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2-2 進路指導の原則は?

ボクが本格的な進路指導の時期を迎える前。高校2年生の担任をしていた頃に,山路敏英さん(東京・大学講師)が進路指導に関する講演(2017,中さんの会。伴野・市原主催)で話されていた内容です。

●進路指導の原則が欲しくなる
当時,中学3年生の担任だった頃,「三者面談の時,僕らはどういう態度でいけばいいのか」というのを考えた時期があって。先輩たちは偏差値でバシバシ決めていくけれど,それでいいのかな?進路についても,原則的に考えたいなと。具体的には,「進路指導の中で子どもたちに押しつけをしているんじゃないか」と考えたんだね。
ちょっと話が変わるけれど,「たのしいことをする」というのと,「嫌がることをしない」というのは同じではない。別のことだよね。「たのしいことをする」というのは,ボクらは授業の方でなんとかなる。一方で,「嫌がることをしない」という目標も達成したい。でも,知らないうちに,授業以外の部分で子どもに対して嫌がることをしているんじゃないか。その一番が進路に関することで。周りに合わせると,成績で「君の高校はここじゃないか。ここしか受からないんじゃないか」って押しつけちゃう。そこで,小原茂巳さん(現・明星大学教授,当時は東京・中学校)と一緒に考えたのは,「仮説実験授業の考え方と矛盾しない、押しつけない考え方」が欲しくなってね。

高校では中学校に比べて成績にとらわれず,多様な進路があるとはいえ,やはり成績(=評定平均)というものが進路における評価材料のおおきな存在として君臨しています。けれど,山路さんが考えるのと同じように,ボク自身も評定平均だけにとらわれるような進路指導はしたくないな。でも,どうすればいいのかな?続きを紹介すると…。

ボク自身は,「自分のことをたなにあげて,進路について子どもにエラそうにしゃべるのはダメだよね」って思っていたから,「ボクの進路」っていう文章を書きました(『知恵と工夫の物語』)。小原さんは佐藤忠男さん(教育評論家)の文章をボクに紹介してくれて。「自分のことは自分で決める」だよね。って。この考え方は進路のことにも生かせるんじゃないかって。小原さんとそういう情報をやりとりしながらだんだん自分たちの原則がはっきりしていったものを,「進路だより」という形で子どもたちに対して配るように。
その後,中一夫さん(東京・中学校)がボクらの実践をマネしながら自分の考えも入れて『たのしい進路指導』(仮説社)という形でまとめあげてくれました。

そんな山路さんのマネをして,ボク自身も「ボクの進路」というものを書いてみました(別記事に掲載しました)。また,講演の中で紹介されている本,『たのしい進路指導』も都度参考にしながら進路指導を進めることになったのでした。さて,山路さんの講演の続きは…。

 

●進路指導の原理・原則
仮説実験授業から学んでいることで,「たのしい授業をする」よりさらに大きい原理って何かなぁ?って当時考えてみたんです。そうしたら,仮説実験授業のもとになる考え方は「ヒューマニズムです」という言葉に出会って。ボクは「ヒューマニズムをボクらがわかる言葉で一言で言ったら何ですか?」と板倉さんに聞いたら,「ヒューマニズムとは<相手に即する>」と言われました。今度は「即する」で調べてみて,「ぴったりつく」という意味と「基準にして従う」。ボクたちは教師なので,子どもに即している。つまり,「子どもの側につく,子どもの価値基準に従う」ということかなぁって。
仮説実験授業自体がたのしかったかどうかは子どもに聞くよね。授業の中で,54321で判断をする(則する)。でも,このことだけでは,授業以外のこと「進路」の方ははっきりしないので、もう少し知識が必要だなぁって
すると,板倉さんの言葉「未来のことはオトナでもわからない」という言葉を紹介してくれて。未知の問題に対してチャレンジしてきた板倉さんだからこういう言葉が出てきたかなぁって思うんですけれど。
「とりあえず決めるでいい」という考えだけで進路の問題が一気に肩の荷が下りるんですよ。それまでは「教師が言った何かの一言でこの子の運命変わっちゃうんじゃないか」と思ったら言いづらいし,責任を感じて「この進路ダメ!選んじゃ」と強く言ってしまう。「人生いつでも進路変更できる」…,これはボク自身,実感がありましたね。というのも,最初からボクは教師目指したわけじゃないので,「なーんだ、ボクだって大学卒業しちゃってから教師になろうって変えてるなぁ」「税理士って仕事もとりあえず決めたんだ」と思って。教師という仕事も,「教師ってとりあえず決めたわけで、たまたまたのしくできているから続けているんだな」って。
これらのことをもとにして考えた原理原則は,
①自分の進路は自分で決める。
②教師の役目は情報の提供者。
こんな二つの原則をもとに進路指導を考えてきました。

こんな原則を紹介してくれた山路さん。ボク自身も,この原則をもとに高校生と接していきたいな。そういえば,ジェットコースターのような人生を歩んできた,起業家・堀江貴文さんも,大学の卒業式にゲストとして呼ばれた際に学生に向けて「未来を恐れず,過去に執着せず,今を生きろ」なんてイカす言葉を残しています。

●今を生きる
 僕は老後のことなんて考えない。老後のことは老後になってから考えましょう。いくら準備してたって,50年後のことなんてわかりっこないですよ。今から50年前に出た未来予想図とか,その当時のSF映画とか見てみてくださいよ。笑っちゃうような描写がほとんどだと思います。人間なんて,5年先の未来だって僕だって予測できないです。今から10年前にみんながスマートフォンを持って,歩きスマホをしながらツイッターとかLINEとかやってる未来を10年前に想像できましたか?できなかったでしょ。僕もできませんでした。だから未来のことなんか考えることに意味はない。そして過去を悔やんでいる暇はみなさんにはないはずだ。なぜなら,これからグローバル化で競争激化してくるから。けれど,未来にはたのしいことしかないと思うんですよ。それをどうやったらたのしくできるか。それは,今を一生懸命生きることですよ。なぜ私がいろんなことにチャレンジして,いろんな失敗をしながら,たくさんの人に裏切られながらもたのしく生きられるかっていうのは,今を集中して生きているからです。僕は集中するとまさに寝色を忘れて一つのことに集中してしまいます。みなさんにもそうなってほしい。これから生きていくうえで大事なことは,ボクは目先のことに集中することだと思う。長期計画なんて関係ないですよ。まず,目の前のことをしっかりやってください。それをやらない限り何も始まらない。最後に,今僕が話したようなことを,一つの言葉にまとめてみなさんへ送る言葉とします。
「未来を恐れず,過去に執着せず,今を生きろ」。

(平成26年度近畿大学卒業式 特別ゲスト:堀江貴文スピーチ)

●進路指導の実際

また,このように山路さんが当時研究していた「進路指導」についての話題は,雑誌『たのしい授業』内でも座談会としてその記録が収録されていました。

小原 ぼくの中には原則を二つおいてあるんですけど,一つは,「自分の進む道は自分で決めようね」。これはある意味ではアタリマエのことなんだけれども。この原則は,教師の僕自身に言い聞かせるためのものでもあるんだ。「生徒の進む道は生徒が決める。教師が押しつけちゃーいけないよ」とね。それからたまに生徒の方から「先生,決めてよ」という子が現れることもあるんだ。親の中にもそういう人がいたりする。でも,やっぱり最終的には「自分の進む道は自分で決めようね」と。
 2つ目が「教師は情報の提供者であり,よき相談者であること」というの。「自分のことは自分で決めようね」だけじゃー,ちょっぴり無責任。進路に関する情報を意地良く(笑)教えたり,どんな道があるかをいっしょに探してあげたりしなくちゃーね。つまり,選択肢を整理してあげるってことかな。それで,後はどれを選ぶかは,子ども本人が決めるっていうことね。
板倉 「自分の進路は自分で決めよう」というのは,これはすばらしいことでしょう。昔は決められなかったんだから。オヤジが百姓だったら百姓だし,武士だったら武士だし,商人だったら商人なんだから。自分で決められるのは,二・三男の特権だったわけね。逆にいえば,長男は決められないけど安心だった。
 自分の道を自分で決めるのは素晴らしいことだけれど,同時にすごく怖いことでもあるわけでしょ。怖いから決められない。その時に,個性が非常にはっきりしていれば決められやすいんだね。ところが、個性がはっきりしてない子どもって多いでしょ。「個性とは何か」というのは一つ問題になる。ぼくは「個性というのは,いろいろなことからオチコボレたことによってできる」と思うんです。「まぁまぁ,みんな同じくらいにできる」というんじゃ個性はできないよ。「あれはダメ,これもダメ。だけど,あることだけはズバぬけてできる」ということになれば個性はできる。だから「全部できちゃう」という子どもはかわいそうなんだよ。
 中学3年あたりで初めて決断しなきゃならない。怖すぎちゃうんだね。僕みたいに落ちちゃえば,泣いたってしょうがないんだけどさ。その時に大事なのは,「転んでもシメタ」と思えるかですよ。人生なんていうのは先が見えたら面白くないけど、実際には先が見えないし,先が見えないものを「一流校に行かなきゃいけない」とか、「三流校に行かなきゃいけない」「こうでなきゃいかん」ということはいえるはずがないんだ。
 「たまたま一流校に受かりそうだから受けてみた」とか,「いや,落っこちそうだから二流校を受けた」とか。そして,たまたま受かったり,落ちたりするわけだ。もしかしたら落ちてよかったのかもしれない。「そんな負けおしみいうな」という連中がいるんだけれども,「おまえ,そんなに先が見えるの。一流校に行かなかったら,おまえの人生,破滅の気?」というわけ。そういうことは落ちてからいうと,いかにも気休めの感じだけども,一般的には言っておくといい。「先が見えないのに,たまたま選ぶんだから,固執しなくてもいいんじゃないか」というわけ。落ちた時に「もしかしたらシメタなのかもしれない」んだから,「新しい,違うことでがんばろう」と思えばいい。そういう気持ちの余裕がほしい。
小原 そうか,「たまたま決める」ということでいいんだ。ビシっと決めなくていいんだ。「自分の進む道は自分で決めようね。とりあえずでいいからさ」という言い方がいいのかな。

(『たのしい授業』no.104 人生は転んでもシメタ -座談会「楽しい進路指導」-)

二人の会話を聞いて,自分自身の進路をふり返ると,ボクは親や先生から,進路のことについて「こうしなさい」と押しつけられることはまったくありませんでした。生きたい道に自らの選択で選ばせてくれました。進路に限らず,日常生活においても押しつけられることはなかった。とても自由に,シアワセに生きることができたなと思っています。

また,板倉さんは進路指導に対してこんな言葉も残しています。

進路指導というのは,話題としては二三の方向があると思うんです。「哲学的に一般的に進路指導というものをどのように考えたらよいのか」という問題と,「現実的に中学校や高等学校の先生がどうしたらよいのか」という問題。それからもう一つ,指導はその場で終わるかもしれないけれども,「進路指導というのは一生の問題である」ということ。二つないし三つの種類の問題があるんだ,ということを覚えておかないと。

(『たのしい授業』no.104 人生は転んでもシメタ -座談会「楽しい進路指導」-)

 まだ,具体的に生徒と進路をどう考えていけばいいのかバッチリ見えているわけではないけれど,原則や方向性があるだけでも安心感があります。生徒に寄り添いながら,一緒に進路について考えていきたいなと思うのでした。


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