誰も言わないハーフの子供のつらさと深セン日本人学校男児殺害事件(前編)。谷崎光のインサイド・アジア
(写真は北京の小学校に子供を送るおじいちゃん。出迎え時は先生から本当に家族か、一人ずつ確認して子供が渡される。2020年12月筆者撮影)
今回の事件でどこか象徴的なのは、亡くなられた男児が日中ハーフであったことだろう。
日本の国際結婚はまだまだ少なくて3.5%、そのなかでも一番多いのが、この父親が日本人、母親が中国人のご夫婦である。全体の3割を占める。
だから日本人学校に通っていてもなんら不思議はない。
最初にあ、もしかしたら、と思ったのは、母親が電動バイクで子供を送っていた、という初期の報道である(結局徒歩だったらしいが)。
安全な日本ではなかなか想像できないかもしれないが、
中国ではこどもの通学は非常に危険な行為である。
まずは誘拐。今回のような殺害もあるし交通事情もひどい。喧嘩やトラブルに巻き込まれないとも限らない。北京のど真ん中でも必ず家族が送迎する。
乗り物も北京のインターなら、アフリカ等途上国の大使館の子供が毎日超高級車を変えて送迎され、目立つから通学用の地味なベンツをもう一台買ったとかいう話が語られる(門から離れて止める)。
胡同の小学校でも家族が必ず送迎する。ジジババが多い。
それで電動バイクで送っていたという最初のガセ?情報を見て、いわゆる駐妻ではないな、と思った。運転が皆乱暴な中国でそんな危ないことをする駐妻はいないし、彼女たちは人と違うことはしない。
現地派の日本人の母親もやる可能性は低く、とすると中国人ママか。
その中でも、子供を日本人学校に送り込むタイプには特徴があって……、後述するが中国系でも国際結婚の子供の進学先は非常に多彩である。
父親の勤め先は、いわゆる友好商社と言われている。
https://x.com/Mount1908/status/1838177751531995552
「Google翻訳: 深セン市で殺害された日本人少年の父親が勤めていた会社は「西日本貿易株式会社」です。 この会社は、中国経済が最も困難だった1961 年に、周恩来、陳儀、廖承志らにより日中貿易専門の会社として設立されました。 写真は 1965 年 10 月に北京で撮影されたものです。前列左から2人目は中日友好協会会長廖承志氏、倉敷絹織社長大原総一郎氏、外務大臣陳毅氏、西日本貿易担当特別代表山田耕次郎氏」
うんうん、日本も70年代ぐらいまでは、中国と取引はこういう会社がおおかった。
私のいたダイエーと中国の合弁商社は80年代初頭に設立。スーパーの中国進出が目的なわけで政治色はまったくなかったが、ダイエー社内には友好商社流れの人もいた。
当時の高度成長からバブルのキラキラ日本で、わざわざ中国語(中国は北朝鮮とか今のパキスタン、インドの貧困地区のイメージだった)をやって友好商社にいたのは、どんな人だったかというと、
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日本がどこか窮屈な人の為のマガジン。マスコミの伝えない中国ディープ生情報と、誰も知らないリアル中国人をお伝えします。中国ビジネス経験者×作…
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