宇野邦一(著)『ジュネの奇蹟』を読む。
日本のフランス文学者によるジャン・ジュネに関する評論。著者が日本人だからこそ私たちが知ることができるジュネと日本との関わりがとても興味深い。
ジュネが日本を訪れたのは1967年。ビートルズが日本に来た翌年のことだ。ジュネはその時初めて日本語を聞いたのだろう。聞いた日本語は「さようなら」だった。
ジュネはこの「さようなら」に忘れがたい印象を受けた。次のように書いている。
日本語の発音は必ず子音と母音の組み合わせでできている。単独の子音は「ン」しかない。語尾も母音で終わる。フランス人であるジュネにはとても透明感のある音に聞こえたのだ。
私はこの話がとても好きだ。
皮の薄いみずみずしい葡萄が皿に盛ってある。
日本語の発音はそんな感じなのだ。
このような光景を思い浮かべてみると、なんと素敵なことだろうと思う。
透明な母音と、それをかろうじて支えている子音……。
ジャン・ジュネは捨て子だった。そして日本に来るまでの四十七年間苦労に苦労を重ねてきた。
そのジュネになんと純粋な心が残っているのか。人の心は内側から支えていると、外側がいくら荒れていても影響を受けないのだなあと思った。
まるで日本語の発音のように、日本語の母音のように内側にたっぷりの水分をたくわえた心……。
日本人はそんなことに気づきもしないだろう。私たち日本人の心の中にはこんなにみずみずしい芽が芽吹いているのだ。その芽から花を咲かすのは、その美しい心に気づくか気づかないか、その一瞬の差だろう。直感の差だろう。
ジュネはいつどうやって直感を磨いたのだろうか。
私の本のこの最後のページは透明である。
結局、彼は何によって助けられたのか。それは自分では「裏切り」だと言う。なぜ裏切りか。それは黒を裏切り白についたからであり、文字を裏切り余白を愛したからだ。裏切りこそがジュネとって聖なるものだった。
裏切りをすることもせずに私たちは透明な日本語を使っている。
こんなに幸せなことはない。
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