2-12 ボクの進路
ボクが高校生だった頃,大学生から一般企業に勤めた頃。心機一転,教員を目指した頃。そんなちょっと昔のお話。
ボクの進路
●中学校の頃
中学校の将来の夢は,ゲームばっかりやっていたから,ゲームクリエイターになる事だった。中学三年生の時,「高校なんて行かないで,好きなゲーム会社に就職してしまうのが一番じゃないか」と思った。それで,一番好きだったゲーム会社の求人情報を見たら,「18歳以上」,職種によっては「20歳以上」と書いてあった。でも,「会社に行って直談判すれば入れてくれるんじゃないか」と思って,夏休みを利用して,千葉の田舎から,東京の目黒という所にまで,2時間かけて会社を訪問しに行った。
でも,会社の入り口を入った所で,「入口のお姉さんに何て言えばいいんだろう…?いや,思い切ってエレベーターに乗り込んじゃえばいいのか?ダメだ,足が前に出ない…!」なんてやっているうちに,どんどん恥ずかしくなって,何もせずに会社を出た。コンビニでパフェを食べてトボトボ帰った。
その後,周りが高校に行くから同じように高校に行った。高校は,偏差値と方角でなんとなく決めた。
●みんなと同じ頃
僕がみんなと同じ高校1年生だった頃,夢中になっていた事は,部活に行くか,家でゲームをするか,別の高校だった彼女と文通をするぐらいだった。ボクの夢だったゲームクリエイターという職業について調べたら,「どうやらプログラミングという<パソコンで使う英語みたいな言語>と向き合わなくてはならない」という事を知った。高校に入ってから授業で始まったプログラミングという勉強は,あまりにもロマンや冒険とかけ離れていたものだから,ゲームクリエイターを目指す事はやめにした。
みんなと違って,科目を選択する必要などまったくなかった。その事に対して,「もっと自由に選べたらナァ」なんて思う事もなかった。正直,決められている事はとてもラクだったように思う。
高校3年生,部活を引退したら急に暇になった。ボクはかっこいいわけでもないし,スポーツが特別得意だったわけでもないので,せめて勉強は落ちこぼれないようにしていた。周りが大学に行くから,自分も深く考える事なく大学を志望した。(浪人も入れると,四年大学への進学率が90%以上の高校)
どこの大学にしたらいいのか迷って,「一番近い国立大学だ!と思って,「千葉大」と進路を書いた。親になんて全く相談しなかった。(そもそも,母親とは高校時代,ほとんど口を聞いていなかった)それが高校3年生の6月頃。
なんとなく勉強していくうちに,「国立は科目数が多くて大変だ」という事に気づく。高校3年生の夏。
その頃,テレビで「天空の城ラピュタ」というスタジオジブリ作品を見て,主人公のパズー(12歳)が機械をいじっている姿に憧れた。父親も機械や電気に詳しかったから,似た進路を目指そうと思った。国立は大変だから,私大に変更した。「機械だから,工学部だろう」と工学部・機械工学科を選んだ。オープンキャンパスにも,説明会にも行かなかった。試験当日に,はじめて四年間通う大学を訪れた。なんとか合格した。
●ボクの大学時代
大学に通い始めるも,「絶対コレになる!」という目標もないまま3年間が過ぎた。3年間が過ぎたと言っても,やりたかったバスケ部に入部したり,憧れだったギターを始めたり,アパートを借りて一人暮らしを始めたりしていたので,それなりに充実していたように思う。
大学3年生の冬。周りが就職活動をはじめる中で,ボクは悩んだ。その時は,周りの同級生たちが考えていた<技術職>というものは,自分は向いていない気がした。「一日中機械や電気と向き合っている」ようなイメージで,ボクには耐えられそうになかったからだ。その時の興味は,もっぱら「音楽」だった。卒業後,「コンピューターミュージックの専門学校」に入り直そうともして,体験入学にも行ったけど,お金もかかるし,自信もなくて,そこまでの決断は出来なかった。結局,就職活動の中で音楽に携われるような会社を受けたり,周りの同級生をマネして<技術職>を受けたり,一方で機械と向き合うより人と話している方が向いていると思って<営業職>を受けたりした。自分でも「いろいろまよってるなぁ」と思ったけれど,大学から就職活動をする時には,たくさん入社試験を受けられる。高校とは違うのだ。受かった後に考えようと思った。
結果,合計6社に合格した。その中で,マイクやスピーカーを作っている音響メーカーに就職する事にした。音楽ってわけじゃないけれど,音に携さわれる。採用は営業職。お客さんに,製品を売る仕事だ。技術職より向いてると思った。「音楽」じゃない所が気になったけれど,入社してから,どうしても「音楽」に携わらなきゃツラいようであれば,そこから死ぬ気でピアノを勉強して,音楽科がある短大にでも入学すればいいと思った。
●会社に入ったら
入社したら,音響製品よりも防犯製品を売る「セキュリティ・ネットワーク営業所」に配属となった。自分の家を出る時に鍵を何度も閉め忘れるボクには向いていない配属先だと思った。けれども,たくさんの得意先を持って,お客さん相手に夢中になって仕事をしていくうちに,あまり気にならなくなった。残業もたくさんした。
一方で,ボクはこれから就職活動をする大学生相手に会社内容を説明する仕事も年に数回やっていた。自分より若い人に対して,仕事や自分の事を話す。年に数回だけの仕事だったけれど,普段大人相手に仕事をしているよりもよっぽどたのしかった。なんでたのしかったかはうまく言えないけれど,これから未来ある若い人たちと話すのは,とても気持ちがよかった。年に数日じゃなくて,一年中,若い人たち相手に仕事をしたいなぁ。そんな事を思い始めた。
●会社を辞める
そういえば,大学の時から「学校の先生」という職業が気になっていた。けれど,教職課程を取っていなかったボクにとっては,なろうと思ってもなれない職業だ。だけど,大学の通信課程(働いていたり,別の大学に通っている人が,土日の授業や郵送で提出するレポート課題に取り組む事によって大学の単位がとれる仕組み)でも教員免許が取れることを知った。最初は「音楽の先生」を考えた。でも,クラシックピアノを習った事もないボクでは無理だと思った。そんな事で悩みながら一年過ぎた。
そうしたら,明星大学という大学が「来年度から.通信課程(2年)で理科の免許が取れるコースを作る」という。なんだか「理科の先生」になるのはおもしろそうな気がした。そこで嫌になったら,死ぬ気で頑張って音楽の先生に変更すればいいとも思った。(音楽の教員免許なんて,取れる自信なんてなかったのにね)
その翌年,ボクはその大学の入学試験に合格し,5年間勤めた会社を辞めた。中学校でアルバイトをしながら,無事二年間で教員免許を取得した。大学の教職課程で,とても魅力的な先生や,信じられる教育思想に出会った。それで,もう「理科の先生になる事」に対して迷いはなくなった。早くなりたかった。教員採用試験を受けたら,地元の千葉県は二次試験で落ちたけれど,縁もゆかりもない北海道から採用通知が来た。
迷ったけれど,「これも何かの縁かな」と思い,<石狩>という場所が北海道のどこにあるかも知らないまま,引っ越してきた。それから一年半,今現在のボクがある。そういえば,もう今年で三十一歳になったんだなぁ…
●長~い<あとがき>
いかがだったでしょうか。みんなが科目選択や,高校卒業後の進路を考えるのを見て,ボクが高校生だった頃から今の<学校の先生>という仕事をしている今までを,少し長くなってしまったけれど,振り返ってみました。
今のボクは,悩んだり,落ち込んだりもするけれど,前の仕事より間違いなく「たのしく仕事をしている」気がします。「先生の授業,たのしかった」と言ってくれる高校生たちがいるんだもの。
なんだか自慢っぽくてスミマセン…(汗)。でも,他人から見たら「まったく,いろいろ遠回りして…」と思う人もいるかもしれません。けれども,ボク自身はこんな遠回りな自分も,今振り返ると結構好きに思えたりします。
ボクだけじゃなくて,みんなも,その時は「うまくいかないな」「シマッタな」と思うことでも,後々になれば,結果的には良かったと思える事があるんじゃないかな。
●進路選択に順位はあるか
みんなも,これからの進路選択などで,都度<選択>をせまられると思います。その,さまざまな<選択肢>のなかに「進路としてはこれが一番いい」という序列(順位)はあるのでしょうか。<大学進学がいいに決まっている>とか<民間企業就職がいいに決まっている>ということはあるのでしょうか。
そういう序列があれば迷うことがなくていいのかもしれませんが,進路選択にそんな序列はないようです。それぞれの進路に,それぞれのいいところがある。結局はみんなが<さまざまな選択肢のなかから自分にあった道(進路)を探す>しかないようです。
「自分にあった道なんてわからないよー」「そんなの,十五歳の今に考えさせるなよー」と思う人もいて当然です。そんな人は,急に楽観的な言葉に聞こえてしまうかもしれませんが,「とりあえず,今はこっち!」という気持ちで,今思う事を<とりあえず>決めてもらえればと思っているのですがいかがでしょうか。今決めた進路から変更する機会があるかもしれないけれど,長い人生,それだってステキな人生だと思うのです。
さて,次は大きいテーマの話。<夢>と<大人になること>についてです。
●夢をもつこと
最近見たテレビで,コピーライターの糸井重里さんが,中井貴一さんとの対談の中で,「夢をもつこと」について,少し話をしていました。
糸井さんは,<でっかい夢>よりも,<ちいさい夢>,そして<今いる位置での問いかけ>が大事ではないかと語っています。
ラストチャンスの科目選択で悩むかもしれない。科目選択が終わっても,進路選択でまだまだ悩むかもしれない。けれど,そうやって<高校一年生の自分に問いかけている時間>こそが,とても大事なのではないか。糸井さんの言葉を聞くと,そんな事を思うのです。教育学者の板倉聖宣さんも,こんな事を書いています。
大きすぎる夢がある人は,今度は小さい夢,ささやかなる夢を考えて見てはどうでしょう? 夢なんてさっぱりわかりませーんという人は,板倉さんに便乗して,「明日こういうことをしたいなあ」,「何かぼくの力でできることがあったら,それをやりたいなぁ」というのを考えて見てはでどうでしょう?
さて,次は「大人になること」について。東大卒で,科学教育映画の監督・シナリオライターの牧忠さんが中学生に対して行った講演記録の一部より。
●大人になるということ
この文を読むと,みんなは「他の普通科高校や,進学校の高校生より,よっぽど大人なんだな」と思います。だって,自分で科目や進路を選んで,その結果に自分で責任を持つのですから。ボクの高校時代なんか,ほとんど選択しませんでした。とてもラクでした。だから,<自由>というのは,とても厳しい事でもあるんだね。
科目選択,という意味ではいったん皆さんは「決断」をしました。でも,科目選択の後は,高卒後の進路を考えていく必要があります。みんなの担任でいれるのは,残り数ヶ月…。話は聞くし,ボクで調べた方がいい情報は遠慮なく調べる(自分自身で調べた方がいい情報は,自分で調べよう!)ので,最終的には<自分>で進路を決めて欲しいです。そして,その結果に対しては,自分で責任を持つ。牧さんの言葉を借りると,それが,大人になるという事なのかな。
朝,翔陽生と同じバスに乗っていた時,後ろの二人が,「担任が○○の科目取れっていうから取ったけど,マジ後悔~」とか,「親が将来△△になれっていうから~科目も親の言う通りとったけど~」みたいな話が聞こえて来た時があったけれど,こういう考え方,ボク嫌いです。他人を理由に言い訳しないで欲しい。自分で決めて,自分で責任を持ってほしい。それが担任としての願いです。
●ウルサイ大人もいるけれど
一方で,「自由に生きたいのに全然自由じゃないよ~。ノート書けとか,提出物出せとか,ゴチャゴチャうるさいジャーン」と思う人もいるかもしれません。そんな所が,高校という場所がまだ大人と子どもの中間ってカンジの環境かもしれません。授業の提出物にウルサイ先生は,先ほどの<自由>と<責任>の考え方で視点を変えれば,「進級する(2年生に上がる)責任を,ヤサシイ先生が肩代わりしてくれている」と言えるのかもしれません。高校は義務教育ではないから,「留年だって,退学だってお好きにどうぞ」と本当は言える所だけれど,実際の所は学校の先生だって,留年も退学もさせたくはないのです。宿泊研修関係の提出物だって,「はい,提出物間に合わないからアナタは不参加ね」とバサッと切りたくなかったのです。(だからついつい,しつこくなっちゃう…)
ウルサイ先生には,ついイラっとしちゃうけれど,「責任を肩代わりしてくれている」と思うと,少しはやさしくなれたりしませんか…?
(やさしくなれたら,大人になった証拠…!?)