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【六日目】子犬のせいで寝られない

 怪談好きにはお馴染みかもしれません。水野葉舟という文学者がおります。
 明治期に新進作家として文壇に登場した彼ですが、大の怪談マニアでもあり、古今東西に渡る様々な幽霊談・妖怪談の蒐集を行っていました。
 そうした興味関心を通じて知り合った岩手出身の佐々木喜善という青年を後に民俗学者として知られる柳田國男に紹介し、そこからあの有名な『遠野物語』が生まれます。
 いわば、『遠野物語』成立の影の立役者となったのが水野葉舟だったわけです。

 水野葉舟と怪談との関わりについては、横山茂雄さんの論文「「怪談」の近代」(『日本文学』54巻11号、2005年11月年)などを読んで頂くとして、ここでは水野が蒐集した怪談の中から個人的にすごく好きなお話を一つご紹介致します。

 これがどこの話であったか、すっかり忘れてしまった。
 それどころか、人から聞いた話だったか、何かで読んだ話だったか、最近の話か、昔の話かすらも覚えていない。

 とにかくある山寺に一人の男が泊まったところから話は始まる。
 長旅で疲れ切った男は、用意してもらった寝床に入るとすぐに寝入ってしまった。

 ところが真夜中になると、いったいどこから忍び込んだのだろうか、屏風の陰から沢山の子犬が現れて、きゃん、きゃんきゃん、と鳴き出すので目が覚めしまう。
「やれやれ」と思って、仕方なく布団から這い出し、部屋を縦横無尽に走り回る子犬たちを一匹、また一匹と捕まえて、片っ端から障子を開けて庭へ放りだした。

――これでようやく眠れる。
 男は安心して、また寝床に入り、目を閉じた。
 しかし、またしても、どこからか子犬たちが忍び込んでいて、きゃんきゃんと鳴き、バタバタと畳の上を走り回っている。
しかも――。
 明らかに先ほどより数が増えているのだ。
「勘弁してくれ」
 仕方ないので、また布団から出て、逃げ回る子犬たちを捕まえて部屋から追い出した。
 そして、再び寝床へ。
 だが、またすぐ子犬たちが現れる。追い出す。現れる。追い出す。現れる・・・。

 結局、男は一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。
 さすがに腹に据えかねた男は、すぐに山寺の住職のもとへ行き、文句を言った。あの子犬たちはいったいなんだ。あれじゃ眠れないじゃないか、と。
 すると住職は、目を丸くして言った。
「何を仰ってるんですか。この寺には、犬など一匹もおりませんよ」

水野葉舟「犬についての談」(『勧銀月報』明治42年12月号)をもとに編訳

 以前、馬が部屋いっぱいに充満する話をご紹介しましたが、子犬なら可愛くていいですね。
 この犬たちの正体が何だったのか、話の中では最後まで明かされませんが、かえってそこが分からないからこそ、最後の住職の一言が不気味に効いてきます。
 滑稽さと不気味さと癒やしが絶妙に織り交ざっていて、とても好きな怪談の一つです。(2025年2月15日)

【今日紹介した話】
・譚空ID.12694(No.5045)「子犬のせいで寝られない」(水野葉舟「犬についての談」『勧銀月報』1909年12月号)



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