいて、努力もしました。
映画を観ながら何回も泣いて、今も時々思い出します。
ほんとに素敵な映画でした。
おすすめします✨