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少しずつ変わってく。
何か新しいことをしてみたいと思うようになってきました。
だけど具体的に何もできていません。
もしできるのであれば、お話を書く時と短歌や俳句を公開する時、そうしてエッセイやつぶやきを公開する時、名前を分けてみたらどうかなぁ?と考えて、実際にハンドルネームもできています。
でもまだどんなふうに変えたらいいのか、具体的にはわからなくてできていません。
いろんな知識がないと言う事は本当に困ったことです。
こんな風にできたらいいなぁ、あんなこともしてみたいなぁ、こういうものを使ってみたいなぁ、いろんなことを考えても実際にしなければないのと同じです。
物理的にはできるはずなのに知識がなかったり、行動力がなかったり、決意できなかったりして、何もしないまま時間が過ぎてしまうのが1番もったいないと思うようになったのですが、実際の行動に移ることか難しく、自分にがっかりしています。
それでも少しずつ、必要に迫られて行動をしているうちにできるようになったり覚えたことがいくつかあります。
時間はかかってしまいましたが、本当にちょっとずつできるようになったことがあるなぁ、そう思うと、がんばった自分を褒めてあげたいと考えるようになりました。
だからちょっとだけ自分にご褒美をあげようかなぁと思っています。
具体的にそれがどんなものなのか、まだちょっとわからないですが。
毎日書くことで少しずつ俳句や短歌のリズムがわかってきたような気がしています。
そしてまとまった文章を書くためには外に出て何かを見たり実際に行動したりしないと難しいということもわかりました。
ものすごく遠くに行ったり、特別なことをするのは今の私には難しいので、もう少し細やかな小さなことからいろんなことを感じ取ったりするしかないと思っています。
だから私にとって電車で1、2時間かけて出かけていろいろな絵を見る事は結構大きな出来事です。
その途中で見る景色、出会う人たち、感じ取ること、日常から少し離れていつもとは違う行動をとることは、私にとってとても大きな出来事なのです。
絵を見る事は本当に静かな作業だと思っていたのですが、決してそんな事はなく、絵の中に描かれている描いた人の伝えたいこと、見せたいものが、ものすごい勢いで自分の中に入ってきて、心が大きく動いたり頭の中がすごい勢いでそこから受ける情報を自分なりに理解しようとしたり、色や形や、その絵を描いた人も勢いや思いまで感じ取ってしまうような気がして、考えもしないくらい気力や体力が必要な作業だと実際やってみて強く感じるようになりました。
どうしても絵と自分の間に距離を置いて眺める、というような見方ができなくて、その絵の中の世界に引き込まれて埋没していってしまうのです。
文章を書くようになった時もそうだったのですが、実際自分が向き合ってみると、それをしないでいた時とは全く違う感覚が得られるようになったことは新しい発見で驚きでした。
絵を見ている時も、文章を書いている時も、他の事は全て忘れてしまってそれだけに集中できます。
その集中がもっともっと深まっていったら何かが変わるのかなぁ?
とか、考えるようになりました。
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![竹原なつ美](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87771317/profile_685d1cdce10eb5d32ab128e89494689c.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)