自分の意識を持ってみる
ずっとある目的に向けて活動している。
自分の中をさらけ出して、整理して、もう一回思い出して。
それを応援してくれた人がいる。
ところが、最近は活動自体が目的になって、
こうしたらいいかな?ああしたらいいかな?と浮かんでくること
を投げかけてみると、あなたがそうしたなら、そうすればいいと思う。
そういわれることが、何だか投げやりのような、見放されたような。
そうではなくて、あくまで活動しているのは自分の為。
そこに至る道も、どうやって辿り着くか、起きてくることに対してどう向かいあうか決めるのも自分。
何も投げ出されているわけではなく、この人に判断を任せても大丈夫だろう
と思ってもらえたから、自分がそこまで辿りつけたが故の反応だった。
そこに至るまで、また堂々巡りしていた。
直接聞いてみれば良かった。
臆病な自分がまた顔を出していた。
いつかは自転車も、補助輪無しで乗る日が来るように。
いい意味で卒業できる日が来るように。
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