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メルマガ発行したものを
ここに記録として転載しておきます。
私は誰?
【万葉集うたの小道】Manyoshu: A path that follows old poems

日常に日本のことばの情緒がしみこんでいたら生きていくのが楽しくなります。 1300年前の日本のうたを集めた万葉集には、4500以上のうたがあります。
 このメールマガジンで、あなたにお届けしたいのは古代の万葉集のエッセンスです。
Manyoshu: A path that follows old poems
The Manyoshu, a 1,300-year-old Japanese poem, is a collection of over 4,500 poems. I will bring the essence of Manyoshu poetry into your life.

8月に入って色々なことがありました。
ここにメールマガジンをお届けできることがありがたいことです。
流行り病に臥せっている時にどんな万葉集をお届けしようか考えておりました。
 
万葉集の編纂された時代、700年代から今もかわらず
地震も台風も疫病もやってくることにかわりはありません。
そして人の気持ちはいつの時代もかわることがないことを
歌を辿ることによって気付かされます。

『七夕の歌』


今日の万葉集は柿本人麻呂の詠んだ七夕の歌です。
 
久方之 天漢原丹 奴延鳥之 裏歎座都 乏諸手丹(原文)
久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに
ひさかたの あまのかはらに ぬえどりの うらなげましつ すべなきまでに
 
(彦星が帰っていってしまったので)
会えなくなったことを歎いた織り姫は天の川原で
ツグミの悲しげな鳴き声のような哀しみようで
どうしようもないほどの様子で泣きくずれていたことでしょう
 
旧暦では8月上旬が七夕になります。
立秋を過ぎて七夕は秋の行事でした。
万葉集には七夕をテーマにした歌が多く残されています。
今では見られないほどくっきりと見えたであろう天の川。
その星々の川をはさんだ二つの星を見上げて恋の物語のさまざまな歌が
詠まれました。万葉集の中には130首の七夕の歌があります。


『満月の日、今夜の万葉集』

今日は2024年8月20日
満月の日にあたります。
今日の万葉集は大伴家持が736年19歳の時に歌った歌です。
万葉集には通し番号がふられています。1569番の歌です。
 
雨晴而 清照有 此月夜 又更而 雲勿田菜引(原文)
雨晴れて 清く照りたるこの月夜
 またさらにして 雲なたなびき
 
雨が晴れて清らかに照り渡っているこの月夜、
どうかこのまま雲よ、たなびかないでほしい。(意訳)

雨が降ると、季節が少しずつ進んでいって、夏から秋への気配が感じられるようになってまいりました。
大伴家持は万葉集を編纂した奈良時代の貴族であり歌人でもあります。
今回の月の歌は、若い清冽な感性で歌われた爽やかな歌です。大伴家持はこれからどのような人生を送っていくのでしょうか。歌とともに、大伴家持の人となりも、これから少しずつこのメールマガジンでご紹介していきたいと思っております。
 
めーのメールマガジンのご登録、ありがとうございます。
もしご興味のある方がおられましたらご紹介いただけると嬉しいです。



『今夜の万葉集 ひとり聞く雨音』

2024年8月29日
日本の九州に台風が上陸しています。
雨に打たれ風の音を聞いている今夜
大伴家持(おおとものやかもち)の歌を
万葉集からお届けします。
 
久堅之 雨之落日乎 直獨 山邊尓居者 欝有来(原文)
 
ひさかたの 雨の降る日を ただひとり
山辺に居れば いぶせかりけり(769)
 
雨の降る日にただひとり
山辺に居ますと気もめいります
 
(ひさかたの、は雨にかかる枕詞)
 
 親交のあった年上の紀女郎(きのいらつめ)とやりとりをしたときの歌です。
740年頃の歌と言われています。
大伴家持は23歳、山の中で雨を眺めながら、平城京の都の賑わいを恋しく思ったことでしょう。
 
当時、聖武天皇の意向によって、都は転々と移動していきました。
大伴家持は恭仁宮(くにきょう)を都として造成するために、まだ未開発の山辺におりました。
今の京都の奈良寄り、木津川市近辺に当たります。
 
奈良の平城京から少し北側の恭仁宮(くにきょう)は、結局は完成することなく、また別の場所に移ることになるのです。
 
疫病で奈良の平城京から移らざるを得なかったとはいえ、未開発の土地に送り込まれた大伴家持。
 
一大プロジェクトに関わりつつも、山に降る雨を眺めながら
いぶせかりけり~気分が晴れませんよ、
と紀女郎になげいています。

歌で年上の女性になげくことができたのですから
山の中でひとり寂しくしていても、ちょっとは気持ちが落ち着いたかもしれませんね。
 
日本のあらゆるところで雨や風の影響が出ています。
残念な気持ちを、親しい誰かと分かち合ったり、離れた場所にいる誰かの無事を祈ったりと、気持ちは自由に空を行き来できますね。
 
今夜のあなたが気持ちよく過ごせますように。
アバターDJ、AIで万葉集を歌っています


『心のいたみに寄り添う万葉集』
こんにちは。今年はことさら暑い夏ですね。もしも疲れた自分を見つけたならば、まずはその気持ちをねぎらってあげましょう。
今回は妻を亡くしたつらさを連作で表現した大伴家持の歌を、お届けします。739年に歌われた連作から三首をピックアップしてみました。
 Manyoshu: A path that follows old poems

かくのみに ありけるものを 妹も我も 千歳のごとく 頼みたりけり
(470)

 
こんなにあっけないものだったのに、妻も私も、千年も生きていられるみたいに頼りにしあっていたことだった
 
世の中し 常かくのみと かつ知れど 痛き心は 忍びかねつも(472)
 
世の中はつねにこんなものだと、分かってはいるけれど、この胸の痛みはこらえきれない
 
佐保山に たなびく霞 見るごとに 妹を思ひ出で 泣かぬ日はなし
(473)

 
(火葬場だった)佐保山にたなびいている霞(かすみ)を見ると、
そのたびに妻を思い出して毎日泣いてばかりいる

妹(いも)とは愛しい女性のことを表す言葉です。
妻を失った歌を大伴家持が歌ったのは1285年前です。
2024年現在の今も、パートナーを失った悲しみは同じ気持ちなのではないでしょうか。生きていても、亡くなったとしても、家族でもペットでも、今までそばにいた存在が突然消えてしまう、その悲しみと苦しみ。
歌にして気持ちを吐露して、誰かと気持ちを共有する。
昔と今と時代は離れていても、同じ感情をシェアしあうことで薄れていく感情もあることでしょう。
ご自身の素直な気持ち、三十一文字くらいだったら、こっそりどこかに書き留めておくのも、少し勇気を出して誰かにシェアするのもいいかもしれません。その時は、こっそり教えてくださいね。もちろん大きな声でも、ね。
 
歌の後ろについている番号は万葉集での通し番号なので他の連作も参考にされてみてください。
日常に日本のことばの情緒がしみこんでいたら生きていくのが楽しくなります。
1300年前の日本のうたを集めた万葉集には、4500以上のうたがあります。
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