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ポーランド🇵🇱の旅(花の村ザリピエ〜クラクフ)


「ポーランドの旅」を最初からご覧になる場合は、以下の二つの記事を先にご覧ください。



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世界は長い歴史の中で多くの過ちを犯して来ました。
その度に一番に被害を被ったのは無垢の庶民です。

ポーランドの人々ほど、第二次世界大戦で傷つけられた国民はいません。ナチス・ドイツのポーランド侵攻が発端で、あの大惨事が始まったのですから……。

そんな寒くて暗いポーランドでも、希望を捨てず前向きに進んでいったのもポーランドの人々なのです。

ポーランドの古都クラクフの南に「花の村」と呼ばれるザリピエがあります。この村は一部の旅行愛好家には知られている村なのですが、実際に出かけて行く人は少ないです。

なぜならこの「花の村」へのアプローチはバスなどのローカル線か、クラクフからのレンタカーなどでなければ到着できないのです。

もちろんクラクフから観光ツアーを頼めば可能でしょうが、個人で行くとなると難しいようです。

ポーランド旅行の終盤はこの「花の村」ザリピエから始まりました。

写真をご覧ください。

あの暗く苦しい戦争の最中でも、村人たちは自分の家の壁に花を描いて、美しい心を持ちながら、明るい未来を願ったのです。

一枚一枚の写真を見ていると、ほんとうに心が癒されます。


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Twitterにアップした動画です。



クラクフはポーランドの京都です。

17世紀初頭にワルシャワに遷都するまでは、クラクフがポーランド王国の首都でした。

有名なボヘミア地方に組み入れられたことも、モンゴルの攻撃を受けたこともあります。大きな交易都市だったのです。

第二次世界大戦では多くのユダヤ人が住んでいました。有名な「シンドラーのリスト」の舞台もこのクラクフです。


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クラクフのホテルでは珍しい蜂蜜がそのまま出してありました。
私は初めて見ました。

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クラクフでは世界遺産の「ヴィエリチカ岩塩坑」に行きました。

これが地下なのですよ。びっくりですよね。


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光り輝くシャンデリアも塩でできています。


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坑内にはレストランもあって、子どもたちの社会学習の場となっています。

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クラクフに帰ってきて、街を歩いてみました。

みなさんはこのような街に暮らしてみたいと思いますか?
あまり知られていないこのクラクフの大学(ヤギェウォ大学)で学んでいる日本人の女学生さんがいました。

この大学は有名な地動説を唱えたコペルニクスが卒業しています。また日本でも人気のポーランド出身のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世もこの大学の卒業生です。

コペルニクスが学んだ由緒ある大学で学べるなんて素晴らしいですよね。
この大学で学んでいる女学生に会うためにこのツアーに参加した人がいました。
「彼女はどうしてこのクラクフの大学を選んだのですか?」
「それがね、自分で調べたらしいのよ」

私は正直、びっくりしました。

高校も大学も「無難な」コースしか選んでこなかった私には、ポーランドの奥地にある古い大学に入学しようなどと思うことなど、まったく考えもしなかったからです。

確かに私の時代と今では国際的な情報も得やすいでしょう。しかし、現代でさえ、日本から女の子がこのクラクフに住み、コペルニクスが学んだ大学で勉強しようと思う人はほとんどいないでしょう。

確かに時代は変わってきています。

自分から、飛び出して行かなければ、何ごとも得ることはできない。

このスラブ民族の真っ只中で、彼女が学ぶことは、日本の大学で学ぶこととは雲泥の差があるだろうなと思います。


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クラクフの旧市街にある「聖マリア教会」には有名な逸話が残されています。

13世紀にモンゴル軍がクラクフを攻撃しました。

聖マリア教会の塔の窓から敵の動きを偵察していた兵隊が、ラッパを吹いて街の人々に知らせました。
その時、モンゴル軍から放たれた矢がこのラッパ吹きに当たり、死んでしまいました。
ですから700年後の今でもこの勇敢なラッパ吹きを讃え、時刻を知らせるラッパを突然やめてしまうのです。

ぜひ、以下の動画をご覧ください。




実は私たち夫婦が計画していた当初の旅行に申し込むのが遅く、キャンセル待ちの状態でした。その旅行はとても人気があったのです。

係の方から
「ポーランドはいかかですか?」
と提案がありました。
ポーランド? 東ヨーロッパだな……
ポーランドという国の名前を聞いた時の感じは
正直、あまり「行ってみたい!」という感じではありませんでした。

「キャンセル待ちよりもいいんじゃない」

妻も仕方なしに承諾した様子でした。

しかし、このポーランド旅行は私たち夫婦にとって、とても思い出深いものになりました。

名前さえ聞いたことのなかったグダニスク。実はここで第二次世界大戦が始まったこと。ショパンの誕生の地。花の村「ザンピア」、歴史のあるクラフク……

みんな馴染みのない街ばかりです。

でもこの東欧の国はとても親日的で、みなさん明るく元気に毎日を過ごしていました。

最後に古都、クラクフの夜景の動画をお楽しみください。


ポーランドの人々は、世の中が暗く沈んだ時でもお互い助け合い、宗教心を持ち、静かだけども力強い回復力を持っています。

ポーランドの大地を朝陽が照らし始める時を、人々は毎朝見てきました。そして信じてきました。

太陽は人々の信じる通り、今日も明日も、大地を照らし人々に恵みを与えてくれました。

ポーランドの人が、世界の人が、信じるように、自然はいつも答えてくれるのです。

最後に花の村「ザンピエ」の動画をお楽しみください。




「ポーランドの旅」はこれでお終いとします。

第3弾のnoteはずいぶんと間が空いてしまいました。
やはり旅行記は新鮮なイメージの時に一気に書き上げるのが良さそうです。

最後までご覧いただき有難うございました。

これからもよろしくお願いします。

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