答え無き答え。
答え無き答えと言う箱型作品を作りました。
それは今わたしが感じ思うことだから。
私には具体的目標や夢などはありません。
目指すものもはっきりなんてありません。
生きるって何なんだろう?
普段は考えたり意識することもない。
どうなれば絶対的なんだろう?
完全体、絶対的な存在に。
過去を振り返ればそんな生き方をしてきたのかも知れない。
形ばかりに囚われてたのかも知れない。
『幸せな結婚』
『親友』
『地位』
『名誉』
『経験豊富』
『豊かな人生』
『見た目が美しい』
『人気』
等々。
それは
教育やメディアからの刷り込みから派生したものなんじゃないか?!と思う。
『○○じゃないと駄目だ』
『○○が普通』
『○○しないとだめよ』
『○○するべきでしょ』
なんだか絶対的超人を目指すように仕向けられる様な
考え方の中で育って来たように思う。
全て整い絶対的な人間なんているんだろうか?
私にはパートナーがいる。
それは幸せには違いないけども
だから完全体と言うわけではない。
誰とでも仲良く仲間が沢山....
そう言うわけでもない。
1年生になったらの曲にある
『友達100人できるかな?』
もどれほど私にとってしんどい曲か😅
それに気付くまでものすごーい時間がかかったと思う。
私は程よく距離感があるほうが
人と付き合いやすい。
世間で言う
『親友』なんて呼べる存在は居ないし、求めない。
一見寂しいように思われそうだけど
『仲良い』だけが関係性じゃない。
人の間の関係にはそれぞれのタイミングで距離感があると考えてます。
『あまりうまくいかない』
『嫌い』
『会いたくない』
も関係性です。
生きてると、
Aが正しくてそれ以外は正しくない。
と判断したりしがちだけど
(わたしもそれを沢山してきたと思う)
今は自分が思うスッキリがどこにもかしこにも無くても良いと思ってる。
スッキリを求めても
またモヤモヤはやってくる。
人生に、人に、それを求めてもきりがない。
みんなそれぞれの思惑で生きてる。
だからこそ共感共鳴が感動的で嬉しいのだと思う。
私は今、知らない情報を『知ること』
『自分が選ぶこと』を楽しんでる。
そこにちょっとした関わり合いを見つけることが面白い。
生きることは本来の自分自身を探ること....と思いかけてたけど
『答え無き答え』は
今の世の中と
私のそんな考え方との中で生まれた『関わり合い』の破片の様な作品です。
夜な夜な考えることがあり記録することにしました。