~(微)毒親への気づき~「でも私可愛いほうだから」といった50代後半の毒母
母と最後に行った旅行の最中、しわくちゃの毒母はこう言った。
「でも私可愛いほうだから」
耳を疑った。
これが20代のちょっとかわいくて生意気な女ならわかる。
だがこう発言したのは子持ちの、60に差し掛かろうとしてる、おばさんなのである。ぞっとした。
母は確かに若いころ綺麗な方ではあった。大人しい割に彼氏もそこそこ切らしたことがなく、私も授業参観等で他の母親たちを見てうちの母は外見だけは綺麗な方なのだなと思ったほどである。
だがそれは田舎での話だ。
都会に行けば年を重ねても芸能人のように美しい人がたくさんいる。あの美しい人たちの中に母が入れば途端に田舎のダサいオバサンになるのは目に見えている。
母はずっと井の中の蛙なのだ、と気づいて猛烈に恥ずかしくなった。
と同時に外見に対する自信を私にアピールしてくることに腹が立った。
というのも私は外見でいじめられた経験があるからである。
いじめられていた当時は毎日母に父と祖母の悪口や愚痴を聞かされ、とても直接相談できる環境では無かった。家庭内不和でいつもピリピリした空気があって心がまるで休まらない。それとなくいじめのことを両親に匂わせてみても「それくらいで」と笑われるのが常である。だからいじめは我慢しなければならないものと認識された。あの頃は毎日寝る前にひっそりと泣いていた。
学校でいじめられている私に両親は自分の心配事や悪口・愚痴、子供の失敗を責めるなど追い打ちをかけた。そんな両親に私は心配をかけまいとニコニコと作り笑いをしていた。それを見た母は「学校、楽しそうでいいわね」と言い放った。いじめっ子の顔を見せると「かわいいわね」とまで言い放った。
旅行中の母の一言で私は上記のような様々な記憶がフラッシュバックした。
そして気づいた。
好きだと思っていた母は実は毒母なのでは?と。
思えば母は昔から外見至上主義だ。(今では丸々肥えてしまった父も母曰く当時は良い方だったらしい。)
母も父もブサイクや陰キャにとことん厳しい。
母はオタク系を気持ち悪いと言うし、父は私の外見を馬鹿にする。
母は○○ちゃん(私)はブスじゃないというがそう思い込みたいだけである。自分の子供がブスであってはならない陰キャであってはならないという態度がひしひしと伝わってくる。だから私が「私はあなたの馬鹿にしているオタク系ですよ」と伝えると必死で否定してくる。そのままの子供を受け止められないのである。
また母は他人の目(特に立場の強い者)を一番に気にする。自分のやりたいことやしたいことよりも、だ。いい人に見られたいのである。そのストレスを子供にぶつける。
私は良い人アピールする母を昔から逐一褒める係をやらされていた。褒めないで無視すると不機嫌をぶつけてくる。(大きな音を立てたりする)
また、両親は失敗する子供を馬鹿にしたり「なんでできないの?」と責めたりあざ笑うところがあった。
上記の経験から、「美しくなければ馬鹿にされて当たり前」、「他人は怖いもので裏では悪口を言っている」、「強い者の機嫌をとらねばならない」、「チャレンジすること失敗することは恥ずかしく怖いもの」、という歪んだ思想を植え付けられた。
いつ爆発するかわからない怒りを持った母に私は恐怖を覚えていた。…はずなのになぜか好意を覚えていると勘違いした。これは後から考えるとストックホルム症候群みたいなものではないかと思う。
うちの母ってヤバい?と気づいてから私はLINEの返事をそっけなく返すことにした。そうしているとある日手紙や長文LINEが送られてきた。一見、私が怒ったことへの謝罪の体をなしてるが、その内容は「立場の強い者」になった私からの「許し」を貰おうとするものであった。気味が悪かった。
そしてところどころに「自分で生活し働いてる子供で良かった」などの毒親特有の「条件付きの愛」が示される内容と自分はこれだけ頑張ってきたアピールが書かれていた。
結局自分のことばかりか、と呆れたし失望した。
私はとうとうキレてLINEで怒りまくったのち、関わってほしくないと暗に言ったのち既読無視することにした。
しばらく返信が無かったがコロナ騒動のタイミングで両親から別々に連絡が来ていた。(この両親は仲が悪いので相手に知らせず別々に連絡してくるところがある)
「マスクいるー? ^^」じゃねえよ。
謝ったからそれでチャラだよねと思っていなきゃ普通こんな風にLINEできない。
何も反省しないのが毒親だとネットや本で散々見たがそのとおりである。
結局毒親に怒っても責めても反省したふりをするだけなのだ。自分たちが毒そのものだから関わらない方が子の幸せだとは気づかない。ある意味幸せな脳だと思う。
私は両親に反省や改善を期待するのをやめ、そっと無視した。
いまだに毒親に苦しめられる夢を見る。
だが離れて少しずつ毒が抜けてきているように感じる。
毒親経験で歪んだ考えはこう変わった。
「美しくなければ馬鹿にされて当たり前」
→外見で判断しない人もいてそういう人たちを大切にすると自然と周りに心豊かな人が増えていく
「他人は怖いもので裏では悪口を言っている」
→そういう人もいるしそうでない人もいる。裏表なく優しく心の綺麗な人はたくさんいる
「強い者の機嫌をとらねばならない」
→自分が仲良くしたい人にだけ対等に親切にすればいい
「チャレンジすること失敗することは恥ずかしく怖いもの」
→失敗すればそこから学びが生まれ段々賢くなっていく。失敗に無駄はない。何度でも失敗して良い
やはり毒親は百害あって一利なしなのだなと日々実感している。
両親の何が一番悪かったのだろうと考えるとやはり人(子供)の心に寄り添えなかったことに尽きると思う。自分が不幸で被害者だという主張を常にしていて子供の気持ちを考えられない人達であった。だから正論で責められると反省したふりはするものの絶対に逆ギレしてくる。自分が自分が、なのである。きっとずーっとそういう子供じみた感覚で生きてきた母だから「「私可愛いほうだから」という年齢に見合わない言葉が出てきたのだろう。
私は親の親をさせられていたのだなあと思う。
両親に対する恨みはなかなか消えないが、少しでも好きなことをする時間を増やし、大切にしてくれる人を大切にし、これからの人生を生きていきたいと思う。
※今回は母の毒ばかり書きましたが父も相当な毒です