
【七日目】貸座敷・玉利屋の怪
明治26年(1893年)12月25日、『やまと新聞』の社主である条野採菊が怪談会を主催しました。この会には当時著名な芸能人や文化人が多く参加し、そこで語られた話は翌年の1月から『やまと新聞』で「百物語」と題して連載が行われました。
この怪談会については、既に東雅夫『百物語の怪談史』(角川ソフィア文庫、2007年)や『やまと新聞』の連載を復刻した『幕末明治 百物語』(国書刊行会、2009)所収の近藤瑞木「『百物語』の成立」に詳しく書かれていますので、そちらをご参照頂くとして、今回はその『百物語』の中から一話を紹介します。語り手は三遊亭円朝です。
内藤新宿に、「玉利屋」という貸座敷がございました。
ここに足繁く通っていたとある法華寺の和尚が自殺を致しました。借金で首が廻らなかったのか、何か他に仔細があったのか、その辺りは存じませんが、まあ、色々事情があったのでございましょう。
この和尚さんが、玉利屋の女に執着でも残していたんでしょうねェ。夜な夜な玉利屋に出るっていうんですよ。
商売が商売ですからね。当然、そんな話が広まれば客足も減ります。玉利屋でも心配を致しまして、田川という代言人(※今の弁護士)の先生に相談を申し上げたんです。
すると先生、
「箱根からこっちに野暮と化け物は無いって昔から言うだろう。まして、今は開明の世だ。そんなこと、あってたまるか。それがいわゆる神経って奴さ」
と申しました。
「いや、それがどうもそうじゃないんですよ」
「それなら、私が行ってみよう」ってな話になった。
その晩、田川先生はうわさの座敷に入り、行灯をたくさん灯して、その和尚とやらを待ち構えておりました。
しばらくすると、行灯の灯心が段々とめり込んできて、辺りが薄暗くなる。それに伴って、座敷もどことなく陰気になりますから、灯芯を掻き立てると、その時はちょっと明るくなりますが、すぐにまた灯芯がめり込んで、ぼんやりと部屋は暗くなっていきます。
先生、どうにも気味が悪くなって、
「これはいかん。これは変だ。灯芯はいかん。蝋燭にしよう」
と言って、今度は燭台に蝋燭を二つ灯した。
これで部屋が明るくなった・・・と思いきや、また蝋燭の芯がだんだんとめり込んで、座敷の闇が濃くなっていきます。
「これはいかん、これはいかん、もっと大きい蝋燭を」
そう言って、大きな蝋燭に取り替えましたが、無駄でした。
どんなに座敷を明るくしようとしても、やはり部屋は暗くなってしまうのです。
「これはいかん・・・。よほど変だ・・。私はもう帰る」
そう言って、階下に降りて時計を見ると、もう1時を回っておりました。こんな時間に帰るのも、それはそれで気味が悪い。
玉利屋もぜひ泊まっていけ、と申しますので、風通しの良い下座敷に蚊帳を釣って寝床に入りました。
すると、どうにも蚊帳が自分の身体に巻き付くそうです。
「おおかた風のために蚊帳が巻き付くのだろう」
と思って、暗闇の中、手を伸ばして蚊帳を押しますと、向こうからくいっ、くいっと柔らかく蚊帳が押し返される・・・。
田川先生、いよいよ変だと思って、首だけ起こして、そっと蚊帳の奥を見ますと――。
真っ黒な細長い腕が、蚊帳をくいっ、くいっと押していたそうです。
この時には、さすがの田川さんも、ぞっと致したそうでございます。
「百物語」第十席・三遊亭円朝 談をもとに編訳。
あえて幽霊の全身を出さず、「真っ黒な細い腕」だけで表現するところに、落語の怪談噺に登場する幽霊とは一味違う不気味さを感じることが出来ます。
編訳する時に三遊亭円朝の語りを極力再現しようと苦心しましたがいかがでしょうか。
冒頭でも紹介した『幕末明治 百物語』(国書刊行会、2009年)で原文を読むことも出来ますので、興味ある方はぜひ、ご一読を。(2025年2月16日)
【今日紹介した話】
・譚空ID.9731(No.15102)「玉利屋の幽霊(第十席)」(『百物語』1894年)