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聖隷佐倉市民病院 入院の付き添い 体験

認知症の母が白内障の手術の為、入院することになったが…


認知症状で、医師から指示が通らないため全身麻酔を使用して手術を行う旨の説明を受け、同意した。

入院前に、眼科の検査を行うが、母ほ医師の求める指示が上手く伝わらず、僅か数分で済む検査も倍以上の時間を要した。
正確な検査が出来ずに終わる項目もあった。

全身麻酔を使用するにあたり健康診断で行うような検査を一通り行うのだが、なかなか思うように運べない。

母は認知症になってから、待つことが苦手になってきた。耳も遠くなり、都合の悪いことは特に聞こうともしない。
医者も嫌い。
検査を受けるのは一苦労だ。

入院前の検査が終わり、説明を受けていた。

「今回の手術は全身麻酔を受けられるので、ごお母さまもご不安でしょうし、認知症もおありなので付き添いをお願いします」と医師から言われた。

その時は付き添いの意味をあまり深く考えておらず、「分かりました」と頷き帰宅した。

時間が経過するとともに
付き添い?
手術当日の話?
医師は付き添いに関して具体的な話をされなかったので、皆目検討がつかなかった。

病院に確認してみると、入院から退院まで付き添いをお願いしたいとのことだった。

認知症の母を病棟の看護師が対応するのも大変だろうし、母が不穏にならない為にも付き添いは必要かと思い、私が対応することにした。

そうと決まれば、一気に忙しくなってきた。
急遽、仕事(シフト)調整をお願いしなくてはならなくなった。

入院前日は夜勤で、明け番に入院、2連休戴くことでなんとか調整が出来た。

お気楽な私は旅行計画を立てるかのように病院のホームページを開いた。

入院に関する項目を読み漁るのだが付き添いに関する項目は見つからない。、

🔎「付き添い」というワードで検索をかけても、乳幼児は付き添いをお願いすることがありますとだけ。

入院期間中の私の寝床は?
食事は?
売店でポットのお湯と電子レンジが使えることは事前に見ていたので知っているが、病棟は?
院内のレストランは平日の9時〜15時までの営業で、テイクアウトはしていない様子。

付き添い体験等、誰かSNSにあげていないものかと検索したがやはり見つからない。

ならば私の体験談をあげ、同じように付き添うことになった方の参考になれば幸いだ。


入院受付

事前に渡されていた必要書類を提出。

✽事前に看護師、薬剤師、管理栄養士の面談での確認事項は済んでいるため、書類の確認のみ。

受付より、診察券の入ったファイルを受け取り病棟のナースステーションに行くよう案内される。

✽パジャマなどレンタルを希望の場合は入院受付を出てすぐのところに受付あり。

入院セットのレンタル申し込み

パジャマ、バスタオル、タオル他、入院に必要な物品がセットになっているため、身軽に入院が可能。

ということで、母の荷物は肌着と持参薬くらい。義歯ケースから、洗顔フォーム、化粧水まで付いてくる。

一方、付き添う私の荷物はスーツケース。
しかも普段の旅行に出かけるよりもパンパン。

旅行なら滞在先のホテルにバスタオル、タオル、パジャマ、歯磨きセットなどのアメニティが充実しているが、全て持参。
おまけに、カップ麺、菓子パン、飲み物類も持参しているので大荷物だ。

病棟で受付

受付で預かったファイルを病棟のナースステーションに渡す。

病室に案内される前に、身長、体重測定をおこなう。

病室へ

案内された病室は角部屋の個室。お向かいはシャワールームで、介助の要らない入院患者の方が利用されていた。

角部屋ということで、ナースステーション、デイルームからは離れていた。

病室内には、個室のためテレビ、冷蔵庫、テレビ台に戸棚、引き出し、引き出し式の金庫、クローゼットが備え付けていた。
それ以外に家具調のロッカーがひとつ。
テーブルに椅子&オットマン完備。

大きな洗面台とは別に
トイレとシャワー室が完備。

滞在中も快適に過ごせそうだ。

入院時は父も同行していたので、父が居る間に売店へ行き、足りないものを補充した。

デイルーム

デイルームにはテーブルと椅子、テレビ、自販機、電子レンジ、トースター、給茶機(冷水、お湯、お茶)が完備。

売店で購入したお弁当の温めや、カップ麺やコーヒーのお湯をいただきに何度も足を運ぶことに。

病室から距離があるため、母ひとり病室に残すのが気がかりで足早に廊下を行き来することに。

母は漢方薬はお湯で溶かしたものしか受け付けず、150ml位のlのステンレスボトル2本
に入れてお湯を調達していたが、1リットルくらいの容量の水筒を持参すれば良かったと後悔。

手のひらサイズの水筒

付き添い者の寝床

有料で簡易ベッドが用意された。

病院からのお願いで、個室に簡易ベッド。
差額ベット代、簡易ベッド代
全てこちら持ち。
なんだかなぁ…。

簡易ベッド

ギシギシと寝返りを打つたび大きな音がするので、隣の病室まで聞こえるのではないかと気が気ではなかった。

手術前日

母の夕食の食札には消化食と記載されていました。手術前なので消化の良い献立の食事が提供。

母は自力で完食。
この食事から翌日の夕食まで絶食となる。
水分摂取は翌朝6時まで可能。

母は夜間帯にトイレ頻回と父から聞いていたがなるほど…45分から1時間おきに介助が必要だった。

自宅ではトイレは自立だが、トイレの度に起こされる。

夜勤明けには厳しい。

手術当日

朝5時40分に朝食後薬を服用してもらう。
術後3時間までは絶飲食。
手術は9時半に始まった。
母を手術室で見送り、手術が終わるまで病室で待機。

待機中に売店に行って、朝食と昼食を調達し、
遅めの朝食を取った。

夜勤からの寝不足のためかウトウトしながら手術が終わるのを待っていた。

ウトウトと寝落ちして直ぐに、看護師が呼びに来て、回復室に案内された。

回復室

手術直後の患者は麻酔からの覚醒が不十分であり,呼吸・循環状態が不安定であるため,一般病棟に戻る前に注意深い監視が必要とのことで、母も酸素マスクを付け、点滴、ベッドサイドには心電図、血圧、サチュレーションの数値を示すモニターが設置されていた。

白内障の手術を両目一遍に行ったが、片目だけガーゼ保護されていた。


母は声掛けに反応し、喉が火傷しそう…ヒリヒリ痛いと話す。

看護師によると、気管挿管の影響で1週間くらいは痛みが続くかもしれないが、心配ないとのこと。

術後せん妄

回復室に通されて、10分もしないうちに母の様子に変化が生じた。

ベッド上で落ち着きなく動き、酸素マスクを外したり、目のガーゼ保護を触ったり、指に巻いているパルスオキシメーターを剥がそうとしたり、点滴のチューブを引っ張ったりと忙しい。

母の横たわるベッドサイドにパイプ椅子を用意して下さったが、落ち落ち座ってか居られず、母の忙しい動きを制するために母の両手を握る。

入院の際に提出した書類の中に身体抑制に関する同意書のようなものにサインした。

身体抑制は、患者様の生命の危機と身体的損傷を防ぐために必要最小限に行うもので、患者の人権を尊重し、安全を優先させ他に代替手段が無い場合にのみ実施するとされている。

術後のモニタリングが始まったばかりで、先は見えないが、見守りをお願いされていた3時間、ずっとこの状態が続くのだろうか?

母の周りにも術後の患者がカーテンを仕切った直ぐ横で回復を待っていたが、付き添いが付いている気配もなく、モニター音だけが聞こえてくる。

一方、母はというと、時間が経過する毎に、私の手を振り払おうとする力が強くなり、体動も激しくなり、言葉でも抵抗を始めた。

手の自由が利かないため
「放しなさいや」
「のこぎりで切り落とすよ」

手を振り払った隙に、私の手を叩いたり、抓ったり…元気だ。

私は手を握りながら母に話しかける。
暫く安静にしていないと。

当然ながら、母にとって知ったこっちゃない。
煩わしいものは一切合切外してしまいたいのだ。

そしていよいよ端座位になるような仕草を始め、まだ動いたら駄目だと伝えると、

「トイレに行きたい」と。

術前からパンツタイプの紙おむつを履いていたので、オムツにして大丈夫だと言い聞かせるが
全力で起き上がろうとするので、堪らずナースコールを押した。

コールに対応してくれた看護師に事情を説明し、やはり紙おむつにして大丈夫と話すが聞き入れず、尿瓶を提案して下さり、尿瓶に用を足した。

その後も、相変わらず母との攻防は続くのだが口調に変化が見られるようになった。

私の知らない母が出現し始めた。

「もう結構ですから貴方はあちらに行って下さい」
「喉が火傷するように痛いのです」
「早くここから帰して下さい」
「何故このようなことをするのですか」

眼帯をしていない片方の眼は、まるで知らない人に向かって話すかのよう。
顔つきも普段とは異なり、愕然とした。

困惑しながらも、なんとか母をなだめ、動きを制しするのだが、夜勤明けからずっと母の介助をしていたのもあり、気持ちの疲労がピークに達してしまった。

「どうしてそんなに困らすの? 夜勤明けからずっと寝ずに頑張ってるのに!」

「私のことが嫌ならお父さんに代わってもらっって、帰るからね!」

感情的になりとんでもない台詞を吐き出してしまった。

これまでの人生で親に暴言を吐いたことが無かったのだが言わずにはいられなかった。


その後も興奮して状態で器具を外そうと頑張る母を見兼ねたスタッフは、モニタリングの場所を病室に変えた。

周りの患者さんに不穏を与えな兼ねない状態だったに違いない。

病室に戻ると父が面会に来ていた。
私はひとまず、母の見守りを父に委ね病室を出た。

気持ちのリセットが必要だった。
デイルームの自販機で炭酸飲料を買い、ひと息ついた。

10分ほどして病室に戻ると、父が代わりに母との攻防を繰り広げていたが、口調は私と違い穏やかなものだった。

デイルームから戻ったタイミングで全て外された。

母をトイレに誘導しようとベッドに座らせ、立ち上がらせたが、膝折が折れ、重心が上手く取れず傾きが見られた。
両手引きをしながら、看護師は腰を支えながらの歩行となり、不安を感じた。明日無事に退院出来るのだろうか…。

トイレのあとは、嚥下状態の確認。
母はコップから水をむせることなくを飲み込んだ。

私の不安を他所に、父は無事に手術が終わったことに安堵し、早々帰宅した。

私は内心、もう少し居てくれても良いのにと思ったが…退院したら父がずっと母親と生活しなくてはならないので、母の入院は父にとって、貴重なレスパイトになっているのだ。

父が帰った後、母も疲れたのか少し大人しく寝ていた。

夕食が運ばれて来た。
母をベッドから上体を起こし、箸を渡すが受け取らない。
声掛けにも反応なく能面のような顔を見せる。

口元に食べ物を運ぶと口を開く。
主食4割、副菜3割ぐらい摂取したところで、
口も開かなくなったので、夕食後薬を服用してもらう。

暫くは声がけに対し無反応を通し続けるのだ。
術後のあるある症状らしいが、見知らぬ老患者を介護しているようだった。

何をするに協力動作がない。
何を聞いても、目すら合わせずだんまりだ。
反応がないのでついつい口調も強くなってしまう。

するとそれまで黙っていた母がひとこと
「こんなキツイ子だなんて思わなかった」と。

その日からの言葉は私の心に大きな衝撃を与えた。
母の気持ちに寄り添って接していなかったのだと悟り、酷く動揺した。

母が私に対し、わだかまりを感じでいるかもしれないが退院までは、介助させてもらわないとと、落ち込みながらも母と向き合った。

術後2回目、トイレ誘導。
母を両手引きでなんとかトイレまで歩いてもらい便座に着座させることが出来たが、安全にベッドまで戻す自信が無く、ナースコールを押し、車椅子を借りることにした。

トイレが終わり、やっと私は夕食を口にした。

母は大人しく横になっていた。

夜9時過ぎに担当看護師のが体温測定をするために母に近づき、腋窩式の体温計を脇に入れようとすると、

「なにするの!この変態!」
暴れて拒否で測定不能に終わる。

看護師は左目の保護具を外されたら、直ぐ呼ぶようにと言って病室を去る。

前夜はトイレが頻回で、その都度声をかけられ寝る間も無かったが、今夜はよく眠っていたため、いつしか私も寝心地の悪い簡易ベッドでウトウト…意識が遠のくのを感じでいた。

2時間くらい寝てしまい、母の様子を見ると、
あるはずの眼の保護具が無くなっていた。
ベッドの下に無惨に落ちていた。

やってしまったと思いながらも、母の眼元を確認するが傷なども見受けられず、ナースコールを押し看護師に処置をお願いした。

看護師が処置のため母の傍に来ると、母も気づき目を開けるのたが、先ほどとは違い穏やかな表情を見せた。

処置が終わり、暫くすると母はベッドから起き上がる動作を見せたので、傍に行くと私の名前をちゃん付けで呼び、トイレに行きたいと言う。

とりあえず、車椅子に移乗して貰うのだが、協力動作もあり、ほぼ自立で移乗が出来た。
トイレ内の動作も問題無かった為、帰りは手引きで歩いてベッドに戻ると
「ありがとう」と母が言う。

その後、夜間帯のトイレは1回のみ。

暫く覚醒していた母は、私に迷惑をかけて申し訳ないと口にする。

私は大丈夫だと答えるが…心中穏やかで無い。

何に対して?
単純に入院中の付き添いにたいして?
それとも術後、私が母にきつく当たってしまったこと?

退院当日の朝

朝は6時頃に気配を感じ、それに合わせて私も起床した。

そういえば今日の予定を確認していなかった。
退院は10時頃以降になるとは聞いていたが。

とりあえず、母の朝食を待ちながら、私が持ち込んだ荷物の荷造りを始めていると
看護師が車椅子で眼科外来へ診察してくるようにと言って、診察券の入ったファイルを車椅子の背もたれにかけられた収納袋に押し込んだ。
朝7時15分過ぎだった。

母を車椅子で外来の診察室の待合室に連れて行くと、昨日、手術を受けたと思われる患者が6人くらい居合わせた。
皆片目の手術で家族の付き添いは私だけだった。

診察室でも、じっと座ったりすること、言われた一点を見ることが難しく、手こずるが、問題なさそうだ。

診察室が終わり、病室に戻ると朝食が用意されていた。

母はひとりで箸を持ちほぼ完食した。
私もパンと牛乳で簡単に朝食を済ませた。

9時過ぎに父が病室に来た。
母の様子を見て安心していた。
それもそうだろう…言うことを聞かない、真っ直ぐ立って歩けないとなると、退院しても、恐らく介助をするのは大変だ。

退院

入院費の計算が終わり、退院。
個室ベッド代に加え、簡易ベッド代が加算された。こちらからの希望でなく、病院側の依頼なのに…と思うのだが、私が払うのではないので声にはださないが。

本来24時間完全看護なので、食介、夜間のトイレ介助も通常なら病院が行うところだか、巡視も来なかった。
付き添いとはそれらを含めてのことなのだろうか?
通常よりお金をとられ、家族任せで、コスパが悪く感じた。

レンタル用品の終了の手続きを済ませ終了。

滞在中の駐車料金

今回の入院では、病院から付き添いをお願いした経緯があることから、駐車料金は3日間通して200円で処理して戴いた。

無事に退院した母。
術後の事は何も覚えていないらしい。

酸素マスクを外したり、暴言を吐いたりしたことを覚えていない。
「うそでしょ!恥ずかしい!」

私としては、本当に覚えていないなら、救われる。私こそ恥ずかしいのだから。















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