わたしたちが物に囲まれて暮らしているのは、手放すのが怖いから
今日も熊本から書いている。朝は激しい雨が降っていたが、その後は晴れて快適だった。特に夜。もう秋が来ているね。やっと、と言うべきか。
今回はいわゆる断捨離について。
1年半以上旅をしているわたしだが、荷物はリュック二つ分ほどしかない。最近はテントや寝袋も手放した。
物を手放すことについてあれこれ考えてみたので、それを書き連ねてみる。
わたしたちは日常生活の中でさまざまな物に囲まれて過ごしている。これには家具、洋服、本、電化製品、そして数え切れないほどのその他のアイテムが含まれている。
なぜ私たちはこれらの物を持ち続け、手放すことをためらうのだろうか?その理由は、手放すことが怖いからだよな。
所有した物に対して、わたしたちは自分のアイデンティティの一部を感じるようになる。
例えば、お気に入りの洋服や家具は、わたしたちのスタイルや趣味を反映している。それらを手放すことは、自分自身を表現する手段を失うことと結びついており、それは残酷なほど恐ろしいことだ。
それらが無くなってしまうと、まるでわたしはわたしでいられなくなるんじゃないか、というような不安に陥るのではないか。
だからこそ、古くなった服や家具を置いておくことがある。それは、私たちの過去やアイデンティティへのつながりを保つためだよな。
また、物を所有することは、安心感や快適さを提供することがある。例えば、大切な本や電化製品は、私たちの日常生活を豊かにする役割を果たす。
これらを手放すことは、将来的に何かが必要になったときに備えている感覚を奪うことに繋がるだろう。
未来に発生するかもしれない不安の排除、として物を所有する。
さらに、わたしたちの周りの物には、過去の出来事や人間関係との結びつきを持つものがある。例えば、特別な贈り物や家族の遺産として受け継いだものは、感情的な価値を持っている。
これらを手放すには、過去とのつながりを切ることに繋がり、それが心理的負担になっている。だからこそ、わたしたちはこれらの物を保管し、大切にするんだよな。
断捨離において大切なのは、本当に必要なものを見極めることではなく、手放すことを恐れない、という意識をどう持つかが大切な気がしてくる。
この意識を持つためにすべきことは、一度手放してみることなんじゃないかと思う。
手元から一旦離してみる。身の回りから遠ざける。それから自分にとって本当に必要か、不必要か判断できよう。
「あれ?意外となくても大丈夫だ」
「やっぱりこれは必要だ」
不安というものは、体験してないからこそ大きく思えてしまったりする。
思い切って手放してみよう。要るものはまた手に入れれば良いのだから。
それに、わたしたちを私たちたらしめているものの何かに気がつけると、少し肩の荷が降りた様に思えるかもね。