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【一日目】人力車に乗る女の幽霊
今でもタクシー運転手さんの語る怪談に「消えた乗客」の話がありますよね。夜道で女の人を乗せたら、途中で消えてしまった・・というやつ。
あの話は既に明治時代初期から人々の間では「うわさ話」として語られていました。
もちろん、明治時代はタクシーどころか自動車もまだ走っていません。
そこで登場するのは「人力車」でした。
明治16年(1883年)に大阪で刊行されていた『朝日新聞』には読者からの報知として次のような怪談が報道されています。
二、三日前の夜十時頃のこと。
大阪の梅田停車場から安治川の辺りまで客を送った人力車夫が帰り道を急いでいると、道端からヒョロリと若い女が姿を現した。
歳の頃は、十八、九歳くらいだろうか。
「車夫さん、老松町まで乗せて下さいな」
女がそう声をかけてきたので、車夫は特に怪しいとも思わず、人力車に乗せてやった。
しばらく走って、やがて女が指定する老松町三丁目の屋敷に着いた。
「どうぞ、門戸を開けて下さい」
車夫は言われるまま門を開けてやり、後ろを振り返ったが、そこに女の姿はない。
驚いた車夫は慌てて家の者を起こし、ここまでの事情を伝え、お代を払って欲しい、と訴えた。
しかし、それを聞いた家の者は唖然としながら車夫にこう言った。
「うちの娘は先々月に栴檀木橋から飛び降りて、遺体は安治川で見つかりました。当時の新聞にも出て、世間にもよく知られております。その娘が帰って来る筈ないじゃありませんか・・・」
それを聞いた車夫は、(迷っていた亡魂が、俺の俥に乗って家族のもとに帰ったのか・・・)と思い、ゾッとした。
乗せた娘の年格好を伝えた所、その身投げしたという娘と寸分も違わなかったという。
――こんなことをわざわざ報知してきた人がおりますが、このような奇怪なこと、あるはずがありません。
きっと、何かの間違いでしょう。
(『朝日新聞』明治16年9月5日の記事をもとに編訳)
「人力車」を「タクシー」に、「人力車夫」を「タクシー運転手」に変えれば、そのまま現代の話としても十分通じそうな怪談です。
ちなみに、日本でタクシーが営業開始するのは明治末期、都市を中心に普及するのが大正中後期になってからですが、既に昭和初期には、タクシー運転手の実体験として「消えた乗客」の話が語られています。
(例、岡田生「幽霊は円タクに乗って」『教育学術界』68巻3号(1933年12月号)、「幽霊実在説」『カレント・ヒストリー』3巻5号(1936年5月号)など)
それにしても、どうして幽霊は自分で歩こうとせず、人力車なり、タクシーなり、生きている人間に送られたがるのでしょうか。甘えてるのでしょうか。
「一駅だし、全然歩くよ」という健康志向の幽霊や「私、今日飲んでないし、車出そうか?」と、むしろ家まで送ってくれる幽霊とかいたら一発で好きになっちゃうな、と思います。(2025年2月10日)
【今日紹介した話】
譚空ID.8394(No.9090)「人力車に幽霊」(出典『朝日新聞』1883年9月5日)