羽ばたいて ② (宮古島 大神島へ)
宮古島へ
ぷらすわんで宮古島の話が盛り上がり、ライトステップの宮古島行きが決まりました。
宮古島では、じいちゃんの娘さん夫婦と双子の女の子(当時小学生)が家族で移住して田舎暮らしを楽しんでいました。
のんびりすぎて退屈なくらい平和な暮らしをされている感じでした。
2月に入り、ライトステップから一番先にパートナーが宮古島へ出発しました。
じいちゃんが旅費を出してくれたくらい、強く導かれていました。
私が一緒に行くのをちょっとためらっていたような記憶がうっすらとありますが、
「(先に行くから)後から必ず来てほしい」 と彼は言って出発しました。
パートナーは、名古屋へ羽ばたく前は経営コンサルタントの仕事をしていて、ガチガチの固い波動だったのです。
彼も羽ばたいてからは急展開の変化の流れで、宮古島には確実に呼ばれていたのでしょう。
宮古島に到着してからは、自由にありのままの日々を過ごしていました。
朝、好きな時に起きて、好きな時にチャネルアートを書いて、眠たくなったらそのままパタンと寝て、また、目が覚めたら、好きに絵を書いて、また、好きに眠る・・
好きな時に散歩したり、気の向くままに、海を見に行ったり・・
ゆっくり流れる時間の中で、思いっきり自由に過ごして思いっきり開放されていったのです。
そこに降りてきた絵が
「天と地の統合」というエネルギーの素晴らしいチャネルアートでした。
「ai」(愛)とネーミングしていました。
高い次元から降りた高い波動のめちゃくちゃステキなメッセージアートは、シンプルに描かれていて超綺麗でした。
その絵を見たら、涙する人もいました。
この絵をチャネルしておろす為にも、彼には絶対に宮古島の癒しが必要で、自由にありのままにこの一人の時間が宇宙に用意されていたのです。
後から私が行くまでには、ちょっと私の迷いがあって、チャネラーYさんの個人セッションを受けました。
何かのブロックが弾ける感覚があったので、やはり宮古島へ行くことを決心をしました。
(彼も私へのあるブロックがあって、宮古島へ行くまでにはそこを手放していなかったのかもしれません。)
宮古島空港では、パートナーが出迎えてくれていました。
日焼けをして、ヒゲものびて、超自然体の姿で空港の出口の扉のところに来てくれていました。
久々に顔を見たら
やっぱり来て良かったー!!
とほっとする気持ちがありました。
宮古島は亜熱帯海洋性気候で1年中温かく、年平均気温は23℃〜24℃です。
訪れた時期は2月でしたが半袖で過ごし、
海は少し低めの水温ですが、泳げました。
なんか、普段は不可能なことも可能になって、開放されて癒されていく宮古島です。
空港からYさん家まで行く途中の海には、宮古の熱帯魚が歓迎してくれました。
「こんにちは、宮古に来れて嬉しいです。
出迎えてくれてありがとう。」
と挨拶をしたら、伝わっているような気がしました。
途中ビーチに寄りました。
たぶん砂山ビーチだったと思います。
白い砂と珊瑚は、故郷和歌山県の白崎海岸の石灰岩や白良浜の白い砂と似ています。
(石灰岩は、サンゴや貝殻などの海生生物の死骸からできていて元は珊瑚)
2月の海では誰もいなかったので、水着を持ってないから服を脱いで肌着でのままで泳ぎました。
4分間ほど素潜りができる彼は、思いっきり泳ぎまくっていました。
足元にはかわいい熱帯魚が近寄ってきて足の周りを泳いでいて逃げません。
人懐っこくてかわいい魚くんでした。
透き通るようなエメラルドグリーンの珊瑚で輝く海の中は、母体の羊水の中にいるような優しい世界でした。
星の砂、と呼ばれている小さな貝殻みたいなのが砂浜に混ざっていて、二人でたくさん拾い集めました。
「星の砂」は、砂ではなくて有孔虫という単細胞生物の殻です。
海藻にくっついて生息し、寿命を終えた後、殻が海底に沈んで波で浜にうちあげられたものです。
有孔虫の種類が異なるもので「太陽の砂」と呼ばれている形のものもあります。
この自然が作り出した不思議な形は、限定された場所でしか見れない自然からのステキな贈り物だということです。
砂山ビーチの夕日も、故郷白崎海岸の絶景に似ていました。
ライトステップじいちゃんの娘Yさんの宮古島の家では、何にも無い部屋の床の上に寝袋を用意してくれていて、そこがゲストハウスの部屋でした。
ゲストハウスから東平安名崎(ひがしへんなざき)までは比較的近い距離にあり、
日中は絶景の岬まで二人で自転車を漕いで出かけました。
東平安名崎は宮古島の絶景スポットです。
(東平安名岬とも書きます)
宮古島最東端に突き出した長さ約2km、幅約200mほどの細長い岬になっているので、先端では360度の大パノラマ絶景が見れて、朝日が水平線から上るのは感動すぎるアートです。
灯台の螺旋階段を登りきって、上に出たら、
左に東シナ海、右に太平洋の360°特大パノラマ絶景の宮古ブルー全体を見下ろせます。
東平安名崎へほとんど毎日自転車で往復しては、まーるい果てしなく続く水平線の大パノラマ宮古ブルーを眺めながら、ゆっくり流れる時間の中を夕方までのんびり過ごしました。
ぷらすわんのDANCEwithGAIAの詩を一緒に歌いながら…
ひらく ひらく
空がひらく〜🎵
ひらく ひらく
海かひらく〜🎵
道端にはハイビスカスが咲いていました。
私が宮古島に着いてからしばらくして、Yさんの旦那さんが、
「夜、東平安名崎の星空を見に行ってきたらいいよ」
というメッセージを伝えてくれました。
貸してくれた車にはエンヤのミュージックを用意してくれていて、
二人でワクワク満タン!
ハート全開!
エンヤのメロディーはその夜のエネルギーにピッタリで、メロディーに乗って超感動のステージ東平安名崎へと車を走らせました。
到着して 車から降りて
夜空を見上げました。
なんとー
すんごーい空!!
360度見わたせる夜空はまーるくなっていて、その下の方にはまーるい宇宙(そら)を支えるように翼の形をした雲が大きく翼を広げているような光景でした。
あまりにも素晴らしすぎる夜空に
ただただ両手を広げて感動しかありませんでした。
表現する言葉が見つかりません。
普通は絶対に見れない特別な星空でした。
宮古島宇宙からの凄すぎるアートを届けてくれたのです。
(最南端の)ここからスタートして北へ北へと思いっきり羽ばたいていきなさい、と宇宙から言われているような気がしました。
ギザギザに動く星のクリスタルベルも来てくれていたと思います。
大神島へ
それから数日後に、スリッパで繋がった人Mさんと他1名が名古屋からやってきました。
そうして、みんなで大神島へ行くことになりました。
大神島は
「神様が住む島」
と言われていて、宮古島から4㌔の離島、船で約15分、住人約20数人の小さな島です。
集落以外は、立入禁止区域がたくさんあって手つかずの自然がいっぱいの神秘的な島で、島全体が聖域(パワースポット)です。
洞窟のようなところへ入ったり、なかなか登れないような高いところへ登るとそこから見下ろす海は絶景でした。
先が崖になっているようなところでは、パートナーが一瞬下に吸い込まれそうになったり…
ところどころ断片的にしか覚えていないのですが、みんなで自然散策を楽しみました。
大神島の神秘的な自然を思いっきり味わって、みんなで帰りの船に乗りました。
空を見上げると
のろしのように、水平線からまっすぐ上に上る飛行機曇型のクリスタルベルが現れました。
のろしだー!!
宮古島は、始まりを感じさせてくれる開放と癒しの地。
大神島の神々から確かな始まりの合図
「のろし噴射ベル」
でした。
その後、Yさん家族とみんなで食事をしながら宇宙の話しをしている時のひとコマですが・・
「色んなメッセージがきて、めちゃくちゃステキに興味をひかされては、馬が人参を追いかけるように、そこへ走って行ったり、行動したり・・
人参につられて動かされてるよね・・」
みたいな内容でした。
そしたらその翌日、近所の人が畑でとれた人参山盛りを持ってきてくださったのです。
「人参きたー!」
Yさん、思わず叫んでました。
ガゴに大盛りの人参でしたから、
色んな活躍が待ってるよー!
人参を楽しんでねー!
と宇宙さんが言っているみたいな感じでした。
他には、西平安名崎や他のビーチも訪れたり、ドイツ文化村にも行ったような記憶です。
宮古島発祥の地と言われる紫芋も食べました。
めちゃくちゃおいしかった!!
しばらく紫芋のファンになっていました。
宮古島の中心地平良にも出かけていきました。
食事をしてショッピングも楽しみ、ルビーをイメージするような赤い石の指輪をパートナーが買ってくれました。
大切な宮古島イメージリングでした。
大神島からその後1週間くらいして、Mさん達は先に名古屋へ帰りました。
私は、2週間か3週間くらいの滞在、パートナーは約1ヶ月間くらい滞在していたと思います。
宮古島では今後の私達の暮らしには繋がらないので、
九州へ導かれていく流れを感じて宮古島を出る意思表示をし、一旦名古屋へ帰ることになりました。
帰りは二人一緒の飛行機です。
宮古島滞在中に、ゆいまーるという言葉に出会いました。
パートナーは思いっきり気にいって、
自分達のヒーリングスペースは
「ゆいま〜る」
にしよう!
と即決でした。
ゆいまーるは
やすらぎ
おだやかさ
安心感
助け合いの心
平等に分かち合う心
人と人の絆
を意味します
「ゆいまーる」の根底には、相互扶助と平等の原則があります。
沖縄県民の心に深く浸透している考え方で、どんな時も助け合い生きていく、固く結ばれた絆を表現しています。
伊勢神宮へ
宮古島から帰って3月には、パートナー、じいちゃん、Mさん、私の4人で伊勢神宮を訪れる流れになります。
突然、思いたって伊勢神宮へ行こうと言い出したら、直ぐに出発することになりました。
楽しい4人のドライブになり
子供のようにはしゃぎまくりながら伊勢神宮に到着。
愛車トゥディくんはいつも大活躍です。
到着して突然、パートナーは伊勢神宮の直ぐそばの床屋で髪を丸刈りにしたのです。
神宮へ入る前のみそぎでした。
それ以来彼は、4年後の早すぎる人生が終わる時までずーっと坊主頭でした。
4人はハッピー伊勢神宮の中を歩き、ワクワクてんこもりのめちゃくちゃ楽しいミニ旅行を満喫していました。
夜はYさんの知人(三重県在住)のお家に突然4人で押しかけて、一泊泊めていただいたのです。
その日は子供さんの卒業式の前日とも知らずに厚かましい4人でしたが、気持ちよく突然の訪問を受け入れてくださって、彼はボディワークの大サービス。
ありのまんま、子供のように4人は楽しみきっていて、あたたかくおもてなしをいただきました。
その頃の4人は、思いっきり楽しい宇宙人のライトステップファミリーでした。
パートナーのユーモアいっぱいのカリスマ性は、周りを明るく愉快に巻き込んでいきました。
3月末頃になると、じいちゃんの娘Yさんは宮古島を出てライトステップへ戻って暮らすことになり、私達は熊本へと移っていくことになりました。
羽ばたいた最初のステージ名古屋のライトステップの流れは、ここで終わりになりました。
ライトステップの思い出
ライトステップの暮らしでは、天河神社を訪れた後チャネルアートを描きはじめた頃に、ぷらすわん以外のスピリチュアルな集まりのあるスペースやカフェにも繋がり、必要な出会いが増えていきました。
当時は、数少ないタロットカードのリーディング個人セッションをされる方や、個性心理学を伝えてくれた方などに出会い、ライトステップにも来てくださったり、交流が深まって導かれていきました。
タロットカードのリーディングセッションも初めて受けたのですが、私の場合カードを必要とせずにストレートメッセージが正確に降りてきました。
たぶん、自分を信じて愛して進んでください…みたいな内容だったのだろうと思いますが、羽ばたく前の変化があまりにも過酷だったことについて、そのリーディングでは「(あまりにもきつすぎて)ごめんなさい」という表現で伝えられました。
(命を切られるような過酷な体験でしたから。)
宮古島の前か後か記憶がハッキリしないのですが、奈良から南下して、和歌山県新宮市の知人の家を訪れた時には、人を集めてくださりはじめて個人セッションをさせていただいて、
また、新宮市の浜辺で綺麗な石を拾い集めて、彼は石にも絵を書き始めました。
そこから和歌山県を北上し、田辺市いとこの家に立ち寄り田辺市の知人に会ったり、この時に書いてプレゼントした石のアートはいつまでも大切にお守りに持ってくださっいました。
大阪の知人宅まで北上する途中、故郷実家にも足を運び、実家の家族のおばさんにも石に絵を書いてあげました。
おばさんは亡くなるまでこの石を大切に仏壇にお供えしてくれていました。
両親よりも近所の人や二人のおばさんが彼との出会いをとても喜んでくれていました。
(両親は心配や不安の不信感が先にあるから、愛は必要な時に必要な人に流れません)
彼はチャネルアートを描きながら私達は必要な人に出会っていったのだと思います。
途中に出会った人達に無条件にチャネルアートを書いてあげたり石に絵を書いてプレゼントしたり、ワークへ繋がっていく前兆の流れを楽しんでいました。
移動費用など、必要なものは全部与えられて、ワーク等で上手く回っていました。
導かれているから、気の向くままに動けて楽しんでいたと思います。
名古屋では、宮古島で描き下ろしたチャネルアート「ai」(愛)のフレームを買ってマットをパステルパープルにしました。
絵は天を現す上部がパステルブルーで、地を現す下部がパステルピンクでしたから、周りはパステルパープルに。
愛車トゥディも本来はパープルを選ぶはずでしたし、私達を導く統合のイメージカラーでした。
この絵ともう一つの絵があって2枚をフレームに入れて、移動する時はいつも持っていくことになりました。
再び奈良県を南下する頃だったか時期をハッキリ思い出せないのですが、橿原市の宇宙人夫婦に2回目お会いした時、「ai」(愛)の絵を見た奥様の目からは涙が溢れだしました。
強すぎるエネルギーでフレームのガラスが割れてしまったというハプニングもおこりました。
また、最初に書き始めた12枚のメッセージアートは、色々な場所で書いたりしていました。
田辺市のいとこ宅では、
何番目か忘れましたが
「そのままでいいよ」のメッセージアートがおりて、そこに置いてきたのが、結果的に彼の形見になりましたが・・・
最後に大阪の知人宅で、12枚のメッセージアートは完成しました。
「ええねん」という言葉と絵が12番目ラストでした。
何があっても、ネガティブもそのまんま
自分にOKをだして
自分を許可していく
そんな意味が込められていました。
絵をおろす彼の瞳は
いつもキラッキラッで
満天の星空みたいでした。
あの頃は、喜びと希望に包まれて
瞬間 瞬間
いつも瞳は輝いていました。
嫌なことがあっても、あまり気にならないでいられたのは基本的には魂が望む生き方のステージにいたからです。
子供達と一緒に羽ばたけていたら、後にそのステージをおりて形を変えることはなかったかもしれません。
「羽ばたいて」をお読みくださり ありがとうございました。