笑い飯・哲夫と千鳥・大悟と意見が一致したこと
noteを開設したのにいっこうに何も書いていなかったのに気づいた。
これでは何のために始めたかわからないので、少しずつ書いていくことにした。まずはブログに書いたことですが。
今から20年以上前、笑福亭仁鶴師匠にテレビについて尋ねたことがある。 テレビに出るのは芸人に取ってどうなんですか?と。
全盛期には数多くのテレビ番組に出演しておられた仁鶴さんだが、その頃は劇場をメインにして、テレビはNHKの「生活笑百科」とYTVの「大阪ほんわかテレビ」だけで、他の番組にはほとんど出られてなかった。
チャラチャラした番組は避けておられるような気がした。
なので、もしかしたらテレビに対して批判的な意見をお持ちかと思ったのだ。
ぼくの問いかけに対して、仁鶴さんは、
「テレビというもんは出てる人間の全部を写し出す。
その人間の本質まで見抜かれてしまう。そらこわいで。
テレビを見てて、こいつは何者やろ? こいつはなんかもってるな、と思わせる人間が出ていると、人は興味を持って、こいつをいっぺん生で見てみたいと思うんや。そう思った人は劇場に足を運んでくれる。
テレビで全部見透かされてしまうようではあかん。
芸人は生で見てみたいと思わせるもんがないとあかんのや。
そやないとお客さんは劇場に行こうと思てくれはらへん。
お客さんは生で見たいと思ってわざわざ電車に乗って劇場まで来て入場料を払って観てくれはるんや。
そういう意味でテレビは大事やで」
とおっしゃった。深い言葉だ。
言わば、テレビはショールームみたいなものか。
逆に言うと、テレビで見ればそれでもう十分だと思わせる芸人は劇場に客を呼ばない。わざわざお金を払って見に行く価値がないのだ。
歌手や役者、スポーツ選手も一緒だろう。
生で見てみたいと思わせるものを持っているかどうかがタレントの値打ちなのだ。
ワイドショー芸人やひな壇芸人で満足していては早晩テレビから捨てられる。
芸人はライブが一番であり、ライブが基本だ。
去年、千鳥の大吾と笑い飯の哲夫がぼくの吉本をやめた送別会をしてくれた。
そのときに漫才についていろいろしゃべったのだが、ふたりとも超が付くほど忙しいはずなのに、実に漫才をよく見ているのに驚いた。
そして、評価する漫才師について3人の意見が見事に一致した。
ふたりの漫才師に対する評価はシビアだった。何組かの漫才師のいい点、悪い点を的確に見抜いていた。
漫才に手を抜いている漫才師に関しては容赦なかった。
口幅ったい言い方だが、ぼくの評価とほぼ一緒だった。
ふたりは、仲間である漫才師の悪口は言わないが、こと漫才に対しては辛辣だった。
それはふたりの漫才に対する愛だと思う。
ふたりが、忙しくても決して漫才をおろそかにしていない証拠だろう。
ふたりの、漫才に取り組む姿勢が今も半端じゃないのがうれしかった。