「キネマ旬報の読者評に送って不掲載になった『水俣曼荼羅』評」
Facebook及びInstagramの転載です。
一次選考通過までいきましたが、無念。惜しかった。まあ、個人的な思い入れを入れ過ぎたからダメかなとは思ってました。過去に一次選考通過まで行ったのだと「花束みたいな恋をした」を思い出したんですが、あれも実際載ったら恥ずかしいような体験談を書いてしまったからなあ。
なお、キネマ旬報の最新号では渡部実さんが「文化映画紹介」でビッシリ書いてます。宣言通りなら山根貞男さんが次号の連載で「水俣曼荼羅」を取り上げるはずです。
では、以下に原稿を載せます。
「水俣曼荼羅」(原一男)
数年前に亡くなった父は戦時中に生まれ、熊本県の海の町で生まれ育った。親の反対を押し切って母と結婚したためか、実家とは絶縁状態になっていて、私も熊本県には行った記憶がない。父と母は愛し合ったのだろう。父が亡くなると母は認知症になり、結局父が亡くなった事を理解できぬまま、2年後に急死した。父はかつて旧社会党に関わり、学生運動を支援していたらしい。熊本出身でそこまで社会のことに関心が強かった父が水俣病に無関心だったとは思えない。父と一緒に観たかった。「実録・連合赤軍」(若松孝二)を一緒に観たことが忘れられない。父は一言言った。「彼らは逃げたんだ」と。逃げ続けてきたのが戦後日本なのかもしれない。しかし闘わざるを得ない人達もいる。水俣にもそういう人達がいる。372分をかけて描く。
原一男監督と言えば、とかく「ゆきゆきて、神軍」が有名だが、奥崎謙三氏を徹底的に追い続けたあの映画とは違い、本作は主人公と言える人物が次々と出てくる。近年の日本映画で、これほどの人数の人間を描き切った映画を、劇映画でもドキュメンタリー映画でも観た記憶が無い。映画は進化し続ける。
原一男監督は「エンタテインメント・ドキュメンタリー」という言葉を使っているが、この映画には恋もアクションも存在する。生駒秀夫氏の初夜を巡る場面や坂本しのぶ氏の恋を語る場面はとてつもなく淡い。怒れる水俣の人達とコミュニケーションが成り立たない官僚達のやり取りは、失礼を承知でアクション性にあふれ過ぎている。
理不尽な差別を生きてきた生駒氏を観て、我が身を振り返る。私が小学生の頃、学校の周りを自転車でゆっくりと走る知的障がいの男性がいた。読売巨人軍の帽子を被っていたので子供達は「巨人帽」と呼んでいた。子供達は追いかけ回して笑っていた。私もその一人で、私も差別をしてきたのだ。人はどこかで誰かを傷つけていたりする。
以上です。簡単なレビューは観た当時に書いてます。
付記しますと、本当はですね、他の映画とこの映画を並べて評価すること自体に違和感すらあるんです。何というか、そこら辺に転がってる映画と背負ってる物が違い過ぎる気がするんです。「覚悟」が全然違うような気がしてならないんです。
評の中で「実録・連合赤軍」を出してますが、あの映画もそんな感じでした。あと、故大林宣彦が末期癌の治療しながら作った「花筐/HANAGATAMI」なんかも、他の映画と何か違うよなと思いました。
「水俣曼荼羅」、上記2作品よりもっと強烈でした。現時点で、私の今世紀最高の日本映画と言えるかも知れません。
私って色んな人に会うたびに映画のことを聞かれます。こないだも聞かれましたが、結局「水俣曼荼羅」の話しかしませんでした。観終わったら、3900円が安いもんだと思ってもらえると思います。
SNSでこの映画を語るのも最後かなと思って、長くなりました。最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。