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【自分に優しく】プライド月間なので「カミングアウト」について体験談を語ろう【できなきゃやめろ】

本題に入る前に!
プライド月間について……

プライド月間(Pride Month)は、LGBTQ+コミュニティの権利と文化を祝い、支持を示すために世界中で行われるイベントが集中する月のことを指す。
特に6月は、プライド月間として知られています。これは、1969年6月にニューヨークで起きた「ストーンウォールの反乱」を記念しています。この出来事は、セクシュアルマイノリティに対する抵抗として象徴的な意味を持ち、現代のプライド運動の始まり


プライド月間では、パレードやフェスティバル、コンサート、教育セッションなど、さまざまな活動が行われます。これらのイベントは、LGBTQ+の人々が自分たちのアイデンティティを誇りに思い、表現する機会を提供します。また、同盟者(アライ)もこれらの活動に参加し、支持を示すことができます。

また、プライド月間は、ただの祝賀行事ではなく、LGBTQ+の人々が直面する課題に光を当て、平等と公正を求める運動でもあります。この期間中には、セクシュアルマイノリティの権利向上のための議論や政策提案が活発に行われることもあります。プライド月間を通じて、多くの人々がセクシュアルマイノリティのコミュニティに対する理解を深め、支持を表明する機会を持つことができます。

Microsoft Copilotが教えてくれた🫏

今月はプライド月間ですね。
そんな月にこんな記事を投稿するべきか迷いましたが、いろいろ考えた上で投稿することにしました。

今回はのテーマは「カミングアウトに関する姿勢」。
まず、カミングアウトは一人ではできません。
必ずする人される人がいます。

する人は勇気を信頼できる人を見極めて告白。
される人はそれを受ける。


これは私の学生時代の話。
楽しい生活を送る中でカミングアウトを受ける機会が何度かありました。

多少驚いたものの、そこは社会福祉学部の人間。
ちゃんと受け止め、自分の意見は最小限に、まずは相手への理解に努めました。


恐らく「カミングアウトを受けた」と検索したら、上記の姿勢を取ることを推奨されていると思います。
それ自体は間違いではなく、素晴らしいと思います。

だがしかし!!!!
この姿勢には無視できないほど大きな欠点が存在するのです。
そのことについて触れられてる記事が見当たらなかったので体験談(特定回避のためカミングアウト内容と時期をずらしています)を通して伝えていこうと思います。

よろしく🫏


カミングアウトを受ける人だってさ……

私が初めてカミングアウトを受けたのは大学二年生のころ。
内容はセクシャリティに関するもの。
告白してくれたのは友達。

その友達は、明るい性格ながら所々に影を潜ませている印象のある友達でした。
とは言え、影が見えているのにそこに触れるのはいかがなものかと思い何も言わない選択を私は選びました。

それが友達にとって心地よかったのか、その友達とは定期的に長時間話す関係に。
長時間をいくつも重ね、ある程度相手のことを理解したと思った矢先。

「話があるんだ」と言われ、誕生日が近かった私は「プレゼントがもらえるぞ🫏」と神妙な面をしながら心で踊っていました。
しかし、待っていたのはまさかのカミングアウト。

何事にも初体験というものはあります。
突然の衝撃と理由なき焦りに私はアタフタ。
頭の中が深い夜の霧に包まれているんじゃないかと思うほど、とっても寂しくて結末が予測できない未知に怯る私。

結局、聞くことしかできない時間が続く。
その間、友達はボロボロと泣きながら言葉を紡いでいた。
その言葉を受けて、友達の抱えていた苦しみを確かに見せつけられ動揺し、それでも何もできない。
姿勢は理解に徹しているものの、心の中では「何もできない自分が恥ずかしい」と激しい自己嫌悪に陥っていました。
今考えたら、この時点ですでに大きな間違いを犯しているとわかります。

当時の私は、そんなことに気が付くわけもなく、友達の話が終わってカミングアウトは終了。

自己嫌悪に陥る私のことなど知らずに、友達は感謝の言葉を伝えてくれた。
「タンナと一緒にいるとね、安全な気がしたんだ」。


その言葉に少し救われた、気がした。

連続。

カミングアウトを受けてからの私は変わった。
一番変わったのは「姿勢」。
常にカミングアウトを受けるための姿勢を取り鍛錬を積む。

次に変わったのは「言葉」。
気軽に発した言葉が取り返しのつかない傷を生むことを知ったから、常に言葉を選ぶようになった。

しかし、これらの変化は確実に心身にとって負担だった。
なにせ大学生活中だったので勉強をしないといけない。
その上、今まで当たり前だったことをすべて疑い、最善に変化させる。

疲れない方がおかしい。

それでも頑張って勉強と変化を続けた。
毎日の一人反省会、眠れぬ夜は最適な言葉を知るために辞書を引き、毎朝出かける前に「今日はミスしないように」と祈る。
そして普通に勉強。

生まれて初めて、誰かのために頑張ることをしていた当時の私はがむしゃらだった。
この二つを同時に行うことで、私は誰かにとっての「安全」になりたかったのかもしれない。

安全を感じられて、なおかつ知識もある。
そんな大人に私はなりたかった。


でも今のままではなれないから、頑張らないと。


それらの努力が実り始めたのは数か月後。
だんだんと友達が増えてきた実感を覚え始めた。
それまで話さなかったような連中と知り合ってお話をする。

これまでの自分と決別して、ついに変化したんだと喜んだ。
安全で知識のあるタンナに!

先輩に、後輩に、同級生。
年齢はバラバラだったけど、それが汎用性の表れだと思ってうれしかった。

そして知り合いが増えていく中でカミングアウトを受ける件数も増えていった。
その度に今まで学んだ事を活かしつつ、相手の理解に勤め続ける日々。

とても充実していた。
それまでの甘えた自分を壊していく感覚がたまらない。


と、同時に異変が発生した。
無視できないほどの酷い倦怠感と、ありとあらゆる会話に対する怯え。

ありとあらゆる優しさはオートファジー

当時の私は確実に無理してカミングアウトを受けていた。
その上、傷つけないようなコミュニケーション方法と安全になるための佇まいを学ぶ毎日。

付け加えて、日々の勉強。
ダメ押しで、父のがんが発覚しついでに借金もたくさんあると発覚😿。

それでも優しくしたのは、自分が優しくしてほしいから。
いつか返してくれると。

実際、返してもらってない。
カミングアウトしてきた人たちにとってはようやくつかんだ普通であって、私は普通以上を求めていた。
ここにミスマッチが発生している。

若干ではあるもののミスマッチ感を無視してカミングアウトを受けていたのだから、怖くなって当然。
その恐怖すら無視した結果が、前述した違和感の発生、つまり会話に対する恐怖と倦怠感だ。

やはり、優しさはただじゃない。
相手に何かを期待する心、普通じゃない集中力、カミングアウトを受ける責任感。
これらを全く無視して無償でやっていたから、それが嫌になった。

一度嫌になったものは二度と戻らなかった。


トラウマの再来を恐れるように、カミングアウトの再来を恐れた私は逃げた。
カミングアウトをしてくれた友達からも、そんな私を好きだと言ってくれた人たちからも。

私の体験を通して、カミングアウトを受けるのにいちいち検索するような優しい人がつぶれないことを願う。

カミングアウトは自分の体調を優先しないとその人たちを置いてどっかに行ってしまう。

ぜひとも注意してほしい。
自分に優しくしない人は、いずれ他人もその冷酷さを向けることになるということを。


余談 タンナのその後

違和感の発生という犠牲を払って得た「言葉遣い」と「理解に努める姿勢」は未だに役に立っている。

でも、私はそれをプライベートで使うことはない。
その理由は、もはやトラウマとなっているカミングアウトを誘発しかねないからだ。
仕事上で使う理由は、絶対にカミングアウトにつながらないと理解しているため。

一応SNSではそれらの姿勢と言葉遣いを使うことはある。
何故なら私のプライベートゾーンに入ってこない上に、それでも嫌になればミュートなりブロックという機能を使う選択肢があるから。


一応、あの日々は無駄ではないけれど、もう一度同じことをしたいとは思わない。
自分を犠牲にした優しさなんて冷酷になるための準備運動みたいなもんだもの。

今現在の私はかつて自分が思い描いた理想の大人、つまりは「安全で知識のある大人」とは程遠い。
それなりの言葉遣いをしつつも、他人とは距離を取って安全圏を確保しそれを侵害する人からは逃げる大人になった

私の選択の結果ではあるので後悔はしていない。
ただ、私と似たような状況にいる人を何人か見かけたことがあるので、私の体験談も無駄にはならないだろうと思い今回の記事を書きました。

何かのお役に立てれば幸いです。

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