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羽ばたいて ① (光の階段)


こんにちは♡

約26年前のワクワク体験をもう一つ 

名古屋〜宮古島へとスピリチュアルに導かれたお話です。

1997年秋〜1998年冬(2月に宮古島)の時期でした。


1997年は人生最大の強烈なターニングポイントが訪れていました。

命を切られたような衝撃すぎる出来事が起こり、そのすぐ後に大反転V字回復へと導かれていきました。
ショック状態がギリギリになってSOSヘルプを発した瞬間、ブロックしていたものが開いたのだと思います。

そして、8時間のありのまま特別セッションで高次元からエネルギー調整の後、10年余り自分を苦しめた強迫神経症(不潔恐怖症)は完全に消えてしまいました。

セッションは宇宙船の中にいるような特別な時間で、宇宙に全てを委ねて完璧でした。

元産業カウンセラーの友人が駆けつけてくれて個人セッションがはじまり、
潜在意識の書き換え「愛されていない⇒愛されている」をメインに、途中休憩してコンビニへおにぎりを買いにいったり、めっちゃ自由な流れでした。

セッション中に自己否定のネガティブ言葉を書いた紙を最後に燃やした時
炎が虹色に燃え上がりました。

感動でした!

エネルギー調整完了のサインだったと思います。

友人はセッションの形を進行しただけで、する側とされる側という形にすぎず、常に対等でした。
真のエネルギーが流れる時、
〜してあげる
〜してもらう
という上下感覚はなく「対等」なのです。

最初、友人がセッションは8時間と言ったらホントにぴったり8時間で終わり、友人も同時に思いっきり癒されていたのです。

その日は 7月7日 七夕でした。

セッション中の空間は、
高次元からシャワーのようにエネルギーが降り注がれていたのだと思います。


その後、約3ヶ月間の癒し期間を経て奇跡の飛躍へと導かれていきました。

そして、光の一歩を踏み出したのです。

この頃に、飛行機曇型クリスタルベルを初めて目にしました。
子供達と暮らした故郷のアパートを引き払って、いとこ宅へ一時的に移り、羽ばたく少し前だったような記憶です。

ふと空を見上げると、何となく飛行機曇そっくりだけど飛行機曇ではないような気がしたのです。
意識を向けて衝撃出来事の心配を話しかけたら
「大丈夫だよー」
という言葉がベルから返ってきました。


名古屋へ


羽ばたいてまず着地したのは名古屋でした。

名古屋の知人宅に暮らし始めたのは1997年の秋。

私よりも先に故郷(熊本)を飛び立ったパートナーから、なかなか故郷(和歌山)を出れていない私に電話が来て、彼は言いました。

「まだ、そんなところでうろうろしてるのかー?
こっちはもう先に出て静岡に来てるよ」
と。

名古屋ではなく、飛びすぎて静岡まで行ってしまっていました。

彼は最初なかなかお尻が上がらなかったけど、いきなり飛んだら飛びすぎたのでした。
彼らしい飛躍のスタートです。

その後、私も故郷を後に一旦いとこの家(田辺市)を一時期経由し、パートナーと和歌山駅で合流してようやく本格的に羽ばたいたのです。

その時期に、宇宙から用意されたステージが名古屋のスピリチュアルなお家でした。

それ以前にも一度スピワークで訪れていました。

パワーストーンのローズクォーツと出会えた場所です。

名古屋へ導かれて繋がっていく頃に、
「○○さんのところ(ライトステップ)へ行ってしばらく居させてもらいなさい」
と他者からも伝えられていたので、そこに行くようになっていたのだと思います。

(本当は上二人の子供達も一緒に行くはずでした)


名古屋の家はおじいちゃんの一人暮らしで、一階生活スペースは全面リフォームされてこじんまりとしたおしゃれな空間でした。
1階には主のじいちゃんが暮らし、2階はワンルームアパートが4部屋ありました。

2階ワンルームの一部屋をじいちゃんの娘さんがスピリチュアル活動スペース用に改装していて、みんなでシェアしたりお泊りができるようになっていました。
壁のクロスデザインは思いっきり遊び感覚で、海の中にいて周りには魚たちが泳いでいるような部屋のイメージでした。

 


あの頃は、スピリチュアルがまだまだ限られた人達にしか繋がっていかない土の時代の初期でした。
それでもその時期のスターシード、ライトワーカーが全国でどんどん繋がり初めていました。
アネモネが唯一宇宙情報誌だったのではないでしょうか…

ライトステップの暮らしは、日中はじいちゃんと一階で過ごし、夜2階で休みました。
じいちゃん、一人暮らしの寂しさもあって、私を気持ちよく受け入れてくれていました。
 
その頃、私より少し先に故郷を飛び立って名古屋を通り越してしまっていたパートナーは、週末に私とじいちゃんのいるライトステップへやって来るという状況でした。



映画「コンタクト」

名古屋の暮らしが始まった頃に映画「コンタクト」の上映がありました。
ジョディフォスター主演で、宇宙存在とコンタクトし、宇宙へワープして宇宙存在に会ってきたというストーリーです。


当時のスターシードやライトワーカーの多くはこの映画を見ていると思います。

高次元宇宙存在と地球人の共同制作です。

パートナーは熊本を出る時に見ていたので、私はじいちゃんと二人で見に行きました。

ちょっとステキなデート気分!!

じいちゃんはブレザーを新調して、何かワクワク気分で映画館へ一緒に出かけました。

このコンタクトのラストシーンでは、主人公の体を地上に残したまま意識だけが宇宙の星へワープしてそこで宇宙存在に会うというストーリーですが、その星は琴座のベガ星で到着した場所は海です。

ベガ星の海は、それまでに受けていたスピリチュアル個人セッションで観た高次元の星の海と全く同じでした。

スピワークでは、オレンジの天使と一緒に宇宙のどこかの星へ傷ついたネガティブ感情を手放しに行って、帰りはグリーンの天使と一緒にポジティブな感情に変えて持って帰る、というイメージワークでした。

その高次元の星がめちゃくちゃ綺麗な海で、コンタクトのラストシーンの海と同じだったのです。

映画を見る前に、先にその海を観ていたわけです。

私は普段は全く視えませんが、このワークの時だけは、イメージの中に鮮明に視えていました。

コンタクトのラストシーンを見ていたら突然涙が溢れ始めました。

溢れて溢れて 
嗚咽するくらい涙は止まりません。

しばらくの間 
ベガ星から地球に戻るまで泣き続けていました。
 

深い悦びの涙でした。


高次元宇宙の記憶感覚に繋がったのです。

感情ブロックの強かった我慢グセの私は、普段は悲しみでほとんど泣かないし、嗚咽するほど長く泣くこともありません。

コンタクトのそのラストシーンに涙が溢れまくったのはその時だけでした。
他で見てももうあの次元には繋がりませんでした。

いつも 高次元に繋がるのは
その時にその場所に用意されている 
導かれたタイミングだけでした。

その後も特別な高い宇宙エネルギーに繋がる時だけは、涙があふれて止まらないことが起きました。

スターシードは色々な星を経由して地球に来ると言われますが、故郷の星の一つが母性を強く現すクジラの星なのかもしれないです。

地球故郷の白崎海岸でクジラの星のエネルギーを感じたり、白崎の海で小さな息子を背中に乗せてクジラのように泳いだりしていたから、クジラの星には深い繋がりがあるのだと思います。


じいちゃんは、父親のような年齢ですから、私は父に満たされなかったものを真逆タイプのじいちゃんに癒されていたように思います。
じいちゃんの一人娘と私は同世代ですが、真逆タイプでしたからじいちゃんにとってもその時お互いに必要な繋がりだったのでしょう。

みんな宇宙人(スターシード)です。
(私の周りは、スターシードのことを宇宙人と言ってます)

当時は、ヒーラー養成コースというワークを受けていて、私を通して降りてくるエネルギーはちょっと特殊で、そこに繋がった人のサイキック能力が開かれる、と言われました。
対面はもちろん、電話で少し話すだけでもそのエネルギーが流れる、ということでした。

じいちゃんは、私と暮らすうちにサイキックが開いて高い次元が視えるようになり、エネルギーを流すことができるヒーラーさんになっていました。

パートナーもサイキックはしっかりオープンでした。

私自身は、サイキックは全く無いし地球シナリオには必要としていないみたいです。



光の階段


そんな名古屋での日々、週末には飛びすぎた静岡からパートナーがやってくるのですが、
週末ではないある日の夜、突然、彼がやって来たのです。

彼はメッセージを感じたら直感のまま即動く人でした。

私とじいちゃんは、超びっくり!!

週末まで待たなくて会えたのは嬉しかったけど、とにかく 
びっくり びっくり でした。

そうして、三人で突然のハッピータイムを楽しんでいたその時、

一階のステキなリビングの東のコーナーに、光の階段が現れたのです。

じいちゃん、思わず

「階段だー!!」

と叫びました。

部屋の東側の端に床から天井に向かって光の階段がのびていたのです。 


といっても私には視えませんが、じいちゃんとパートナーにはしっかりと視えていてはしゃぎながら説明してくれたので、その二人の視えている映像を私はキャッチしてイメージしたのだと思います。

白い光の階段のイメージは今もはっきりと残っています。

パートナーが突然やってきたのは単に会いたくてきたのではなくて、特別な何かを感じて導かれて来たのです。

それが、こんなステキなメッセージでした。

光の中 ステージが上昇していきます!

光の階段は、めちゃわかりやすいステップアップのメッセージでした。

名古屋始発でスピリチュアル活動開始の合図です。

パートナーはそのまま静岡の職場には戻らず、じいちゃん宅で一緒にしばらく暮らすことになりました。

光の階段は、すんごーくワクワクでした。

それから数ヶ月間、3人の楽しい癒しの日々が続きました。

確か光の階段が現れたその頃にじいちゃんの家のリビングを
「ライトステップ」
とみんなでネーミングしたと思います。

「ライト」は光
「ステップ」は階段を上るようにシフトするという意味です。



ライトステップ          & ぷらすわん


こうして光の階段が届けてくれたメッセージは「ライトステップ」の扉が開き、ヒーリングスペースとしてスタートしていくことになりました。

スピリチュアルな人達が、ポツリポツリと遊びに来たり、ワークに来たりするようになって、
近くにある「ぷらすわん」という宇宙人オーナーのカフェにも繋がっていきました。

このぷらすわんがミュージシャンを中心にスピリチュアル拠点の一つになっていました。

私には特別なご縁でした。


地球遊園地計画パート1
というスピ活動の名前で楽しい出会いが展開していました。

オーナーの名前イニシャルは
「E T」

「DANCE with GAIA」というタイトルで、メッセージがいっぱい詰まった光の詩をチャネリングして何曲か唄っていました。

中でも「翼」は 大好きな詩でした。
パートナーといつも口ずさんでいました。

宇宙ソウルの人同士がはじめて地上で出会っていく時期でしたから、そんな喜びいっぱいの出会いを歌詞にしてステキに唄っていました。
 
はるかな時をこえて〜
みどりの星に生まれ〜

いつかその時がきたら〜
どこへでもつれていく〜
 
君の背中には翼があったんだね〜

そっと ふれたら〜
君は 輝きはじめた〜

・・・

そっと ふれたら〜
風にのるんだね〜

他の曲にも、宇宙の仲間達に約束通り出会えた喜びのメッセージがいっぱい詰まっていました。

彼の声は
まろやかであったかくて
イルカの声みたいでした。

後にCDも出しましたが、何故かあまり拡がらなかったのは、収録の音も良くなくて次期が早すぎたのたのかもしれません。

土の時代のあの頃は、
「次期が早すぎた」
と言われるような物事がたくさんありました。

今なら、素晴らしい活躍になっていっただろう、と思える数々のスピリチュアルな人たちでした。

そういう私達の時代の重い固いエネルギーを開いていく時期があったからこそ、現在の風の時代がやってきたのですから。

バランス的にも風の時代の現在よりは明らかに困難多難でしたし、早く肉体を脱いで帰還した存在達がけっこういました。
そういうプログラムだったのかもしれないけど・・・

ぷらすわんオーナーE・Tは、
「霊界に人手が足りないんじゃないか」
と半分ジョーク、半分本気で言っていたくらいでした。


今年2024年11月20日、冥王星が水瓶座に完全に移行し、水瓶座の時代が本格的にスタートしましたが、風の時代のこの時期に合わせてきている人達は、あの土の時代には不可能だった軽やかさでスムーズに流れに乗れて、スタートシードの喜び波動はめちゃくちゃ願望実現を加速していきますね。
話はそれまさしたから戻します。

 

ぷらすわんの
   クリスマス会


クリスマスには「ぷらすわん」でクリスマス会がありました。


パートナーと喧嘩をした為に私とじいちゃんと二人だけの参加になりました。
知らない人達が、たくさん集まっていました。
クリスマス会らしいクリスマスを楽しめたのは初めてだったかもしれません。

最後にプレゼント交換をした時に、その時欲しかったスリッパがちょうど私に当たったのです。
めちゃおしゃれなスリッパでした。
まるで、私が欲しかったものをキャッチして買ったかのように繋がって、スリッパが来てくれました。
その後、そのスリッパを買った人もスリッパを受け取ったライトステップ2階のアパートに彼氏と二人で住むことになり、ライトステップのファミリーが増えて一階は毎日賑やかになりました。



満天の星空


その年末には、ぷらすわんの繋がりで、岐阜でスターシード達の小さな集まりがあり、そこに私とパートナーも参加しました。
岐阜の山奥のめちゃくちゃ田舎だったと思います。
到着して、車から降て・・
何となく空をみあげたら・・

うわーーーーー!!

夜空は 
キラッ キラッ 

  キラッ キラッ
       です

頭の上に星々が降ってきています

手を伸ばせばホントに届くようなくらい直ぐ近くに見えているのです

空一面にめいいっぱい散りばめられた宝石で夜空はキラッキラッにうめつくされていました

生まれて初めて見た 降ってくるような星々のアートでした


当然、街頭は全くないです。
冬の澄み切った超綺麗な空気です。

そして見ている自分達もキラキラ状態でしたから、
人生最高の星空を見れたのだと思います。

イベント会場の田舎のお家では、庭の大きなクリスマスツリーの飾りつけをしたり、みんなでファイアーを囲んで踊りながら大晦日の夜は更けていきました。

私とパートナーが踊っていると二人のそばは心地良いと言ってそばで一緒に踊る人もいました。

当時は、私達二人が楽しんでいると二人のそばは地いい、と時々言われたりしました。
その頃は、それほど開放されてハッピーでいたのだと思います。



天河神社へ



年が明けて年始早々から、私とパートナーは、奈良を南下して天河神社へ行くことになりました。

確か1月2日に名古屋を出て奈良に入りました。
橿原市で宇宙人ソウルメイトに会って食事をし、ステキなご縁がまた繋がって、
そこから飛鳥を周り、翌日に天河村へ入りました。

天河神社へは私は2回目、パートナーは初めてでした。

宿の予約も無しに気の向くまま天河神社へスムーズに到着。

二人で神社のあちこちをゆっくり回って夕方までほぼ半日以上神社の中や外にいた気がします。

赤い鳥居をくぐり抜けて、お清めの手洗いは龍神さんの口から水が出ています。
その周りには堀があって鯉がたくさん泳いでいます。
その上に小さい橋がかかっていてそこもゼロ磁場だと聞いています。

神社の前の道を挟んで向かい側には大きなイチョウの木があり、そこがスピリチュアルでは有名なゼロ磁場です。

五十鈴のあるお神楽でちょうど能芸が行われていて、中に入りしばらく見ていました。

神社の周りは数軒の民宿に囲まれていて、宿を探してもらうと何とか空いていて天河神社にゆっくり一泊した後、翌日は名古屋へと帰っていきました。
 
天河神社の波動は高く、異次元空間に繋がります。

アーティスト達が多く訪れるスピリチュアルな神社で、スターシード、ライトワーカーは天河神社を訪れると、たいていその後にヴィジョンが始まったりします。

天河から帰ると、パートナーはチャネルアートを書き始めました。
私もちょこっと書いていました。

黒い紙に7色のミルキーペンだけでパートナーは自動書記のように書き始めました。
 
彼が熊本を出る時に娘さんからプレゼントされた紙とペンです。

(私もパートナーもバツイチ同士で、お互いに息子と娘がいました)
 

最初のチャネルアートは12枚のカラフルなシンプルメッセージアートでした。

「そのままでいいよ」
というメッセージの絵1枚だけは、現在息子の手元に残されています。

後にゆいま〜る個人セッションがスタートしてからは、クライアントさん達へ個人セッションと合わせてたくさんのチャネルメッセージアートをお届けしてきました。 

セッションは「個性心理學」研究所で学んだ12のかわいいマスコットキャラをベースにして、親子夫婦等のファミリー関係性をリーディングしながら、インナーチャイルドやブロックになっている元を開放していく為のメッセージを伝えていました。

エンターテイメントのパートナーでしたから、めっちゃ楽しいセッションでした。

(個性心理學は四柱推命や宿曜経に基づきそれらに社会心理学的解釈を加えた新しい学問として、1997年個性心理学研究所所長によって広められました)



宮古島への流れ


ライトステップのハッピーライフでは、 
じいちゃんとパートナーと私といつも3人で、時々ぷらすわんへ「たんぽぽコーヒー」を飲みにいきました。

私達はたんぽぽコーヒーの大ファンでした。

ぷらすわんのメニューはめちゃ楽しいメニューで、「病気ランチ」というのが私達のお気に入りでした。

1月も半ばをすぎていた頃だったか…
宮古島へ行く話がぷらすわんタイムに持ち上がり、パートナーはめちゃくちゃ行きたがっていました。

そこにクリスマスパーティでスリッパを買った人が何かをキャッチして私達のいるぷらすわんに現れました。
「今、絶対にぷらすわんへ行かなきゃ、と思って飛んできたよ」 と。

宮古島行きの話が決まり私とパートナーが先に、後から彼女も行くことになりました。
宮古島にはじいちゃんの娘が家族で住んでいて、そこへみんなで行こうというような話でした。

結局、パートナーが先に一人で出発しました。

彼はその頃お金がなかったのに、じいちゃんが出してくれたり、完全に宮古島へ導かれていました。 
  

          

名古屋への繋がり


名古屋へ繋がっていくきっかけは、当時の創世会レポートのメンバーの一人(スペース21)のチャネラーYさんが故郷の由良町まで個人セッションに来てくれたのが最初で、深い魂のご縁を感じるスタートでした。

私にとっては、宇宙と繋がっていく最も大切な出会いで、
ここからヴィジョン実現への流れが本当に始まったと言えます。

生命の実相(生長の家)はそれまでのベースでした。

スペース21は名古屋に近い三重県桑名市にありました。
Yさんが来てくれた時は、強迫神経症が完治していなくて、実家の近くのアパートで上二人の子供達と三人で暮らしていた苦しい時期でしたが、
そこから
「自分を愛する」
というステージが始まっていったのだと感じています。 

ありとあらゆる全てにおいて、私の潜在意識は半端ない完璧な自己否定でしたから、自己肯定(自己受容)への長い長い道のりでした。

Yさんとのセッションで降りてきたマリアエネルギーは、私の深い意識の扉を開いてくれました。

「自分への愛」の扉です。

その前か後か忘れましたが、津留さん(創世会レポートリーダー)も実家に来てくれて個人セッションを受けました。

実家の前からは夕日が目の前によく見えるのですが、津留さんが帰る時は真赤に染まる夕日が水平線に沈みかけていました。
 
真赤な夕日は、その日一日の愛がいっぱい詰まっています。

その後、ライトステップで創世会レポート関連のイベントがあり、その辺りの流れで名古屋へと導かれていきました。

そのイベントで、私の愛しいローズクォーツクリスタルに出会ったのです。 


ローズクォーツを持つようにと、チャネラーYさんがセッションに来てくれた時にメッセージを伝えてくれていました。

  ローズクォーツは 

  自分を愛する


  というメッセージです。

Yさんが初めての宇宙セッションでした。

繋がった時はお互いに強く会いたいと思い、魂に響きあうものがありました。

地球に来る前に約束してきたソウルメイト達の出会いは、いつも強く惹かれ合います。

Yさんの個人セッションでクリスタルボールの響きを初めて聴かせていただきました。


 


当時、日本ではまだ3つしかないクリスタルボールの一つでセドナからやって来たクリスタルくんでした。

セッションではアセンデッドマスターのマリアが降りてきてくれました。

チャネラーYさんはスペース21をスタートしてまだ間もない頃で、この時初めてマリア意識に繋がり、メッセージからは私の地球シナリオで母性のテーマが中心であることを伝えられました。

ガイア意識(地球の魂)ととても深い繋がりがあることも知らされました。

その後も、
ガイア意識に直結しているとか…
ガイア意識そのもの…等とよく言われました。

ですが、当時の私は地球があまりにも苦しすぎたから地球大嫌いで、その時はガイアにもめちゃ抵抗がありました。

現在は、ガイアが自分のことのように愛おしいです。



羽ばたくその時に

 
故郷(和歌山県)から羽ばたく時、名古屋とは逆方向に少し南下した田辺市から出発したことは、
高く遠くへ飛ぶ為に
一旦しゃがんで、助走も長くとっていたのかもしれません。

ある強制的な理由で無理をして、いとこの家(田辺市)からほんの一時期パートに出ていたので、あれもしてから…これもしてから…というふうになかなか出発のタイミングをつかめていなかったのです。

そんな私の背中を押してくれたスターシードの知人(田辺市在住)がいました。

「色々と全部やってしまってからでないと次へ行けない、と思っているみたいだから、
そんなことさっさと全部放り投げて、
行きたいところへ
行くべきところへ
早く行きなさい。」

と彼女は力強く言い切ってくれました。

自由に飛び立っていいんだよ!!

宇宙が言っているような気がしました。

衝撃出来事からの結果が出て、その時のパートなんてすでに意味のない状態になっていたし、先に出発したパートナーが向こうで待っているのですから何も問題はありません。

私は、ハッと我に還るように気持ちが軽くなって直ぐ出発の決心をしました。

即パートを辞めて
荷物をスピーディーにまとめることができて
当時の愛車トゥデイくんに積み込んで
そのまま思いっきり出発したのです。

決めたら直ぐでした。
 
準備を終えると夜になっていたけど、パートナーが和歌山駅まで電車で迎えに来るので
時間なんて関係なく
全部手放して身軽になって
何の不安も心配もないそのまんまの出発でした。

いとこにお礼を言って出発し、途中から阪和高速に乗って、一気に和歌山駅まで走りました。

この時が本当に羽ばたいた瞬間でした。


和歌山駅では最終電車で到着したパートナーとピッタリ合流して、
愛車ツゥデイと共に羽ばたいていきました。

真夜中、日付が変わる頃でした。


 

次回
宮古島のお話に続きます。  


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