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私がタンナカカヨです笑

こんにちは😃

改めて、プロフィールを少し直して、ご紹介します^ ^

この半生、怖いことに向き合って、何回もその都度、そんな怖さを抱きしめて、飛び込んで生きてきた。

そうやって、自分で自分を縛ってきた紐を少しずつ、解いて、解放してきた。

特に、私の場合は、35歳から激動のストーリーを楽しみ、また、今、ひとつストーリーを終えて、変わろうとしてるので、改めて書いていきます。

今度、出版する本には、もっと詳しく書いていて、ここまで、よく這い上がってきたなぁと、お母さんも1人の女性として生きていいよねと、感じる本へと(笑)

私のプロフィールをご紹介します^ ^


1975年、富山県生まれ。

3人兄弟の長女として生まれる。
小さい頃から、すぐに何か分かってしまうというか、人の気持ちを自分の気持ちのように生きてきた。

だから、自分の正直な気持ちより、相手の気持ちを考えて話す、選ぶということが多かった。

これを言ったら、みんなが喜ぶというのを自然とやっていた。


小学校3年生…
けん玉の大会で大阪城でけん玉の大会に出場。


小学校4年生…
父親の仕事の転勤で転校を繰り返す。
そこでは、自分は隠れて、自分ではない自分で生きてた時。

転校してから、中学校までは、優しい人で終わってた。

自分の気持ちを出したら、仲間外れになることが一番怖かった。

高校生…
女の子たちと群れる部活動より、女子が少ない柔道部に所属。

練習の厳しさもありながらも、男の子ばかりだったので、ラクラク〜と気を使わないで楽しんでた。


大学時代…
親の目が離れ、一気に、私の18年の真面目で優等生?ぽい生き方が変わった時。

山梨県の大学へ行き、一人暮らしになり、周りもみんな一人暮らしの友達ばかりで、私がボケてるつもりはなくても、みんなが笑ってる。

そして、甘えても、みんなが助けてくれて、こんな私でも良かったんだと、その時、強く感じたのを覚えてます。


23歳
フリーターで新潟県へいき、帯状疱疹になり、3ヶ月で富山へ帰る。


24歳
富山に戻ってからは、また、大学時代のフワフワしていて、地に足がついていない私ではダメだと思い、外側に重りをつけることで、また、真面目にやろうと反転したのが、卒業後…

そして、山奥の学校へ、小学校の講師として行ったことで、そこで、夫と出会い、交際半年で妊娠。


25歳
意を決して、夫の住んでいる山奥の集落の9人大家族の元へ嫁ぐ。
この時は、中途半端ではない覚悟を持って、嫁いだ時の気持ちが残ってる。

結婚後は、金融機関に12年間勤務。

とにかく、親戚の多さ、濃さ、イベントの多さ、そして、夫は、毎晩地域の行事と飲み会でいないことに驚いた。

ほぼ、赤ちゃんを見てたのは、私とお義母さん。
産休もなく、2ヶ月で仕事も復帰するのが当たり前。
おっぱいは、張るし、母乳は敢えて断乳して。
こんなに悲しかったことは、なかった。


仮面をつけて、いい人、いい嫁、いいお母さんをやってきてたこの期間。

大学時代の自由奔放なカヨは、どこへやら…

2010年35歳
突然の過呼吸でパニック障害になり、心療内科へ通う。

このことは、すぐに広まり、それでもみんなに、心配されるのが嫌で元気に振る舞おうとしていた。

2週間仕事を休み、すぐに仕事復帰したあとは、ずっとお腹が痛いのに、地域のことも出たりして、無理してた。

その頃から、仕事に戻っても苦しい、また、パニックが襲う恐怖とともに、私は何のために生きているんだろうという問いがずっとありました。



2011年36歳…
こどもの事故による入院で、生死を彷徨う入院期間の間、私自身が抑えていた感情が出てくる。

https://ameblo.jp/treechildren/entry-12194277592.html

2012年37歳…
なにか、溜めてたものが、溢れ出るかのように、私の中で起こってた。

このまま、今までと同じ人生は送りたくない!

そして、夏の終わりの8月。

今までの限界がきて、大暴れして、家族の元を離れ、仕事もやめて、子どもと家族から離れて、1人、遠い場所で一人暮らしを始める。

2013年38歳…
やっと、鎖が取れた…
子供と離れる寂しさもありながら、そっちの方が強かった。

そして、一人暮らししながら、誕生数秘学、ホロスコープ、ボイジャータロット、ライトワーカーの勉強を始める。

その間に、人身事故を起こす。

2014年39歳…
心理分析カウンセラーの故長谷川泰三先生の心理分析に通い始める。


2014年4月。
長谷川先生の一言で、家族の元へ戻ることを決意。
再び、夫、こども3人、夫の両親との生活。

戻る時も、すごく怖かった。
どんな顔して戻ればいいのか…
罪悪感だらけで、山に帰ってきたのを覚えてます。

2014年9月、10月。
その罪悪感を払拭するかのように、好きなことをやっていこう!と、富山にて、ちゃみさんのお話会、須佐さんのお話会を開催。

12月…
妊娠が発覚

2015年40歳…
4人目の赤ちゃんを出産。
10年ぶりの4人目を出産。



※ちなみに、1人目は帝王切開、2人目は自然分娩、3人目、4人目は、帝王切開でした。

2016年41歳
赤ちゃん出産後、娘が学校に行かなくなったりした。

2017年
仕事も復帰して、兵庫、千葉へと、県外出張が始まり、いろんな方と出会う。

2018年4月
新たに、また、別宅での生活が始まる。
3番目の娘は、山に残り、ほかの子供らと私と住むことに。

2019年
県外への出張をたくさんしてた時。
そして…10月。

身体の検査の結果、手術することになり、12月に手術をした。

その10月からの3ヶ月は、今までの自分の価値観が反転し、本当に自分と向き合った。


https://note.com/tankayo/n/nbd436e9bd647



そして、今…

私の中で、SNSを手放し、また、本当に手放せるものは、手放して、今から、自分が本当に望む生き方へとシフトしていこうと。

※今は、春分前なので、まだ、片付けの最中みたいなとき笑





2010年の過呼吸がキッカケで、始まった、私のいい子ちゃん劇場の転換劇。

感情を出すとみんなに嫌われるという思い込みで生きてました。

一人暮らしをしたことで、数秘、ホロスコープと出会い、探求するほど、私の人生は、これでよかったんだなとだんだん思い始めました。

2012年に大家族の家を出て、戻った時の、あの怖さ。

罪悪感だらけだったからな。

そして、別居から戻って、スーパースターシードが来てくれました。

こんな生き方もあるっていう人生を私は、送ってます。

一人一人、生き様は違ってて、それぞれが、それぞれの素晴らしくて面白いストーリーがあって。

だから、だれの人生も、どんな人生も美しい。


**お母さんも1人の女性。 **


私が、教えてあげるとか、助けてあげるとかしなくても、ただ、生きてる姿を出してるだけで、誰もが、女性としての喜びを存分に感じて生きていっていい。

現在、会社員、高校生、中学生、4歳児の4人のママです。

小学校教員免許
中学校教員免許
年金アドバイザー2級
FP3級
金融窓口テラー2級

柔道、けん玉、卓球やってました笑

どうぞ、改めてよろしくお願いします^ ^

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