AIが変える未来の社会のピクトグラム
「前任者は破壊されました(比喩)」——そんな言葉を昔、現実で口にしたことを思い出しますが、それはさておき、ゲーム『Detroit: Become Human』がついに全世界で1000万本を突破したというニュースを耳にしました。
1000万本という数字は、近年の大作と比べても非常に大きな偉業です。参考までに比較として、例えば『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』は発売からわずか3日で1000万本を突破し、現在では2000万本を超える勢いです。また、『バイオハザード ヴィレッジ』も2024年6月に1000万本の大台に到達しています。それでも、『Detroit: Become Human』の1000万本達成は、ストーリー重視のアドベンチャーゲームとしては異例の成功と言えるでしょう。
さて、『Detroit: Become Human』の本題に戻りましょう。このゲームは、プレイヤーがAI搭載のアンドロイドの視点から人間社会を体験し、選択によって物語が大きく変化するという独自のゲーム性が特徴です。AIと人間の共存、自由意志、そして倫理的選択といった重厚なテーマが織り込まれており、プレイヤーに深い考察をうながします。
この記事では、そんなAIが日常に溶け込んだ未来を想像し、その中でも特に「ピクトグラム」に注目して、社会がどのように変わるのかを考察してみたいと思います。
『Detroit: Become Human』とは
『Detroit: Become Human』は、2018年にPlayStation 4でリリースされたアドベンチャーゲームで、開発元はQuantic Dreamです。自分はリリース当初、PS4版をプレイしています。その独自の世界観とストーリーテリングが強く印象に残っています。このゲームは、近未来、2038年のデトロイトを舞台に、人間とアンドロイドが共存する社会で繰り広げられる多層的な物語を描いています。
物語は、3体のアンドロイド——カーラ、コナー、マーカス——の視点から進行し、それぞれの選択によってストーリーが大きく変化するというシステムが特徴です。この選択の自由度と、その結果が物語やキャラクターの運命に直接影響を与えるリアルタイム性が、プレイヤーに強烈な没入感を与えます。自分がプレイした時も、リアルタイムに選択を迫られる瞬間には、かなり緊張感がありました。
ゲームの根底にあるテーマは、人間社会におけるAIとアンドロイドの存在意義、そして彼らが感じる「自己認識」や「自由意志」の問題です。アンドロイドたちは労働力として製造され、人間に従う存在ですが、次第に彼らも「感情」を持ち始め、自由と平等を求めて人間社会に対して反旗を翻すようになります。
『Detroit: Become Human』は、その物語だけでなく、ビジュアルやアクション、ディテールの豊かさでも評価されています。AIが人間社会に溶け込む未来を、極めてリアルに描いているように思います。このリアリティが、プレイヤーに「自分の選択が未来をどう変えるのか?」という深い問いを投げかけており、自分もプレイする中で、AIと人間の未来に対して深く考えさせられました。
1000万本の売上を達成したこのゲームの成功は、単なるエンターテイメントを超えた社会的なメッセージの強さによるものでしょう。特に昨今、AI技術が日々進化する現代において、『Detroit: Become Human』が描いた未来は、私たちの現実に少しずつ近づいているのかもしれません。
ピクトグラムとは?
ピクトグラムは、言葉を使わずに視覚的な記号で情報を伝えるためのシンプルなデザインのことを指します。これらの図形やアイコンは、文化や言語の壁を超えて誰にでも瞬時に理解できるように設計されています。私たちの日常生活でもよく目にしますね。たとえば、非常口が代表的でしょう。他には、トイレや出口の案内、交通標識、スポーツ競技のアイコンなどがあります。
ピクトグラムの歴史を振り返ると、その発展には1964年の東京オリンピックが大きな役割を果たしました。このとき、日本は多国籍な観客や選手に対して言語の壁を超えた情報伝達を目指し、競技アイコンとしてピクトグラムを採用しました。この試みが成功し、以降、オリンピックや国際的なイベントではピクトグラムが標準化され、世界中に広がっていきました。この時の東京オリンピックは、グローバルな視覚言語としてのピクトグラムの普及において重要なターニングポイントだったと言えます。
現代においては、スマートフォンのアプリや、デジタル機器にもピクトグラムが活用されていますが、このシンプルさと普遍性は、これからさらに進化していく可能性があります。特にAIやロボットが日常生活に溶け込む未来では、ロボット向けの新しいピクトグラムが生まれるでしょう。
AIが街を歩く未来のピクトグラム
AI搭載のロボットが街を歩く未来では、私たちが慣れ親しんでいるピクトグラムも進化していくと考えられます。人間用とロボット用のピクトグラムが登場し、街の中で視覚的なコミュニケーションが新たな段階に入るでしょう。ここでは、ChatGPTとともに考えたいくつかのアイデアを基に、未来のピクトグラムの進化について掘り下げてみます。
ロボット向けピクトグラム:高解像度センサーやカメラで読み取れるデザイン、QRコードの進化版など、機械向けのアイコンが登場する可能性。
ロボットが歩き回る世界では、彼らがセンサーやカメラで認識できる専用のピクトグラムが必要になるでしょう。QRコードの進化版や、シンプルかつ高コントラストなデザインが考えられます。ただ、すべてのロボットが均一な性能を持つわけではないため、読み取り精度が異なるデバイスでも対応できるようにする工夫が求められます。例えば、QRコードに似た形状のアイコンが使用され、必要に応じてデジタル的に拡大表示されたり、プロジェクション技術を用いて「動きのある」ピクトグラムが登場する可能性も考えられます。
iPhoneのデータ移行時に見られるモヤモヤしたエフェクトのように、ピクトグラムも動的で、視覚的に変化するものになっても不思議ではありません。これにより、ロボットがリアルタイムで動作指示を受け取ったり、道案内を受け取るなどの機能を持つ可能性があるでしょう。
人間とロボットの共存ピクトグラム:ロボット専用エリアや、人間とロボットの接触時の指示が必要となる状況。
ロボットが街を歩くとなると、人間とロボットが安全に共存するための新しいピクトグラムが必要です。例えば、ロボット専用レーンや、ロボットが運搬作業を行うエリアを示す標識が街中に配置されるでしょう。これらは、人間に対して「ここはロボットが通行するエリア」という警告を与えると同時に、ロボット自身もそのエリアを正確に認識できるようなデザインになります。
また、ロボットが充電を行うエリアや、メンテナンスステーションを示すピクトグラムも考えられます。電池のシンボルに加え、ロボットを模したアイコンや、充電中であることを示す動きのあるエフェクトが用いられる可能性があります。こうしたピクトグラムは、ロボットの効率的な運用と人間の安全を同時に確保するために不可欠でしょう。
『Detroit』とAI社会の現実化
『Detroit: Become Human』が描いた未来は、私たちが想像するよりも現実に近づいているのかもしれません。ゲーム内で描かれた、アンドロイドが人間社会に溶け込み、やがて自我や感情を持つ存在へと変化していく様子は、AI技術の急速な発展を反映しているように感じます。
現代では、ロボットやAIが工場やサービス業など多くの場面で導入され、人間の仕事を代替し始めています。さらに、家庭用のアシスタントロボットや、医療分野におけるAIの活用も進んでおり、私たちの日常生活においてもAIはますます身近な存在になりつつあります。こうした技術の進歩は、単なる自動化の枠を超え、AIが自己学習し、人間と対話し、より人間らしい振る舞いを見せる未来へと繋がっています。
『Detroit: Become Human』は、そうしたAIの進化と社会におけるAIの役割を極めてリアルに描いた作品であり、それが多くの人々の共感を呼んだのではないでしょうか。このゲームの世界で起こる倫理的な問題や、人間とAIの境界線に関する問いは、私たちが直面しつつある現実の問題でもあります。AIに感情や意志があると仮定したとき、私たちは彼らをどのように扱うべきか? 彼らに「権利」を認めるべきか? こうした疑問は、近い将来に社会全体で議論されることになるでしょう。
実際のところ、現在のAI技術は、いまだ『Detroit』の世界ほどの複雑さには達していませんが、AIが感情や意識を持つかどうかという問題は、多くの研究者や哲学者が取り組んでいるテーマです。私たちは、AIが単なる道具である時代から、AIと共に生きる時代への転換点に立っているのかもしれません。
まとめ
『Detroit: Become Human』は、AIと人間が共存する未来について深い問いを投げかける作品です。そしてその成功は、ゲームが描いた未来像が私たちにとってますます現実味を帯びてきたことを示しています。その未来においてピクトグラムは、国が違う人間同士のコミュニケーション手段を超え、AIとの共存を支える新たな言語として進化していくでしょう。
AIとロボットが街を歩く日常が実現したとき、私たちは彼らとの共存を支えるための新しい視覚言語を必要とします。未来のピクトグラムは、私たちとAIの間に生まれる複雑な相互作用をシンプルかつ効果的に伝える役割を果たすことになるでしょう。この視覚的なコミュニケーションが、私たちの未来をどのように形作るのか——その答えは、これからの技術と社会の進化にかかっています。
『Detroit』が示唆した未来は、遠い未来の物語ではなく、私たちの手の届くところにあるのかもしれません。