地下アイドルの現場から足を洗った話
初めまして。七月一日にデザイナーとして入社しました。初日に頂いたあだ名は「たのちゃん」です。趣味は、毎晩飲むハイボールと読書です。今でこそ落ち着いていますが、一時期は生活費を削ってまで推しのアイドルに課金するのが日々の幸せだった時期があります。今回は、そのことについて少しお話しをしてみようかなと思います。
ep.1 一度卒業したはずの地下
2022年1月某日。私は3年ぶりに、苦手だったライブハウスに足を運んでいました。地下アイドル界隈に推しができるのはこれが人生で3回目、もう一生ここへは来ないと思っていたのに。なぜだか私はまた懲りずに、地下へと向かう階段を降りていました。下へ下へと向かう度に、酸素が薄くなっていくのを全身で感じます。予期不安で末端から震えてくるのをなんとか堪えながらフロアへとたどり着くと、そこはもう既に、ライブが始まるのを待つ数百人のオタクで埋め尽くされていました。密集するマスクの男女。まだ何も始まっていないのに熱気に満ち溢れた空間。私は今日、このむさ苦しいオタク達の群れの中に割り入って行く覚悟でここにやってきたはずでした。
けれど、目の前にするとやっぱりその異様な密度の高さに怖気付いてしまいそうになります。閉所が苦手な私が、いつもなら一番に避けるような状況。心は帰りたいと声を上げていますが、私はそれでも恐ろしいオタクの群れの中へと向かう足を止めません。なぜなら今日私は、「推し」に会いに来たからです。
めげそうになる心をひたすら自分で励まし続けます。どうしても「推し」を見たいという気持ちが私を無理やり人混みの中に立たせようとします。開演の予定時刻から1分。緊張感と気持ち悪さがピークに達して、やっぱり無理かもしれん、と諦めかけた時。ビリビリと皮膚が震えるような大きな音楽とともに、「推し」はステージに姿を現しました。
パステルカラーの衣装にふわふわと身を包んだ6人組アイドルグループ、その一番端に彼女はいました。担当カラーはパステルオレンジ。出会いは、アイドル好きの友達に見せてもらったミュージックビデオでした。ダンスが苦手で、歌割りも少なく、センターに来ることもほとんどない端っこの子。彼女の自信なさげな表情や、言葉数の少ない大人しい雰囲気、そのアイドルらしくなさは次第に私の目を奪い、しっかりと心を掴んでしまったのです。
ライブが始まると、客席を埋める6色のサイリウム。私は自分の光らせたオレンジ色が彼女の目に少しでも留まるよう、必死に腕を上げました。こんなにも人が密集しているのに、ステージには6人も可愛い女の子が立っているのに、ライブが始まってしまえばもう目に映るのは「推し」の彼女ただ一人です。その姿を追うことに夢中になっていると、一曲目が終わろうとする頃にはもう人混みの気持ち悪さなんてものは意識のうちからきれいに消えていました。あぁ、「推し」ってこういうことだよな、と私はいつの間にか納得させられています。こうして他のことが見えなくなったり、幸せな気持ちになったり、救われたり、感動を貰えたりする存在。そんな大切な存在を、一秒でも長く存在させたいという気持ち。それを絶やさないために、私はまた「推し」がいるところにやってきてしまうのです。
私の人生には常に「推し」のアイドルがいました。地下アイドル以外にも、長いあいだ韓国のアイドルに熱を上げていたり、寄り道のように色々に嵌っては好き勝手な感情を抱いてきました。私の人生には「推し」が必要で、「推し」がいるから今この時にも心の充実した日々を過ごすことができているのです。とはいえ、その幸せも多くを求めれば求めるほど、それなりの対価を払わなければいけないもの。「推し」の存続のために使うお金を惜しいと思わない私は、すぐにお金を積みすぎてしまいます。それまではコロナ禍で強制的に現場離れできていたのに、「推し」の存在はすぐさま私を恐ろしい現場に引き戻しました。
初めて生で見た彼女は動画の何十倍も可愛くて、存在してくれることが尊くて仕方なくて、私はきっとこの子にお金を積んでしまうんだろうと半ば諦めるように確信しました。同じ空間に存在できる時間があまりにも幸せに満ちていて、そんな時間をくれることがありがたくて。私はまた懲りずに、この子の日々の生活費に少しでも貢献したい。と、そう思ってしまったのです。
ep.2 地下だけのルール
地下アイドルの特徴的な活動の一つに「チェキ会」というものがあります。1日のライブの時間が2時間取られていても、歌って踊っている時間は20分程度でその後はずっとチェキ会をやり続けるという流れです。ライブ自体は1,000円程度で入れてしまうので、運営のメインの収入源はチェキ会の方にありました。その現場ではチェキ1枚2,000円で、「推し」に好きなポーズなどを指定して一緒に撮ることができます。撮ったチェキにはサインをしてもらえるのですが、それを書いてもらっている時間が唯一「推し」と言葉を交わせる時間でした。オタクは「推し」との会話したさに何周もチェキ列を周り続けます。私が彼女の生活費に貢献したければ、チェキを多く撮ればいい。単純なシステムがそこにはありました。
正直「推し」のチェキは欲しい。少しでもあの自信なさげな彼女にお金を落としてあげたいし、チェキ列を途絶えさせないようにしてあげたい、けど。推しと話すのは苦手だし、何か話題がないと推しに気を遣わせてしまうかもしれない。自分の自我が彼女本人に晒されてしまうチェキ会のような接触イベは、私が一番苦手とするところでした。
それでもアイドルたちはそんな私の相手も上手にしてくれて、絶対に楽しい時間にしてくれる。そして自分の番が終わる頃には来て良かったという気持ちに必ずさせてくれるプロです。何よりその不器用な会話の時間さえも「推し」と過ごした証拠として手元に残るチェキが、お金にはかえられない大切なものになる。だからどんなに苦手でも、チェキ会には毎回きちんと参加してお金を積んでいました。
三度目に会いに行った時、彼女は私の姿を見るなりすぐさま反応して私の名前を呼んできました。あれ、覚えられてる。チェキもそれなりに積んで、大阪公演に連日行っていれば仕方ないことなのかもしれませんが、「推し」に自分のことを認知して欲しいなんて思ってもいなかった私は驚きました。と同時に、恥ずかしくてたまらないような気持ちになりました。一度目のように自分で名乗らなくても、すらすらと私の名前をチェキに書いてくれる「推し」。オタクなんて大勢いるのに私のことを覚えてくれているなんて、本来幸せで仕方ないことのはずなのです。チェキ会が終わって、冷静になって、これを素直に喜ぶばかりではいられない自分に気がついてしまいました。それまで一方的に好きだという感情をぶつけていただけの私のことが、本人に認知されるようになってしまった。つまり、彼女自身が私の想いの大きさを測ってしまえるようになったのです。傲慢な話だと感じられると思いますが、実際に彼女は私のTwitterをそのうち把握するようになりました。チェキ会の時の話題に私のツイートの内容が出てきた時には、認知の本当の怖さを知ったものです。
もとより苦手だったチェキ会は、楽しいものとして印象付けられるよりも前に、使命として私のなかに根付いてしまいました。前回は何枚撮ったから、次も最低限それくらいは撮らないとがっかりするんじゃないだろうか。そんないらない心配ばかりをするようになっていきます。現場を休むと申し訳ないし、もっとしっかり推し事しなければ、と義務のように思うことが、この頃からだんだんと増えてきてしまったのです。
ep.3 燃え尽きるまで「推す」
推しとは本来、大変便利な存在です。期待してもよっぽど裏切られることはないし、向こうから見限られることもない。ただ一方的に好きであれば良く、その気持ちはどれだけ大きくても小さくてもいい。他のアイドルに浮気したっていい、そしていつでもどのタイミングでも推すことを辞めていい。楽で簡単で、責任のいらない簡単な推し事だったはずです。なのに、認知をもらった私の全身は完全に沼の中にずぶずぶに浸り切っていました。
その頃ちょうど彼女の生誕が近かったこともあり、私は何かプレゼントしなければという気持ちになってきました。認知をされ、オタクの中で比較され得るというステージに立ってしまったせいで、今度は競争精神のようなものが芽生えてきてしまったのです。あんなに一方的であることを望んでいたのに、今度は何をあげたら自分という存在が印象に残るかというようなことばかりを考えてしまうようになりました。いろいろと悩んでいたとき、ふと彼女がInstagramで「パステルオレンジの可愛い髪飾りってあんまり売ってないから困る」という投稿をしていたのを思い出しました。
そうか、私がヘッドドレスを作るしかない。
思い立ったが吉日。推しは推せる時に推せ。幸いにも私には、高校でデザイン科に所属していた経歴があります。服飾を多少かじって、卒業制作にドレスを作ったという経験があります。正直、ヘッドドレスくらいなら朝飯前でした。「推し」の言う通りパステルオレンジのリボンや生地は売っているところが本当に少なくて苦戦しましたが、なんとか材料を掻き集めるとすぐに制作に取り掛かりました。何しろ好きな女に渡すプレゼントです。手作りだからといってクオリティに言い訳はできません。諸々の総額は予算の1万円をゆうに越えました。チェキなら5枚分です。
これは今では伝説のようになったあの「好きな人にあげる手編みのマフラー」のように、結局は作る側の自己満足でしかないものだな、と作りながら感じていました。仕事が終わると夜な夜なお酒を飲みながら手縫いでちくちくとやる。気持ち悪いと思われるんじゃないかと落ち込んだり、想像以上の出来の良さに浮かれたりしながら、それでも本当に楽しんでヘッドドレスや髪飾りを作り上げました。その勝手なプレゼント作りが、私にとっては推し本人と会話することよりも楽しかったのです。
後日の大阪公演。完成した髪飾りと充足感を持って、いつものようにチェキ列に並びました。髪飾りは、アイドルたちが自分を可愛く見せるために必要不可欠な要素です。私はその制作において完全なまでに一方的に推し事をやり遂げたので、もはや彼女に気に入られなくてもそれでもいいと思えていました。
彼女は、私が期待した以上にヘッドドレスの出来を喜んでくれました。手作りであることも嫌がらず、それどころか嬉しいことに、明日のライブでつけるね!とまで言ってくれたのです。私は次の日、チェキをいつも以上に積みました。お金をかけてプレゼントをしてさらに、チェキにお金を積んでいる現実には、見て見ぬ振りを決め込みながら。
推しが自分の作ったヘッドドレスで出てきたとき、私は素直に嬉しくて幸せで飛び跳ねて喜びました。我ながら最高に似合っていて可愛くて、その瞬間は同じオタクたちの中で最も優位に立てた実感がありました。ライブが終わってからも彼女のTwitterは、今日のヘッドドレス可愛かった!なんてリプで溢れています。筆舌に尽くしがたいよろこびが、その時の私を満たしていました。これ以上ないほど、幸せだったのです。本当に、これ以上ないほど。
それからも、ライブには変わらず足を運びました。彼女は私の髪飾りを付けたり付けなかったりしながら、今までと変わらないアイドル活動を続けています。変わらず可愛いまま、優しく楽しませてくれる尊い存在のまま。
けれど私は、プレゼントを作って渡し終えると今度はまたチェキ会で何を話せばいいのかわからないただのオタクに逆戻り。彼女は以前と変わらないのに、私の内側だけが変化してしまったのを感じていました。「推し」を推すということの温度感を、忘れてしまいつつあったのです。さらに今度は、私に倣って髪飾りを手作りして渡す女の子のオタクが増えてきました。私の特別は、すぐにごく普遍的なものへと変わっていきます。一気に手応えのなくなってしまった推し事に、耐えられなくなってしまった。簡単にいうと、燃え尽きたのです。
地下アイドルとオタクというのは少々距離が近すぎたのかもしれません。
そもそも一方的で自由で、人生において便利であることを「推し」という存在に望んでいた私は、認知された途端に人より多くの使命を勝手に感じすぎました。
もちろん一度は推したアイドルですから、今でもその頃のチェキを見れば充分幸せな気持ちになります。ライブもすごく楽しかったし、生で見る彼女も本当に可愛かった。けれど、私にはきっと「推し」にヘッドドレスを作っている時間以上に、幸せを感じる推し事はなかったのです。一方的に相手のことを考えながら、人知れずそれを作る時間。
推し活も一つの自己表現であると思います。他のオタクよりも目立ちたいだとか、推しにこういうことをしてあげたいだとか。私は、自分が満足できるくらい「推し」のためを思う時間が作れて、さらにはそれを受け入れてもらうという贅沢な経験までできてしまった。それ以上に、彼女に求めることはもう何もありませんでした。
彼女を推していた期間は3ヶ月程度の本当に短い時間でした。でも、「推し」に対する接し方を考え直すきっかけになるすごく貴重な時間でした。最終的に、通うのを止めようと決意するときにはやっぱり私の一方的で自由な気持ちだったわけです。
急激に燃え上がって、すぐに燃え尽きた「推し」への感情。私は「推し」に対してはあくまでも、好き勝手に推し続けるという我儘を通したいのです。
こうして私は地下アイドルの界隈からまた足を洗いました。もう絶対にお金には戻せないチェキ数十枚と、短くも鮮やかな思い出を持って。