「話が通じる」と思っちゃうのは、おこがましい
おはようございます!ヤンです。
簡単には解決できない、なかなか難題なのですが、心に留めておきたいなぁと思ったので、言語化してみます。
突然ですが、ビックリするほど話が通じない相手や場面に直面すること、ありませんか?
僕は、あります。というか、よくあります。
人は全員、必ず、完璧じゃないし、お互いにわかっていないことだらけだし、お互い思い込みや勘違いだらけ。それぞれ生まれも育った環境も違うし、価値観の前提も違うことだらけ。
そんなことは当然なのですが、にもかかわらず、「自分がわかっていない」ことに自ら気づくことはとても難しいし、まして、「自分が何についてわかってないか」を自ら気づくことは極めて難しい。
ある意味、「宇宙の外側を想像せよ」と言われるに等しい難題というか、「宇宙の外側なんだからわかるわけないじゃん」というか。
そんな、ほとんど不可能に近い所業なわけですが、
それでもなお、抗い続けるしかないと思うのです。
それを一文で言うなら、
・「自分にもわかってないことがあるかもしれない」という、自分への疑問を持ち続けること
が大事だと思うのです。そのまんまですけど。そしてこの思考は、「素直さ」とも言い換えられると思います。
とはいえ。
ずっと「わかってないかも〜」と思ってすべてを保留していたところで、何も進まないし、何も解決しません。物事は意思決定(決断)をしないことには一歩も進まないわけで、どれだけの不確実性の中であっても、確信を持って意思決定することは超大事です。
・「自分にもわかってないことがあるかもしれない」という疑問を持ち続けること
・確信を持って意思決定すること
なので、この2つ両方が大事で、両方が必要です。
この2つ、一見すると矛盾することを言っているように見えるかもしれませんが、じつは全く矛盾なく両立すると思うのです。
端的にいうと、あらゆる意思決定をあくまで「科学的に正しい」というように捉えるようにすることで、それを体現できるのでは、と思っています。
「科学的に正しい」という表現は、それが絶対的な真実であるということを意味しておらず、「今のところ反証が見つかっていない、確からしいとみなせる仮説ですよ」ということを表しています。
この「反証されない限り正しいとみなす」というルールが素晴らしくて、科学は、ときに過去の仮説を否定したりしながら新たな仮説を積み重ね続けて、着実に進歩し続けてきました。(過去の仮説を否定することも含めて全て前進である、というのがスゴイ)
意思決定も一緒で、過去の意思決定の撤回も含めて良い決断であり、常に前進であり、常に最善と思える意思決定を積み重ねるしかないわけです。
この科学的思考というか、仮説思考というか、実験思考というか、何と表現するのが適切かわからないですが、
自分なりにロジックを組み立てて言い切り、意思決定するものの、とはいえそれが絶対的な真実ではないというニュートラルな姿勢。常に自分の認知の外側に想いを馳せ、その存在を信じる姿勢。そういう姿勢こそが、まぁまぁ複雑な世の中で結果を出すために大事なんじゃないかと思うのです。
・・と、なんかそれっぽく書いてみましたが、これを実践するのって、ぜんっぜん簡単なことじゃないわけです。
どうやったら習得できるのかもよくわからないし。
ものすごい才能を持っている人でさえ、そういう姿勢を身につけていないことの方が圧倒的に多いわけで。
だから、話が通じないのは当然なんです。みんな前提が違うし、勘違いの仕方も違うし、知らないものも違うし、自分がわかっていないということにも気付けない。
そこで、このnoteのタイトルに戻るわけです。
「話が通じる」と思っちゃうのは、おこがましい。
どうしたらいいんでしょうか。
大変です。通じないものは通じない。どうしようもない。
こんなnoteを長々と書いたところで、抱えている問題は1ミリも解決に向かいません。
グダグダ言っても仕方ないので、結局、とにかくやれるところからやるしかないですよね。時々は話が通じる人がいる、という奇跡に感謝しつつ。
人生は冒険だ!
#ヤケクソ
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それでは、今日も素敵な一日を~!