見出し画像

スピリチュアルツアー ヒマラヤへの旅 ② (セスナ機と高山病)

つづきです。

セスナでヒマラヤへ直行したお話です。

旅の記憶が薄れている部分もあるので、場所等が正確でないかもしれませんが・・・思い出深いところを書いていきます。




カトマンズの空港では、主催者から、一部セスナ機でヒマラヤまで直行する企画を告げられました。 

メンバー20人の内たくましそうな6人だけが先にセスナ機で一気に上まで上がるのです。 


このヒマラヤツアーは、ツアー主催者が創世会レポート代表の津留晃一さんともう一人大阪のスピリチュアルツアー会社の人が中心になっていて、セスナは彼のユニークな企画でした。

エネルギー調整も兼ねていたのでしょうか…?

とにかく主催者もみんな宇宙人!

一般的にヒマラヤに上る際は、高山病を避ける為に途中で一回休んで薄くなっていく酸素に体を慣らしてから上に上るのですが、セスナ6人だけは途中休まず一飛びに上るのです。

「セスナに乗る頑丈そうな6人の名前を今から言います」と主催者から名前が呼ばれました。 

その6人の中に私も入っていたのです。

セスナ機に選ばれた参加者は、高知から3人(男性)東京から1人(男性)三重から1人(女性)そして和歌山から1人(私)です。

なんか、ほーんとパワフルな6人、て感じしました。


他の14人は途中で飛行機を降りてしばらく体を慣らしてから再び上がりました。


何にも考えていない私は、初めてのセスナ機にそのまんま乗り込みました。

2人ずつの3列で一番後ろにちょこんと座りました。

隣は高知の男性だったかな…?


で、いざ、ヒマラヤへ出発ー!!



セスナは、軽く滑走して上昇し始めました。

 

 エッ!
 エーッ!
   
   ウソやろー!

陸からだんだん離れて高くなってきました。

景色が真下にはっきり見えています。

遊園地の乗り物で宙に浮いてるみたいなんです。

何にも予想してなかったー!

  ギェー!
  こわいー!!

  めっちゃこわい!
  マジこわい!

私は高所恐怖症やったー!

  ギャーン!!

  もう、降りれない!


  おりたいー!  

  おろしてー!


叫んでもどうにもならないけど、叫んでました。

セスナが空に上がっていくと隣の男性も怖かったみたいで、二人で顔を見合わせて
ひぇ~、て感じでした。

自分の 体がめっちゃ高い所にあるんです。

幽体離脱と違い、重力のある超高い場所に浮かんで鳥のように飛んでいるんです。

普通飛行機なら高さをあまり感じないのですが、セスナはまともに高さを感じてしまいます。

無防備状態でカプセルの椅子に座ったまま、めちゃくちゃ高い空中に放り出されているような感じでした。


セスナは、高所恐怖症の私にはおかまいなしにどんどん上昇していきました。

そのうち声も出せなくなって固まっていました。

いつになったらおりれるのだろうと固まったまま・・・

セスナ機はヒマラヤの小さな滑走路に降り立ちました。

けっこう長く乗っていた気がします。



  着いたー!!

    やっと着いた!


セスナ機から出て、ヒマラヤの初大地に降り立ちました。

   

  わーい!


めっちゃ嬉しくなって走りまわり、高所恐怖症は吹っ飛んでいました。

その時は、高山病なんて知らなかったので到着して直ぐに走りまくっていたのです。

何にも考えないで、何にも調べないで、知識はほとんどないまま、ヒマラヤの満天の星空だけを目指してこのツアーに参加していたのです。

スピリチュアルツアーだから・・・大丈夫

勝手に都合のいい安心感でした。


ヒマラヤみたいな超高い所へ上がる時はゆっくり動いて体を慣らしていかないといけない、ということを後から知りました。

とにかく高山病という知識が全くなくて、ゆっくりと呼吸して走ったらいけない…とかも意識の中に全然無いので走り回ってもなーんともなかったのです。

お恥ずかしいですが、高山病のことは完全に知識ゼロだったので全く現実化しなかったのです。

 
ヒマラヤはめちゃ波動が高いので、思ったらすぐに現実化しましたから、その逆に、思わなかったら全然現実化しませんでした。

ヒマラヤでは、固定観念が無いほどエネルギーも軽く呼吸も楽にできている感じがしました。

どれだけ3次元感覚を手放しているか…という感じです。

一般的固定観念があまり無くて宇宙人感覚の私はヒマラヤでは最も元気な一人だったと思います。


セスナ機に乗った頑丈そうな人6人のうち私ともう一人の女性とは同じ部屋でタイプも似ていて、波長の合うステキな人との同室は世界最高峰の旅をますますハッピーにしてくれます。



ヒマラヤのミニ空港からホテルまでは、かなりの距離を歩いていったような記憶です。

途中、片側が断崖絶壁になっている細ーい小道を通ってようやくホテルに到着でした。

片側を見下ろせばヒマラヤの深い谷です。

当然ガードレールなんてないし凄い崖っぷちの細い道を歩くんです。

ガーン・・・またまた恐怖!

足がすくむ思いで山側にへばりつくように歩いて行きました。


高所恐怖症にとっては何度も寿命が縮まりそうになってやっとホテルに到着。

なんとか満天星空の見れるところまでたどり着きました。




日本人が経営する最もエベレストに近いホテル  エベレスト ビューです。

エベレストを目の前にしながらデッキで食事やカフェを楽しめて、日の出から星空まで一日中エベレストアートを眺めていることができます。




ヒマラヤなら宇宙から迎えに来てくれるかもしれない…なんて思ったくらい、ふるさとの星に還りたかったし、満天の星に手が届きそうだと書いてあった為にこんなスリルいっぱいのツアーに参加してしまったけれど、世界最高峰の雲の上の滞在は、高所恐怖症も高山病も吹っ飛ばして、ぜ~んぶが最高でした。

でなかったら、ネパールの旅には絶対見向きもしなかったし、ヒマラヤへ繋がることはなかったです。


導かれて必ずヒマラヤに行くようになっていたんです。




片側崖っぷちの続く小道を通過してようやくホテルに着いた思ったら、参加メンバーの一人が呼吸困難で倒れてしまいました。

ツアーリーダーの津留さんも体調が悪くなって津留ファミリー3人と倒れた人の4人だけは着いたその日に下山することになりました。

私の場合は、セスナ直行と同時に走り回っても平気だったわけです。

 
ヒマラヤへの3日間ではもう一つハプニングがありました。
セスナ直行メンバーの一人の荷物が行方不明になってしまいました。

カトマンズ出発時に空港で荷物を預けてヒマラのヤホテルで受け取る予定が、彼の荷物だけが無いのです。
調べに調べてもらっていましたが、とうとう出てこなくて彼はヒマラヤの3日間を着ていた服のほぼTシャツ1枚で過ごすことになりました。


ホテルで荷物を受け取り、それぞれの部屋に分かれて自由にくつろぎタイムです。



それからみんなで夕食を済ませ、シェアしたりしてヒマラヤ初日を楽しんでいました。





夜になると、高山病にかかる人が出てきて、ポツリ、ポツリとだんだん増えていきました。

で、私は思ってしまったのです。

高山病、てどんななんだろう、ちょっと味わってみようかな…と。

そう思ったとたんでした。

なんと高山病になってしまったのです。

・・・余計なことを思ってしまった・・・

とにかく息をするのが苦しくなりました。

酸素ボンベを配ってもらっても治らないし、一晩中苦しかったのを何となく覚えています。


メンバーのほとんどがヒーラーさん達だから、元気な人は高山病の人達の部屋を回ってにエネルギーヒーリングをしていました。

私のところにも来てくれましたが、余計にしんどくなって全然効き目無し。

高山病を治してあげる…という意識が高山病にフォーカスするから、余計に高山病が現実化してしまいます。

結局エネルギーヒーリングは私には必要なかったです。


主催者が部屋を回ってきて、「明日のトレッキングは行けますか? かなりしんどそうだから…」

と心配そうに尋ねられたので「はい、(トレッキングに)行ったら治ります」

と私は即答しました。

そのまま何とか眠って翌朝になりました。


起き上がってトレッキングの用意をして、

よし、行こう!  

楽しみ気分で部屋のドアを開けてローカに出て、

一歩、二歩、三歩・・・

スタ、スタ、スタ、スタ・・

と歩きはじめて気がついたら、高山病はすっかり消えていました。

 


ホントに、思ったことは直ぐ現実化でした。


主催者は私の元気な姿を見て、「やっぱり、言った通りホントに治ったんですね✨」

と驚いていましたが、同時に納得していました。


高山病が一番ひどかった人は、東京から参加した母&息子のお母さんの方で、ずっと部屋の中で酸素ボンベをかかえたままヒマラヤの3日間を過ごしました。

息子さんは、セスナ機6人の一人で、トレッキングの出発時、エベレストを背景に両手を高く挙げた満天笑顔の私のワンショットを撮ってくれました。

あのバンザイフォトは今も瞼に焼きついています。

インドが大好きな愉快な親子でした。


さて、ヒマラヤ二日目の朝、希望者はトレッキングに出発です。

トレッキングの帰りは乗馬が用意されていました。



次回へヒマラヤ旅は続きます

お読みくださり 
 ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?