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内と外としがらみと
しがみつく(依存)、からみつく(期待充足の強制)
それが「しがらみ」
生きていくのに必要なことを知らない未熟なのも相手に
それを教えることにより「貸し」を作り
見返りにこちらの「欲求」を押しつけることで
相手をコントロールする
依存と欲求期待の充足による見返りコントロール関係
ある意味、上下関係によるいびつな相互依存
持つ者が持たざる者へ「与えること」によるコントロール
一方向の強制
持たざる者は、拒否できない関係
排除されたら生きてゆけないから・・・。
足元見られてる。
よって、依存する方は排除されないように「すり寄る」
その対価として、相手の欲求の期待充足を自ら引き受けざるを
得なくなり、それが「役割」となり、不本意ながら
その関係性が自分になる。
生き残るために、本来の自分じゃない自分の「役割」を演じることになる。
そのうち、本来の自分はフェイドアウトして、役割=自分になったように
錯覚する。
本当は、「役割を演じている自分」がどこかにあるはず。
そのお互いの期待と依存の充足における結びつきが
疑似兄弟、疑似家族化していく。
関係性が、「役割・行動=DOing」より「情・存在=BEing」へ
変化していく。
お互いの存在が不可欠になり
人間同士の関係(human being)になる
つまり
上下関係で強制的関係=Doing役割関係
平等な人間同士の関係=Being存在関係
内と外の関係でいうと
内は「身内、家族」だから、ともに生き残ることが目的
外は「外部契約、アウトソーシング」だから、お金で何とかなる
契約、ビジネスの関係。
う~ん、そういうものなのかも・・・。