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新型コロナは『シンコロナ』か。緊急時の政治評価に生かしたいシンゴジラとの3つの共通点


『コンテイジョン』に見えるアメリカ目線の日本

 緊急事態宣言も一時休止となり、小康状態に入ろうとしている今、『コンテイジョン』(2011年制作/アメリカ)を見た。接触感染(=コンテイジョン)、コウモリ、クラスター、CDCにソーシャルディスタンスと、確かに今の状況と怖いくらい付合していてリアリティ満載だ。この作品を2011年に公開しているので、アメリカ合衆国の緊急事態シミュレーション映画として素晴らしい作品である。だが、日本人の私はどうにも共感しにくい。

 大衆より家族を優先するローレンス・フィッシュバーン(『マトリックス』モーフィアス)やライフルを略奪するマット・デイモン(『ボーン・アイデンティティ』ジェイソン・ボーン)は国民性の違いとしてまだ理解できる。そもそも、病気自体の潜伏期間や致死率が異なっているわけで、新型コロナとどれだけ重なり合っているかを唯一の軸として評価することに意味はない。

 しかし、そういった違いを差し引いて考えても、日本の描写にリアリティがない。東京の通勤のバスにヘッドレストが付いているし、そのバスの路線図に丸の内線の駅名が書かれている。水俣病の例を引き合いに政府の隠蔽を論じることも取材していることをうかがわせるが、すぐさま魚の食文化に絡めていてどうしてもアメリカ人が見た"This is Japan"という感じが拭えない。


『シンゴジラ』の「リアリティ」

 その国の中ではリアリティ満載の災害シミュレーションだが、他国を表現するときにリアリティがグッと下がるこの感じ、何か邦画でも感じたことのある感覚である。2017年制作、『シンゴジラ』の石原さとみ(カヨコ・アン・パタースン)だ。

 『シンゴジラ』が東日本大震災をなぞった緊急事態下の政治シミュレーションとしていかに良い映画であったかは、各レビューサイトの批評に任せたい。とにかく、この映画において傑出していた要素のひとつは、日本の描写の「リアリティ」で、その「現実世界」で苦闘するヒーローとしての政治家である。プロレスで言えば外国人ヒール役として登場したカヨコ・アン・パタースンは賛否両論あるにしても、主人公の矢口蘭堂が魅力的であったと感じる人は少なくはないだろう。

 筆者は正味30回くらいシンゴジラを見ているのだが、シンゴジラを何回も見てから今回の危機対応をする政治家のニュースを見ていると、「想定外の課題に対応するストーリーの肝はココか」とハッとさせられる瞬間がある。

 本稿は、非常事態宣言がひとまず明けた今日このときに、政治の劇場化を防ぎ感情的な評価を下さないため、新型コロナにおける日本の政治と『シンゴジラ』の一致する箇所を3点に集約し、自分の備忘録的に書き残すものである。


1:良さそうな施策の実現可能性が実はなかったもどかしさ

 どのような施策でも、計画段階で実現可能かどうかの検討が必要だ。検討の段階で筋の悪い施策はふるい落とされる。このとき、非専門家が普通に考えたら良さそうに思える施策でも、制約によって実際には不可能となることは多い。具体的に、物理的制約・法的制約・想定していた範囲による制約と漏れなく向き合わなければならないのは、新型コロナのニュースとシンゴジラの間の大きな共通点と言える。私たち受け手が制約のもどかしさをどう消化するかが、責任者となる政治家の評価のカギになっている。

- 物理的制約の例:検査リソース不足
シンゴジラ「サーベイ対象者が多すぎる。各地の基準数値を下げないと、現場がもたない」
新型コロナ「サーベイ対象者が多すぎる。37.5度4日連続にしないと、現場がもたない」
- 法的制約の例:憲法の制約
シンゴジラ「76条で防衛出動は出せない。。!」
新型コロナ「13条で都市封鎖は出来ない。。!」
- 想定外対応による制約の例:市民の自主判断依存
シンゴジラ「何せ、想定外の事態で、該当する初動マニュアルが見つかりません」「ここは住民の自主避難に任せるしかありません」
新型コロナ「何せ、想定外の事態で、該当する初動マニュアルが見つかりません」「ここは都民の営業自粛に任せるしかありません」


2:選択した施策の障害への焦り

 そして、少ない実現可能性でもそのときに最も可能性がマシな施策に賭けるしかないことがわかってくることも同じだ。やろうと意思決定し、いざ実行のくだりになっても、事態は待ってくれるわけではない。実行中にも多方面から様々な障害が発生する。優秀な官邸・官僚機構のトップが取り組むレベルの障害は、ほとんどが止むを得ない構造的限界を持った障害だ。

- 火事場泥棒の構造的障害の例:危機対応時の各国の軍事的プレゼンス
シンゴジラ「佐世保からです。対馬沖付近に不穏な動きがあるそうです」
新型コロナ「那覇からです。尖閣諸島沖付近に不穏な動きがあるそうです」
- 縦割り組織の構造的障害の例:消極的権限争い
シンゴジラ「前例のない案件なので組織令も曖昧だ。面倒を嫌った消極的権限争いも無理ないよ」
新型コロナ「前例が100年前の旧憲法下の案件なので司法判断も曖昧だ。面倒を嫌った消極的権限争いも無理ないよ」
- 効果検証の構造的障害の例:既存の薬剤を利用するしかない効果検証
シンゴジラ「シリカやトロンビン等をベースにした血液凝固促進剤のプロトタイプを民間各社で手分けして作成中です。このどれかが効くはずなんですが」
新型コロナ「レムデシビルやアビガン等をベースにした治療方法のプロトタイプを治験参加病院で手分けして実行中です。このどれかが効くはずなんですが」


3:発生した不可逆な課題とともに共存していく展望

 事態が収束しきっていない状態で客観視してみると、為政者に対する総合評価はまだ早いと言える。かつて、菅直人首相は東日本大震災当時には支持率が上昇していたが、後年の検証によって、福島への視察が現場の混乱を招いていたことがわかっている。災害が収束していない状況では、明確にわかっている収束後の課題に対しても準備しておくべきだ。

 石棺化するゴジラは言うに及ばずだが、新型コロナでも「ウィズコロナ」「アフターコロナ」と呼ばれるバズワードが発生しているほどで、この未来指向性にも共通点があると言える。これから新型コロナの影響がない世界には戻れないことが、小康状態の今の時点でも断言できよう。

- コロナとの共存の例:
「日本、いや人類は、最早コロナ(ゴジラ)と共存していくしかない」


『シンゴジラ』で手に汗を握ったことは、反面教師

 『シンゴジラ』は、あくまでフィクション要素を多く肉付けしたエンターテインメントであり、実際の政治と比べるのはナンセンスであるという意見もあるだろう。しかし、とてつもなく詳細な取材に基づいた庵野監督の脚本は、今回見たようにきちんと現実を反映している部分がある。散りばめられたたくさんのディテールから引き起こされる視聴者の感情が、ストーリーの中の矢口蘭堂というキャラクターの魅力の根源になっていると言っても過言ではないはずだ。

 現実にもどって、有権者である私たちは映画を見ているわけではない。もどかしさや焦りといったネガティブな感情に支配されてはいけないし、反動として「今日から非常事態宣言終わり!私たちや政治家のおかげでうまくいった!日本スゴイ!」という高揚感に支配されてもいけない。強い感情は、私たちを熱狂させてしまう。

 シンゴジラでも描かれていた通り、平穏無事な平常時と危険性の高い非常時とでは、政治手腕の発揮の仕方や評価方法がまったく異なってしまうものだ。平常時の政治手腕にすぐれている人物は、必ずしも非常時にすぐれているとは限らない。一方で、非常時のリーダーシップが素晴らしくても、平常時には無駄な対立構造を煽りコンセンサスを作るのが苦手な政治家もいる。あくまでも最近よく目にする政治家の姿は、全面ではなく緊急時の一側面なのだ、という意識を持ちたい。

 今回コロナが蔓延してしまったことによって、コロナ自粛生活を経験していない世界に戻ることは二度とない。さらに、日本がなぜうまく抑制できたかも決定的にはわかっていない。不確定要素がたくさんある中で、溢れる情報の真偽をしっかりと見極め、これから私たち一人一人がしなくてはいけないことをじっくり考え、冷静に政治家を評価するべきであることを『シンゴジラ』は今もなお私たちに語りかける。


「スクラップアンドビルドで、この国は伸し上がってきた。今度も立ち直れる」

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