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やれやれ、村上春樹について語るとするかー中国と日本の タワマン文学としての彼と彼が書かなかった事

(イラストは「風の歌を聴け」講談社文庫の表紙)
村上春樹 キモい、というのが語られてこなかったというツイートを見て、そうか みんな もうリアルタイムの彼を知らないんだなと思った。

村上春樹のデビュー作 、『風の詩を聴け』が発表された時、私は15歳だった。『 1973年のピンボール』(発刊は奇しくも 松田聖子のデビューと同じ年である)は高校生で読み、『羊を巡る冒険』は大学に入ったばかりの年に読んだ。
『ノルウェイの森』は 1987年、社会人1年目に発表されたが仕事が忙しくて結局読んだのは会社を辞めた後だったと思う。

当時は今より社会に本が伝わるスピードがゆっくりだったので、別に遅いという感じはなかった。



デビュー当時の村上春樹の評価は60年代から 70年代の暗い 昭和の時代 、つまり米軍が日本に本格的に駐屯してしまう安保問題とか学園紛争とか公害とか汚職等(つまり暗さと貧しさを引きずる山口百恵時代である)から、一気に明るくひらけた松田聖子の80年代に向けて、社会問題を個人の内面の問題に切り替えた、もしくはそちらに焦点をすり替えた人である。
学生はもう戦わず、やれやれと言いながら神戸のバーで床にピーナッツの殻を落としたり、おしゃれな革靴を履く、つまり今のタワマン 文学に近かった。やや色物であり 通好みであり、読んでいることが自分のおしゃれアイデンティティになるような(タワマン文学のほうが日本が貧しくなったぶん哀しい)。

『ノルウェイの森』はよく売れた。村上春樹は当時 外国に住んでおり、日本に帰ってきたら 講談社から赤と緑の『ノルウェイの森』の垂れ幕が下がっていてびっくりしたという話を読んだことがある。表紙が赤緑二色で本屋に山積みになっている光景は覚えている。もちろん買った。面白かった。

でも私の中では 村上春樹は、物語は面白いけどそれ以上でも以下でもない作家だった。ノルウェイの森の女性はどっちもよくわからなかったし、当時 友達の友達の男の子が 何かおしゃれなうさぎが出てくるマイナーな漫画を大変に熱く語るので、彼が描いたのかな、と思って聞いたらそうではなかった 。つまりそういう子が好きな作家が村上春樹だった。 
今の映画『花束みたいな恋をして』はサブカルにハマる ワナビーちゃん(何者かになりたいがそれがよくわからない人)が主人公の話だが、つまりそういうタイプである。で、いつだって大抵の若者はそうである。

私が読んだのは『羊を巡る冒険 』ぐらいまでなので、 その後の 一種の 思想家としての 村上春樹は 正直よく知らない。
しかし何かの賞を取った時のスピーチで「 私は壁と卵なら 卵の側にたちたい」と発言した彼に、なんでぇ、本書いてるだけでいつまでたっても何もしないじゃん、と思った覚えがある。

もちろん 作家だから 作品でやればいいのだが そうでもない。
村上春樹は本来 非常に私的な作家でそういうタイプではないのだと思う。彼が育った 阪神間は中流でいるためにいろんなことに目をつぶる場所で そういう意味では東京の郊外に似ている。

大阪のど真ん中の町人の家のように現実を道具に使ってのし上がったり、または逆に不条理と戦ったりはしない。郊外中流の彼らにとって それは 自分以外の誰かがやることで自分の問題ではない。もちろん農家のように地元共同体とべったりでもない。高卒で地方から出てきて安い靴を履いて東京を彷徨う人々でもない。そういうあらゆることから距離を取る(口調、語り口)。問題は、社会問題にはせず個人へ収斂させるから社会と個人を埋めるものとしてオシャレ(文化)がいる。料理したり酒の名前だったり。
もちろん批判ではなく、作家は自分の世界観を提示して読者を楽しませることが大事で言うまでもなく村上春樹は非常に優秀な作家 なのである。社会との奇妙なズレにはまっていく主人公は面白い。

興味深いのは同じくバブルが始まった頃の中国で村上春樹がウケにウケたこと。
ハマる読者層は、

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