もし今の言葉全部きみのための作り物だとしたらどうする?

自分でいちばん怖い部分の話をしようと思う。

私はまあ、なにをどうしたら周りが満足するのかわからなくて。

思い通りに行かなかったら怒鳴る人ばかり見てきたので、どうしたらみんなが怒鳴らなくて済むのか考えながら生きてた。

そうしたら、いちばん安全な道は言わずもがな、

周りの言う通りにする。

になって。

そうしたら、自分の自我なんてどこかに片付けたまま、どこにしまったか思い出せなくなって。

ある日突然、今まで色々教えてきたのだから、何も言わなくても自分一人でできるでしょ。

って言われた時、

なんにもわからなくてよく叱られた。


どうして当たり前にできることができないんだ。

そんなこと、一々教えなきゃいけないのか。

自分で考えて、やってよ。



母親はよくそう言って怒鳴って突っぱねたけれど、私にはよくわからないままで。

泣きながらイメージでやってみて、母親の理想に近づけなくてまた叱られて。

そんなふうに育ったものだから相も変わらず自分の意思がなくて。

どうしたら相手は喜ぶだろう。
いま、相手は何して欲しいんだろう。
どんな言葉をかけて欲しいんだろう。

よく、そう考えながら他人と接するようになって。


そんなことをしていたら、気づけば相手に合わせるのが習慣になってしまって。

それと同時に、わからないこと、知らないことをとりあえず知ってるって言う癖がついた。

私はよく知らないけど、こんな私だから知らないのであって、みんなは知ってるのかもしれない。

私が選んだんだ。私が、脳死で人の言うこと聞くだけの毎日を選んだのだから、これはその延長なのだ、と。

周りの文脈から推測すればいいや。
きみが話してるうちにきっとわかるや。

そう思って知ったかぶりばかりするようになって。


結局何が言いたいかというと、

いまきみと話している私は、私がトレスしたきみかもしれない。

いまきみと話している私は、私の思うきみが言いそうな言葉を並べているだけの空っぽな存在かもしれない。

いまきみと話している私は、きみが欲しそうな言葉を並べているだけの存在かもしれない。

いまきみと話してる私は、私が求めてる理想像かもしれない。

そんなことこれっぽっちも出来ないし知らないのに、あたかもそんなふうに喋ってるだけかもしれない。

こんなこと言って、きみが離れていってしまったらどうしよう。きみは優しいからきっと離れてなんて行かないだろうけれど、離れていってしまったらどうしよう。

私は今、きみがくれる言葉にすごくすごく支えられていて。

私はきみともっともっとたくさん話したいし、

私にだってきみを救わせて欲しいのに、

どうしても、いつも、自分が自分が怖くて、怖くて、きみと話す度怖くて、きっと自分だって思い込みたくて、ねえ、どうしたらいい?どうしたら。

片付けてどこにしまったか分からない自分自身が、

まだ片付けたままなのか、
もう手に持ってるのかすらも分からない。

ごめん。ごめん。
きみが信じてくれる私が、私じゃないかもしれない。

ごめん。

でも全部私のせいだから。

怒鳴る大人が怖くて、考えるのをやめた私のせいだから、

だからきみにはなにも気にしないで欲しい。

おれは、嘘をつきたくない。

おれは、本当のことを話す時、一人称がおれになりがちなことに気づいてから、

本当の自分で居たい場所では普段からおれって言うようにしてるし、それにつられて本当のことがちょっとずつでいいから出せればいいなって願いながら今日もきみと話す。

私だから嘘ってわけじゃあないんだけどね。
もう20年近く私を使ってるから、癖で出ることもあるしね。

でも、嘘ついてんなって、もしわかったら指摘してくれて構わない。

いいや、指摘して。きっと気づい欲しかったから。

ごめん。わがままだ。ずるい。ごめん。

ごめん。

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