”社会はどうせ変わらないから”は本当か? 女性、アウトカースト、途上国。死ぬまで続く差別をスマホひとつで変えた。
(写真はドキュメンタリー映画『燃え上がる女性記者たち』サイトから)
記者が持つスマホに向かって”奥さん”が語る。
「家に一人でいるときに、村の男たちがやってきて囲まれてレイプされたの。襲われたのは8日と16日。それから19日。翌月の2日、3日、10日」
隣で夫が辛そうな顔をしている。
警察に行っても相手にされないどころか殴られた。夫は拘束された。
なぜそんな目にひどい目に会うかというと、彼女たちがインドのダリット(アウトカースト。カースト外の不可侵民)の夫婦だからである。
そしてこのドキュメンタリー映画はそのダリット×女性というインドで二重、三重の差別を抱える女性たちが、カバル・ラハリヤというニュース社でスマホひとつを武器に社会と戦っていく話である。
インドの賤民差別は凄まじい。
冒頭のようなアウトカーストの女性へのレイプ事件は頻繁に起こる。
男性も上位カーストと同じ席でうっかり食事をしたと殺される。同席でも被害者のために証言してくれる人は誰もいない。まるで自衛隊の性暴力のようである。
カバル・ラハリヤはそのダリットの女性たちが大半を占める新聞社である。
映像部門のリーダー格の女性記者の子供が通う学校の名簿には、”出自”が書いてあった。娘はそれを見た男子にからかわれた。
『娘には言い聞かせているの。差別はついて回る、だけどその壁を乗り越えていけって。そういう私も差別は克服できない。社会の構造を背負って生きている。きっと私が息絶える時まで同じだと思う』
そもそもインドでは記者は上位カーストの男性の仕事なのである。
一方インドの女性差別はやや日本にも似ている。映画でも、
「男は学のある妻を望むが仕事はさせない」
「女が(夜遅くまで)外で働くなんて」
そして大家も女性記者に家は貸さない。
私も昔上京したとき、まず家借りるのも大変だったなぁ……。本はそのときベストセラーだったのに。引っ越してすぐ銀座の松竹で自分がモデルの映画が上映されていたのに(なんか恥ずかしくて不動産屋さんにそれ全然言えなかったのもあるけど)。
会社員だった20代半ばの時1人暮らしを始めたが、大家自称「大手の方ばっかりですわ」という好条件のところが一発でOKだった。会社の名前だけでOKで審査すらなかった。
あ、これは女性差別というよりフリーランス差別か。当時は東京といえどまだまだ珍しかった。
しかし私がこの映像で一番興味深く感じたのは、今のインドの状況が私が中国に渡った2000年代とそっくりだったことである。
スマホがもう5年早く生まれていたら、中国は確実に崩壊した。
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