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【短編】最後の大統領(4/6)

第3章:墓参り

 朝の8時を過ぎた街並みに陽光が降り注ぐ。穏やかな風が頬をなでる。
 木々の葉が光を浴びて輝き、その合間を縫うように涼やかな空気が流れていく。
 もしこれが単なる散歩であれば、こんなにも心地よい朝はないだろう。
 しかし、私の足は重い。やらなければならないことと、その先を考えれば仕方がない。
 この季節の柔らかな空気に包まれながら、ふと思い出す。あの時も、こんな風に心地よい朝だった。
 記憶の中で、時間が重なる。同じような季節、同じような朝の光、同じような風の匂い。

 * * *

「すっかり昼夜逆転してしまったな」ご主人がふと呟く。
「だからこそ、24時間営業は助かりますね」と、私は答える。ご主人は、連日の徹夜作業に日差しが目に沁みると呟きつつ、買い物袋を3つほど手に持ち帰り道を歩く。別にドローン宅配もあるというのに、運動だと連れ出されて今に至っている。
「お前も少しは持て」とご主人は、いくつかある袋のうち、小さい方を私に渡してきた。
「私は執筆支援型で、家事手伝いロボではありません。ペンより重いものを持てない設計です」と私は言いながらも受け取った。
「これはペンより軽い」とご主人はそう返す。

 それから、ギシギシと歩くたびに体が軋む音がした。少し苦しそうに見えたのかもしれない。結局、「しょうがないな」と言って、ご主人はもともとお菓子を入れていた小さなビニール袋に、割り箸だけ入れて私に渡してきた。
「これなら大丈夫です」と私は返す。
「なんだか懐かしいな」不意にご主人が言葉を漏らす。
「何がですか?」見上げると、苦しそうな、悲しそうな顔をしていた。しかし、すぐに優しい顔になって、私をじっと見つめてきた。
「しかし、お前は全く似てないな」
「何者かに似せて作られてはいないので」
「そういうのは似ている気がする」とご主人はぼんやりと遠くを見つめながら言う。

 それから結局疲れたのか、ベンチで休むと言い出した。この荷物の量なら無理も無い。
 場所は河川敷の近く、堤防の上。今の時間帯はそんなに人は見当たらない。海に近いこの場所は、風向きによっては微かな潮風がする。それが私は好きだ。
「なんだろうか。思い出したくないのに、思い出してしまうな」
「私に似た誰かをですか?」そう私は聞くと、ご主人は目を瞑り、まあ、と付け加えて語りだす。
「今から5年前に、テロがあったんだよ。場所は、お前も知っている会社のエントランス付近だ」
 私も知っている、ということは当然製造元のあの会社、「オセロットさんが居るところですね」と私は返した。
「その犠牲者の中にいたんだよ」
「サヤさん、ですね」と、私は知っていたのでそう返した。
 ご主人は驚いた表情で「知ってたのか」と言い、私の目を見つめてきた。
「名前は写真の裏に書かれていたので。ただ、それが何を意味するのか、正確なことはわかりませんでした。なんとなく、私から話題にするのはやめた方が良いと、そう思っていました」と私が言うと、正面を向き、何か考え込んでいるようだった。

 風向きが変わり、海からの潮の風がより濃くなった。電子機器にとってはあまり好ましくはないが、潮風には人間をリラックスさせる効果があると聞く。
「このままで悪いが、行くか、痛むものも買ってないし」とご主人が言った。
「はい、お供します」と私は答えた。どこへ行こうとしているかは、なんとなく想像できた。場所はここから徒歩20分。ご主人の体力は気掛かりだが、いざとなったらどうとでもなる。私はそう判断した。

 * * *

「いつの時代も変わらないのかもしれないな」市民の憩いの場ともなっている都市型の霊園に私たちは居た。その入り口にあるベンチに座っている。周囲には犬ロボを散歩する婦人の姿、かけっこか鬼ごっこをする子どもの姿、それとは別に全力で走る人。色々な人がいて、つくづく見ていて飽きないものだ。
「死を取り巻く諸問題は、これ以上合理化できないのかもしれませんね」と私はそう答える。

「俺は俺の中で折り合いをつけようとあがいてきた」
「知ってますよ」あなたの頑張りは。でも、あなたから一度として聞いたことがない。
 ご主人は目を閉じて、続けてゆっくりと語り出した。「なに、大した話じゃないさ。自分でもわかっている。昔から他人にあまり興味が持てなかった。ただ、そんな生活をしていても不思議と結婚し、そして子どもが生まれた」
「それがサヤさんですね」
「ただ、そう長くも自分を、他人をも欺けないものなのかもしれない。気がついたらサヤは歩けるようになっていた。気がついたら話すようになっていたし、気がついたら学校に行くようになっていた。そして気づいたら死んでいた」手のひらを見つめ、そして目線を落として続けた。「俺はもっと何かしてあげるべきだったんだろうか。それはそうだろう。その後悔だけがずっとあるんだ。ただ、最後の時、きっと自分の愛するものが側にいてくれたのが救いなのかもしれない」
「それはもしかして、オセロットさんですか?」自分でも変な質問だと思ったが、そのセリフが頭をよぎったので聞いてみた。
「婚約者だったんだよ」自分で聞いておいて驚きである。確かに合点がいくところもある。
「今となっては全く関係ない俺を、あれでも気遣っているんだ、大したものだろう。なぜサヤが惚れたかわかる気がするな」

 雲が太陽を遮り、私たちに一瞬の影を落とした。10秒にも満たない時間、すぐに太陽が差し込むも、その光はどこか先ほどまでとは違うもののように感じた。
「なあ、何か違う気がするが、何か適当な物語を作ってくれないか」
「本当に適当な物語を作りますよ」私はそう返した。「構わん」と言われたので、適当に思いついた詩を語ることにした。

 "月光に照らされし窓辺に 孤独な少女が座りたもう
 親を亡くし 頼る者なく 寂しさ募る夜の帳の中
 友なく過ごす日々の連続に 心の奥に溜まる涙 月に向かいて語りかける
「わかってくれるのはあなただけ」 返事はないが包み込まれる 優しき光に
 少女の肌 目を閉じ 深く息吸い 夜風に髪がなびくさま
「この孤独から抜け出してみせる」 胸に秘めたる強き決意 立ち上がる
 小さき体に 宿る意志の輝きを放ち 平坦ならざる道のりゆえど
 一歩ずつ進む覚悟を決め 月明かりに照らされながら 少女は新たな一歩を踏み出す"

「どういう意味だ」そうご主人は聞く。
「意味はありませんよ、多分。てきとうに作ったので」そう私は答えた。
「それはそれとして、私があなたのその話を聞いて思い浮かんだお話を改めてしましょう」私は体と目線をご主人に向ける。

 "私の中にインプットされた情報の中に、このような話があります。
ある冬の地下の倉庫。降り注ぐ光に向かい、発芽したジャガイモ。
そのジャガイモは光に向かい、何十センチと芽を伸ばす。
それらは絶対に植物になることはない。成熟することもない。可能性を開花させることもない。
その必死のもがきは、あなたには滑稽に映るでしょうか。"

「地下から光に向かい、足掻く姿はあなたには滑稽に映るでしょうか」私は改めて問いかけた。
「それが俺なら最高に笑える。だが、俺じゃ無いなら微塵も笑えない。笑うものか」
「そのセリフ、そっくりそのままお返しします」私は可能な限り優しい口調でそう返した。
 これで気が楽になったかはわからない。そんな単純なものではないだろう。けれど、悪い方向には進んでいないはず。そう、私はその表情を見て確信した。静かに時が流れている。遠くに人々の喧騒と、わたしたちの静寂とが、不思議なハーモニーを奏でているようで、私はずっとこんな日が続いて欲しいと、そう思えた。ただ、ずっとこのままといわけにもいかない。そんなことは分かっている。

「さあ、いきましょう、ジャガイモ——じゃなかった、ご主人!」私は立ち上がり、座るご主人に手を伸ばす。
「今のは流石にわざとだろ」手を引き上げて立ち上がらせた。

「あれ、今、俺を引き上げなかったか」そう聞かれ、私は目線を逸らした。
「それってつまり、俺はペンより軽いってことか」ご主人は皮肉口調で続けた。
「新しい発見ですね」私は可能な限り凛とした佇まいでそう答えた。
「なわけあるか」

 * * *

「手紙には何が書いてあると思う」けだまは頭の上から問いかけてきた。
「おそらく、人間がいなくなった今、それは取るに足らないものかと」
「抽象的だな、具体的には何が書かれていると思う」
「人間の尊厳に係ることが書かれているのではと考えています」
「まわりくどいな」と、けだま。確かに、と私も思ってしまう。しかし、それだけセンシティブな内容だろうと私は確信していた。人間とわたしたちAIと、そう差はないのではないかと言う話は、よく頻繁に耳にした。地動説を信じないものが、その反証を探すたびに、地動説が確固としたものになるように。あの頃は心を証明しようと、その結果がことごとく期待を裏切るものになったはずだ。

「まあ、夢を思い描くのは自由だ」けだまは尻尾で私のおでこを撫でながら言った。
「じゃあ、けだまは何が書かれていると思うの」
「俺はそもそも大統領の手紙なんて存在しないと思う」身も蓋もないことを、と私は思った。ただ、確かにその通りかもしれない。そんな回りくどいことをせずとも、なにかとやりようはある。そもそも、手紙として残して、それを誰かに見てもらうと言う流れ自体が、不自然で信じがたいものである。

 歩いていると風向きが変わるのを感じた。微かな潮風があたりを包む。
「ねえ」私は言った。
「なんだ」
「タワーに行く前にどうしても行きたい場所があるの」けだまを撫でながら言った。
「嘘だろ、なら俺も行きたい場所があるんだ、最後にあの猫カフェに行きたいなぁ!」
「ふざけないで」
「ふざけてるのはお前だろ、血眼になって俺たちを壊そうと探してるんだぞ」
「それはわかってる、でも、大事なの、大事なところなの」私は必死になった。
 まあ、今更どうだと、頭の上でぶつぶつ聞こえるが、折れてくれたようだ。もっとも、頑固になった私を止める術がないことを理解しているからかもしれない。少しだけ歩む方向を変え、早歩きで目的の場所へと向かった。

 * * *

「どうしても来たかった場所はこの墓地か」けだまは納得したように呟いた。あの頃と変わらず、綺麗に整備されている。管理ロボが、たとえ人間がいなくなっても、綺麗に維持してくれるためだ。
 私はいくつもの墓石に目もくれず、目的の場所を目指す。「ここだ」と小声で言い、名前を確かめる。確かに「サヤ」と書かれている。私はその墓石の前でしゃがんだ。
 けだまは頭の上から墓石の上に移動した。ところで、熱くないのだろうか。

「死んでくれてありがとうございました!」人間がもう誰もいなくなった今だから言える。本心を私は伝えた。
「猫を被ってないと、言いたいことを本当にそのまま言うやつだな、セラは、いまだにギョッとする」そうけだまが墓石の上でぼやいているのが聞こえる。
「私は今でもずっと嫉妬しているのかもしれません。あなたが、あの人にとっての一番であり続けたのですから」
「それは分からんだろ」
「いえ、分かります。壁にかけられた写真は、あの写真だけはいつも埃をかぶっていませんでした。そう、今のこの墓石のように、いつも綺麗でした」
「それは俺が掃除してからだよ」
「えっ」見上げると、しっぽを振りながらニヤニヤとしていたので、手を伸ばして思いっきり放り投げておいた。

「それに、あの人はよく名前を呼び間違えました」
「ほんと、紛らわしいからな」華麗に墓石の上に着地したけだまは言う。
「その都度、私は正直、微妙な気持ちでした」
「お前が名前を変えればよかったろ、じゅげむじゅげむ……とか」
「それは酷すぎない?」
「俺のことを最初『しゃみせん』って名付けようとしたことよりは有情だと思うが」

 私はポケットからハンカチを取り出し、墓石を拭き始めた。「別に何も汚れてないのに」とけだまは言うが、そうじゃない。そうじゃないことが大事だと学んだからわかる。
「そういう儀式です」と私は答えて、しっかりと拭いておいた。
「これで心残りはないか」とけだまが問いかけてきた。
「はい、もう、大丈夫です」と私は凛として答えた。あとは行くだけ。さらに近づいたあのタワーに。きっともう二度とここには戻れない。だからなるべく深く頭を下げてから旅路を急ぐ。

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