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ドラマ「サンクチュアリ -聖域-」|不良・努力・勝利

サンクチュアリを観た.
時間をかけて作り込まれた肉体美はずっと観ていて飽きなかったし,不良の主人公が成長し,相撲に徐々に向き合っていく姿がとてつもなくかっこよかった.
角界というある意味狂気的な世界を肯定も否定もせず,だけれども,のめり込んでしまうだけの悪魔的な魅力があるということを表現することにフォーカスしており,観ている側も最初は引いていたはずなのにいつの間にか映像に飲み込まれているような気分が味わうことのできる素晴らしいドラマだった.

才能の塊の主人公

サンクチュアリの主人公である小瀬清は才能の塊である.荒削りでありながらも恵まれた肉体と頭の回転を生かした相撲の取り方は同じクラスの力士を圧倒しており,生意気な行動と裏腹に勝利を重ねていく.

これは,スポーツ系の作品としては珍しく,取り扱いが難しいキャラクターだと感じる.なぜなら,練習すればするほど強くなってしまい他の力士に対して無双してしまうからだ.そうするとストーリーとしては,猿桜より強い相手を倒すための相撲のテクニックの話や戦略の話に広がっていくことになる.これはこれで面白い相撲ドラマになるのだろうが,サンクチュアリは別の軸で展開する,それは小瀬清の精神的な成長と相撲に対する敬意が現れていく過程を映すということだ.

練習はサボるし,タバコは吸います

サンクチュアリ全体を通して言えることは,猿桜がすぐに真面目にならない,というのを徹底していることだ.第1話で同期の清水に説得されて相撲への熱意をあらわにしたかと思えば,次の話では普通にタバコ吸っているし,練習もサボる.第1話のアツい展開は何だったのかと思ってしまうぐらいに不真面目な猿桜が映される.

でも,これがある意味リアルなのだと思う.そんなに人はすぐには変わらないし,多少気持ちに熱が入る時があっても数日立ったらどこかへ消えてしまうような経験は誰しもあるだろう.何かを頑張ろうと思う熱意をキープすることは何よりも困難なことなのだ.

猿桜にとっての相撲

なぜ,熱意をキープすることが困難なのか.それは,猿桜がそこそこつよいということに加えて,相撲に対するモチベーションがお金稼ぎ唯一だからである.父親にもう一度寿司屋をやってほしいという想いから上京する猿桜にとって相撲はお金稼ぎの手段でしかない.

もちろんそれ自体は間違っていない.父親を助けるために自分の体一つで稼ぎに出ることはとってもカッコイイことだ.ただ裏を返せばお金さえ稼げれば別に相撲である必要はなく,デイトレーダーでも怪しい若い社長の付き添いでもなんでも構わないのだ.

相撲に対する敬意の顕在化

そんな猿桜の相撲に対する気持ちは,静内に敗退してから大きく変化する.自身のトラウマを乗り越えるため,もう一度土俵に上がるために懸命に努力を重ねる猿桜の姿は猿将部屋の熱気を高めていき,結束を強めていった.

その結果,猿桜の相撲に対する気持ちがそれまでと違い,楽しさというものが加わった.お金稼ぐために練習することから,楽しいから,仲間と一緒に高めあっていくその過程が楽しいから相撲に打ち込むという思考に変化していく.第7話にして初めて自ら努力し,その楽しさを覚えるのだ.そして,自然と相撲に対する敬意が顕在化し,礼が深くなるのだ.

もはやその時点で,静内との再戦の結果はあまり重要ではない.猿桜が心身ともに成長した過程を描ききった,という点においてしっかりとオチが付いているからだ.

ドラマとリフレイン

似たようなシーンを何度もリフレインさせて成長を少しずつ積み重ねながら描くのはドラマ特有の表現の一つと言えるだろう.映画の場合,成長した演出というのは初期のライバルとの対戦や,印象的なセリフなど,キメるための演出がたくさん入る事が多い.

ドラマの場合,物理的な尺が多い分,キャラのちょっとした振る舞いや,しぐさ,姿勢を何度も何度も似たシーンを使って描くことができる.それを誇張せず,観ている側に汲み取らせる構造になっているからこそ,観ている側は気づく楽しさをより一層かんじることができるし,読み取ろうとしているうちに,自然と画面の中の世界にのめり込んでいる.汲み取れなくても面白いし,汲み取れたらもっと面白いのだ.

まとめ

ストーリーの全体構造は友情努力勝利であり,ある意味鉄板とも言える.
ただし,通常の友情努力勝利は最初から努力する前提の場合が多い中で,この作品は友情努力勝利を初めて真正面から達成するその瞬間を物語の盛り上がりのピークに持ってきているのが最高だ.本当に面白かった~

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