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兄のハッピー妹育て



赤ちゃんが生まれて退院後、長男&長女の愛と光のステージがはじまります。


兄と妹の幸せふれあいは、
前の記事「スターシードの子どもたちは生まれた時から大人のハート ①(長男が生まれて)」
長男のハッピー妹育て
に書いていますが、
その部分だけここにも少し書いてみます。


兄のハッピー妹育て

なーなの大好きなお兄ちゃん

二人目長女が生まれて退院した時は、実家の母が協力のつもりで一時的に長男を実家に預ける流れになってしまいましたが、何となくひっかかっていました。
退院して長女と二人の生活が始まると、預けるのはやはり間違ってることを感じて、すぐに長男を赤ちゃんのいる自宅に戻しました。

実家に長男を預けるなんて自分が本当に望んだことではなく、私の本音はありがたくなかったことに気がついたのです。

両親や世の中の一般的概念に引っ張られて、預けなければいけない…みたいな錯覚になっていたと思います。

お兄ちゃんがいてくれた方が妹を大切にしてくれて色々助かるし、その方が楽しい時間が増えて家事も楽にできます。

実家から送ってきてもらった長男は、めちゃくちゃ嬉しそうに帰宅しました。 

彼も早く妹に会いたくてたまらなかったのです。


兄は思いっきり妹なーなをかわいがり、いてくれてホントに良かったと実感でした。
自分の感覚を信じて、最初から実家に預ける必要なんてなかったんだ…
もっと早く連れ戻せば良かったと強く思いました。

お兄ちゃんはなーなを無条件に可愛がり愛しました。  

兄は学校から帰ると、直ぐに簡単に宿題を済ませ、真っ直ぐ妹のベッドに入って一緒に遊び、夜寝るまでずーっと二人で部屋中を遊びまくりの毎日でした。


ベッドで一緒に遊んでいるうちに二人くっついて眠っていたり、
お兄ちゃんの背中におんぶされて走り回ったり、
ひな祭りには折り紙で手作り雛人形を作ってもらったり、
もう、かわいくてたまらないという感じでした。


お利口さんの良いお兄ちゃんなんかではなくて、
心から愛おしいさが溢れていて、なーなは大切に大切に可愛がられていました。


小学校の作文で、一番大切なものを書きましょう、というのがあって、
そこには「妹」とだけ書いていた、
と担任の先生が家庭訪問で感動を語ってくれました。

他の子はオモチャ等と書いてるのがほとんどの中、うちの子だけ妹と書いていたとのこと。

当時、 長男は生まれた妹赤ちゃんのことを、
「世界一かわいい赤ちゃん」

と、目をキラキラさせて言っていました。

ありったけの愛を込めた笑顔からは、完璧無条件の愛が溢れていました。


兄もまた、妹から愛されて癒されていきました。


愛てんこもりの微笑ましい兄妹でした。

なーなのお兄ちゃんはホントに父親以上でした。

だから、なーなも父親以上にめちゃくちゃお兄ちゃんを慕っていたし、
大きくなるまで彼女にとって最も信頼できる最愛の人でした。

兄と妹の超仲の良い関係性は大人になるまで続きました。

(複雑な環境の為に後々関係性は変わってしまいましたが、本来なら、大人になってもずっと信頼は変わらなかったと思います。)


スターシードの子どもは 特に愛深くそのままで輝きます。

ボディは子どもで小さくても、ハートはとーっても大きくて大人です。



  ステキな兄と妹

長男9歳、長女2歳くらいの頃、ある波動の高い場所を訪れた時に、そこで出会ったおばあちゃんが、この兄と妹の在り方を観ていて言いました。

「素晴らしい兄妹ですね。
どんな風に育てたのですか? 」


と感動を伝えてくれたのです。


私は、そのまま返答しました。

「私は特別な子育てとかを何にもしていません。
いつも、できるだけ対等に接することを心がけています。
自分は両親にされたような厳しいしつけや干渉的な関わりなど、されて嫌だった子育てを絶対にしないようにと思っていて・・
それでも、つい両親のような古い固定観念の反応や親都合の関わりになったり、自分ストレスで怒ってしまうことはよくあるから、
その後には心から抱きしめて、
ごめんよ、また怒ってしまって・・

本気で対等に謝ります。

しいて言えることはそれだけです。
しつけや教育的なことは特に何もしていないです。」
 
おばあちゃんには、そんなことを自然に自分の口から出てきました。

子供達は完全にわかっていますから、基本的に何も心配はなく、自分の人生を自分でちゃんと生きていく魂だということは、元々私なりに深い確信があるのです。


それは、ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの父親がトークしていた子育ての本質と同じ内容でした。  



子どもは生まれた時から翼をもっている

すっと後になって、長男が成人して結婚した頃だったか、一番下の子と暮らしていた部屋の片付けに長男が手伝いに来てくれていた時のことでした。

ノーベル平和賞受賞者マララさんのお父さんの講演がテレビから流れてきました。  
お父さんのコメントの一部の記憶です。

「他者からは、そんな素晴らしいお子さんに育ったのは、どんな風に育てられたのですか?
とよく質問されます。
ですが、私は特に何もしていません。

子供は、生まれた時から翼を持っています。

その翼を大切に信じてきただけです。

何かをしてやる、とか親の勝手な押し付けやしつけ、固定観念や決めつけというようなことを一切しないことです。

そういう風に
何かをどれだけしてやれたか…
ではなくて

『どれだけ何もしなかったか』

それが全てです。 」

と、コメントされていました。


そういう子育てルールみたいな不自然な余計なことをどれだけしなかったか、につきる、ということです。

私は、心底共感して聞いていました。

全く私の考えや感覚と同じことを言っていました。

私の子育てはこれが基本になっていて、これでよかったんだーと再確認できました。

簡単に言えば、
信じて見守る…という意味ですが、かなり根本的な深い原点からのトークで、宇宙意識に直結していました。



私がストレスを感じたのは、体は大人ですが中身が幼稚な子どもで古い固定観念だらけの「昔の価値観の人達」でした。

(特に昭和の象徴みたいな夫や両親)

彼らから受けるストレスは強く、そのイライラが身近にいる子供に流れてしまう・・・
そうすると、子供もストレスで困る状態が発生してきます。

ストレスになるのは、地球の責任感や義務感をはじめ、無条件の愛を遮られてしまうような古い固定観念の価値観や人や社会です。

自己否定の潜在意識は根底にありますが、
現実ストレスの大きな原因はその部分でした。


基本的に、子供達からストレスは直接ありません。  



それが、私が体験して実感した母性の本質につながる母と子の基本だと私は確信してきました。


言うまでもなく、夫婦で対等のパートナーシップは家庭の基本ですが、私なりに母と子の関係性について最も感じてきたことです。


本質を知らない人達に妨害されるまでは私達母と子の幸せは、根本的に何の問題もなかったです。



色々、語り尽くせない波乱万丈(地球)プロセスでスムーズに母と子が生きてこれなかったことは深い哀しみの奥に言葉にできないものがありますが、

子供達との関係性の根底には、ずーっとこの本質が私の中に在り続けています。




関連記事として、帝王切開で生まれた第一子と第二子から3番目の子の自宅水中出産体験記をブログの一番最初に投稿しています。


水中出産体験記https://note.com/tanoshiiuchuujin/n/nca7b9087fdc0


帝王切開を経てhttps://note.com/tanoshiiuchuujin/n/na6a950b415d8

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