10年間抱き続けた違和感。取り除いてくれたのは『梨泰院クラス』でした。
『梨泰院クラス』。Netflixでいつもオススメに上がってくるから気になっていたけれど、見始めたらハマってしまうと分かっていたからずっと避けていた。でも、「仕事も恋愛も全部頑張ろうってなりますよ!」という声を聞いて、何かを求めて見始めた。
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学生時代、わたしは「努力」という言葉が大好きだった。
「努力」を知ったのは、おそらく高校受験の時。朝3時まで泣きながら勉強し、100点取れなければ怒鳴られ、それでも必死に食いしばって勉強し続けた。
高校に入ってからも、ひたすらに「努力」し続け、受験期には「努力は素質を上回り、気力は実力を超える」という言葉に支えられていた。
そして浪人し、「報われない努力がある」と知った。でも、「努力をしなければ報われない」。そう信じ続けた。
そしてわたしは浪人時代、「ミスストイック」と呼ばれるようになった。
ひたすら勉強だけに打ち込んだ受験時代。
10年経った今でも、あの頃の自分を超えられていない気がしていた。
「毎日楽しく生きる」ことがモットーだから、毎日楽しい。でも、「いつの自分が一番理想か」と言われると、いつも過去の自分が目に浮かぶ。今の自分は全然頑張れてない。ずっとそう思い続けてきた。
特に、お父さんが亡くなってからは、その度合いが増した。
「生きているだけで幸せ」。心の底からそう思えるようになった。だから、別に頑張らなくたって、何かに必死になっていなくたって、毎日目が覚めるだけで幸せだって思ってた。
でも、心のどこかで、過去の自分を超えられない、今の自分に満足しきれない、「このままでいいんだろうか」という漠然とした不安を感じていた。
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『梨泰院クラス』は主人公・セロイが、「信念を曲げるな」という父の教えを貫き通す。彼は不条理な謝罪を求められても、決して屈しない。
「1回ぐらい、いいじゃん」
そう言われた時、セロイは言った。
「1回だけ?最後に1回、もう1回。一瞬は楽になる。だけど繰り返すうち、人は変わる。」
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わたしには、今の自分と昔の自分、何が違うのかが分からなかった。今だって充分頑張って生きてる。そんなに大きな違いはない気がしていた。
確かに、大きな違いはなかった。
違いは、小さな小さな「1回だけ」の、積み重ねだった。
1回ぐらい、サボってもいいや。
最後の1回だけ。
あと1回だけ。
そうやって「1回だけ」を許しているうちに、いつの間にか、変わってしまった。大きな大きな、差が生まれてしまった。
1回ずつの小さな罪悪感が、私を苦しめる漠然とした不安感になっていた。
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時に自分を甘やかすことは、長く生きていくためには必要なことかもしれない。でも、わたしは、自分に正直に生きていきたい。
「1回だけ」を許したら、私は絶対に後悔するんだよ。
「あーまたやっちゃったな」
そうやって、今の自分を嫌いになっていくんだよ。
そんなに大きなことじゃない。
小さな小さな、1つ1つの積み重ねでしかない。
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何かが大きく変わってしまったわけじゃない。
そう確信できたことに、ホッとしてる自分がいる。
一方で、少しの差が、大きな差になってしまうこと。
自分の感じていた違和感が「罪悪感」だったこと。
そして、これからの自分が、どうやって生きてけばよいのかが、分かった気がする。
まさか、こんなタイミングで、こうやって気づくことになるとはな。
ああ、これでまた、自分の自信を取り戻して、強く生きていけそうだ。
セロイくん。ありがとう。
さて、何度もの「諦め」が積み重なった、洗い物の山を片付けて寝よう。