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2-18 教師のやりがい

-宮崎駿さんのインタビューを聞いて-

ボクは今年度は高校3年生の担任。生徒たちも進路の年です。「プログラマーになる!!ゲーム好きだも~ん」とか「ウェディングプランナーになる!だって一番幸せな時間を一緒に作りたいもの!」とか「学校の先生になる!たのしそう!」など,生徒たちの進路・夢を聞いていると,ボクまでワクワクしてきます。ぜひ夢を叶えて欲しいナ。(もちろん,途中で将来の進路が変わったって不思議じゃない。ボクだって転職して教師になったもの)

 ところで,ボクの<教師の仕事>ってどんな仕事? やりがいってなんだろう? 生徒たちの進路を聞いていて,ボク自身も考えたくなりました。

 

●宮崎駿のインタビューから

 そんな事をぼんやり考えながら,『ポニョはこうして生まれた』(xx)というDVDを見ていた時の事です。宮崎駿監督が,スタジオジブリの近くに保育園を建設中であることに対してのインタビューの中で,こんな事を言っていました(保育園建設は,宮崎さんのやりたい事のひとつだったようです)。

●保育園を作るにあたって
ディレクター 「子どもにどういう保育園を提供したいですか? 毎日たのしいと思ってもらえる保育園ですか…・」…?
宮崎駿 そういうのは言葉にしちゃいけないんですね(笑)。じゃあ,子どもについて考えてみると…,子どもは可能性の生き物ですよ。たくさんの選択肢を毎日持っている。オトナも実はそうですけどね。子どもの方が1分の意味が違うだけで。ずっと重いんですね。しかもね,人間の感受性ってのは18歳がピークで味覚も聴覚も視覚も全部落ちていくんですよ。わかりきっていることなんですけど。その代わり<経験>が増えていくだけなんですけどね。それは情けないと思わないですよ。それはみんなに平等に来るからいいんですけど。

 宮崎さんが言う,「子どもは可能性のかたまり」。こんな受け答えを聞いていると,宮崎さんがどうして子どもを主人公にして映画を作るのか,なんだか少しわかる気もします。でも,オトナって感受性が落ちていくんだなぁ~。(そういえば,去年,生徒達と見学旅行で飛行機乗った時も,離陸直後,生徒たちは拍手で喜んでいるのに,ボクは「こんなのフツーじゃないか」なんて冷めた反応(汗)。でも,ボクも昔は喜んだよナァ…。オトナも子どもも,「飛行機なんて滅多に落ちない」ってわかっているんだけれど,オトナが感動しなくなるのはなんででしょうね。経験なのかな)

 だから,そんな「感受性の高い子どもたち」を相手に仕事をしていると,ボクらも感受性高くいられる気がしています。じゃあ,そんな<経験>を重ねたオトナができる事ってなんだろな。インタビューは続きます。

 

●オトナができること
そう。子どもたちは可能性のかたまり。じゃあ,年寄りができることは何か。それは,ずいぶん前からそう思っているんだけれど,<時間と空間>を子どもたちにあげることだけですよ。といいつつ,偉そうなこと言っても考えが足りなかったり,自分でできなかったりすることは山ほどある。それは税金出しているんだから,「中央自治体のせいだ」とか,「国家のせいだ」と言ったってダメだっていうのは十分わかってるんですよね。

 大人ができることは,「時間と空間を子どもたちにあげること」と宮崎さんは言っています。この<時間と空間>の前に入る言葉は…。「自由な」とか,「可能性が発揮できる」とかでしょうか。これが,保育園を作ったワケかな。きっと,「映画を作って子どもたちにたのしんでもらう」とは違う意味合いがあるのかな。

でも、やれることからやっていくっていうより、やってみたいからやるんですけどね。やってみたいじゃないですか。それは幸せなもんですよ。映画作って子どもがよろこんでくれたらうれしいけど、「ずっとビデオ見てました」っていったらうれしくないよね。その瞬間喜んでくれている姿が一番いい。
 理念的には何なんだろうっていうと、議論はつきないと思うけど,議論より,木と地面と子どもと水が一緒になって,そこに火もある…。そういう世界を作ったら子どもは何を感じるか。その周りの大人たちは何を感じるか。やってみなきゃわかんないじゃない。

 うーん,後半は哲学的でムズかしいけれど…(笑)。でも,感じた事があります。「教師」という仕事は,まさに「<時間と空間>をあげる仕事だなぁ~」ということ。少なくとも,子ども一緒に過ごす仕事。(その<時間と空間>が子どもたちにとって心地よいかどうかは…,学校や担任によって違いがありそう…(汗))そういう意味では,映画監督としての宮崎さんができない事を,ボクら教師たちはできているんじゃ~ないのか!?(大袈裟!?笑)。

 感受性が豊かな子どもたちが,感受性豊かに過ごせるように…。「教科書を…」とか「学習指導要領にのっとって…」とか.「授業時数」とか「学校のきまり」とか,まぁいろいろあるんだろうけれど,それ以上に大事な事があるんじゃないのか。

 でも,そんな<時間と空間>を提供するにはどうしたらいいのかな?しかも,宮崎さんみたく,「やってみたいからやる」といえるもの。子ども達がその瞬間喜んでくれる姿が見えるもの。「教師の責任として…」とか「公務員として」とかじゃなくて。そういうの,なんだろうな。

 それは人によって違うかもしれないけれど,ボクはそれが「たのしい授業」,「仮説実験授業」であったりするのです。出会えてラッキーです。しかも,「熱意があればだれでもマネができる」というんだもの。(自分で生み出さなくていいんだ~!マネしていいんだ~!発見!!)

 そんなボクも,今年度で教師4年目。たくさんの高校生たちの笑顔に囲まれて過ごせています。あれ?高校生が喜んでいる⇒ボクも喜べている…!?という事は…?心地よい<時間と空間>をもらっているのはボクの方かもしれません(なーんちゃって)。


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