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スターシードの子どもたちは生まれた時から大人のハート ②ー2 (長女誕生 つづき)


退院してからの赤ちゃんとの暮らし 


退院直後しばらくは長男が実家に預けられていたので、夜以外は赤ちゃんと二人だけの暮らしでした。

新築戸建ての部屋には二階と一階にベビーベッドがあって一つはもらったものでもう一つは長男の時に使っていたものですが、とても便利でした。

朝起きて母乳を飲んで、お昼前後にはキッチンでベビーバスの沐浴をして、日中はゆったりと過ごせていたような気もします。


退院直後の生後2週間をすぎた頃のことです。

毎朝起きたらなーなを抱いて一階のベッドに移動するのですが、その日は朝早くよく寝ていたからそのまま二階のベッドの柵をしないで一階に降りて、少し離れた特別な部屋で自分の潔癖症対処をしていたら時間がやむおえず長引いてしまい、やっと二階に戻れたら、
なーなはベッドの下の床に落ちていたのです。

エーッ!

落ちてるー!


まさか、こんなに動くなんて・・・

長男はおとなしくて絶対にベッドから落ちるなんてなかったから、ベッドの柵も月齢か上がるまではしなくてよかったのですが、

娘はお腹でもよく動いて活発だったし…

落ちてしまいました

退院した直後だったからまだそんなに動かないと思っていたのです。

落ちてからけっこう時間が経っていたのか、床にうつ伏せになって泣き疲れたみたいで、
力なく「ふにゅ〜」と小さな声を出しました。

なーな!


慌てて抱き上げました。


床に落ちている小さな赤ちゃんなーなを見た瞬間

びっくり通り越して

一瞬言葉も出なくて・・


ごめんよ ごめんよ
早く戻れなくて・・

こんなとこに落ちてしまって・・

痛かったなー

どうもないかなー

よっぽど動いたんや・・

ずっとこんな状態で待ってたんや・・

誰もいなくて不安でこわかったなー

さみしかったなー


泣いて呼んでも届かないから泣きつかれてしまっていたみたいで、

小さな体を何度も何度も撫でて抱きしめていました。


よく眠っていてもいつものように一階へ一緒に降りるか、せめてベッドの柵をしておけばよかったのですが…ハプニングがおきる時はそういう何かがいつもとは違ってしまってるんです。


赤ちゃんが眠っている間に、普段はなかなかできない私の潔癖症作業をしていたから、

その間めちゃきつくてしんどい状態になるので、強い不安みたいな焦りみたいな波動を感じて起きてしまい、その波動に共振して強くバタバタ動いているうちに落ちてしまったのだろうと思いました。


強迫観念波動は普段の日常波動とは異なり自分を縛る強いエネルギーなので、硬くて重い波動になります。

頑張りまくるし、作業に集中する緊張感が続きマイナスエネルギーが強いから、離れていても赤ちゃんには恐怖感で全部通じてしまったのでしょう。

生まれて間もないから、やっぱりエネルギーは完全に繋がっているんだ、てことをあらためて実感しました。


寝返りをした頃、なーちゃんは時々コットンをくわえて遊んでいました。

他にもユニークなポーズやクセや動き方があって、明るくておもしろくてとーっても楽しい赤ちゃんでした。


午後は学校から帰った兄と遊ぶ毎日ですがこんなハプニングがありました。

つかまり立ちをしていた頃、ベッドの外にいたお兄ちゃんに届きたくて、両手を広げ柵から勢いよく乗り出した瞬間、頭から畳の床に向けて逆さま(?)に落下しそうになったのですが・・・

赤ちゃんなーなは、くるりんと前回りに空中で一回転してみごとに赤ちゃん着地をしたのです。

回転不足はなく、完璧な空中回転でした。

着地もしりもちをつかずに上手くピタッと決めました。

赤ちゃんオリンピックがあったら、アクロバットベビー部門のメダル候補です!


最初の子の時は離乳食を色々とたくさんこまめに作っていましたが、二人目では家族と同じ食事から柔らかくして食べることが多く、おかゆもあまり食べないから7ヶ月くらいでいきなりご飯を食べ始めました。
(どこにでもある子育ての景色かな…)


自宅では、強迫観念家事に追われてしまうので、産院でのようなゆったりしたふれあいはだんだん少なくなってしまいました。

あの頃は、まだ右掌ヘルペスの為の手袋をしてたし、とにかく頑張ってしまっていました。

特に自分ペースの自分軸ではなくて、「〜しなければいけない」だらけの封建的な潜在意識の中にはまっていたから、夫の為の家事をしなければいけないという昔のご主人さま中心の「主婦主婦」呪縛でした。

今なら絶対にそんなことに無理しないし、家事よりもまず自分ファーストで赤ちゃんと思いっきりゆったりと過ごしますよ!


敏感な娘はそういうストレスを感じてよく下痢をしていたから、退院した直後はしょっちゅうベビーバスでおしりを洗っていたのを思い出します。

皮膚がデリケートで拭いたら痛いからお湯でそっと洗ってました。

頻繁に下痢を繰り返した時はそっと洗ってもすぐまた下痢して・・
また洗って・・
何回も止まらなかった時もあり、とうとううっすら血が滲んできて赤ちゃんなーなは痛くて泣きまくり・・

大きくため息をついてなんとかしようとするのをあきらめたら、追われる焦りの波動から抜け出せてだんだん下痢も治まっていったような記憶も残っています。


退院後一ヶ月は、当時の夫が夕食を作りましたが、「一ヶ月だけ作ってやる」と、高圧的で義務的で、マニュアル的な会社のルールみたいに一ヶ月間と勝手に決めて一ヶ月でピタッと夕食作りは終了しました。

彼なりの前向き協力のつもりだったと思いますが…

彼の方がせかせかしていて、普段も強迫観念が強い人で、支配的な縛るエネルギーを吸い取られてしまう関係性でした。


今から思えば私はエンパスだから、彼から受ける支配的なネガティブ波動がかなり影響していたのだと思います。


産後あんなによく出ていた母乳は、だんだん出が惡くなってきて数ヶ月後には混合になって、1歳になったからということで母乳を終わってしまったように思います。



最初の夫との結婚はお見合いで、エネルギーを奪われるような感覚から逃れよう離れようとしたけど、母親が気に入りすぎて強い思い込み押し付けに「NO」と言い切れず、結局自分の望まない親の為の呪縛的な結婚をしてしまったのです。

昔の家と家の結婚でしたから、幼少期から親の敷いたレールの被害者意識プロセスの最終地点でした。

大学は父親が喜ぶ為の選択をして、それまでも幼少期からずっと両親の為のお利口さん人生を選択してきた典型的な他人軸自己犠牲(地球体験)シナリオでした。


そんな結婚でしたから、私は夫を潜在的に全身拒否していたし、二人目は不可能だと思っていたけど、命の本質へ導かれはじめて奇跡的にその時だけ不思議な調和の力が働いたみたいで念願の女の子が生まれたのです。

赤ちゃんがどうしても降りてこないといけない時は、上で大きな力が働いて調整をすると知人が言ってました。


その1年後には子ども達から背中を押されて離婚が成立しました。


なーなは母の私を離婚へ導いて、

次の光のステージへ進む為に生まれてきてくれたような赤ちゃんでした。

(同じ頃、長男は父親に離婚メッセージを伝えていました)
  

これ以上、子どもの為に我慢と忍耐と努力の家庭生活(良い主婦の自己犠牲)を頑張るなという子どもたちからのメッセージでした。


光の扉が開き、
長男と共に命の本質へ繋がって、そこになーなが降りてきてステージが進みました。


こうして文字にしていると、めちゃくちゃかわいかった赤ちゃん時代を再び感じることができて嬉しくなります。


退院後、長男&長女の愛と光のステージがはじまります。

この時のことは別の記事に書いてみます。


兄と妹の幸せふれあいは、
前の記事「スターシードの子どもたちは生まれた時から大人のハート ①(長男が生まれて)」
長男のハッピー妹育て
にも書いています。




関連記事として、帝王切開で生まれた第一子と第二子から3番目の子の自宅水中出産体験記をブログの一番最初に投稿しています。

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