とにかく書き続けるシリーズ④【要る毛と要らない毛】

こんばんは。
今日もかきます。
特に考えずに書きまくっている方が読まれてスキして頂いてるので、これ幸いとばかりに、ただ書き殴るシリーズが増加中です。

感じるままに言葉にする。
とにかく書き続ける。
あまり考えないで言葉を出し続ける。
そんな在り方で良いんでしょうか。
見ていただいて、スキして頂いた皆様ありがとう。
勇気を頂いております。

同じ流れでありつつも、
有益な事を垂れ流したい、
そんな気持ちでレッツゴー。

時間と文字数を測る試みも継続中。
このくらいの時間、
このくらいのペースで指を動かすと、
このくらいの長さになるよ、という
自分の為の計測です。

今回は【要る毛と要らない毛】

ムダ毛と呼んで殲滅を試みたり
増毛の為に散財したり
たかが毛されど毛。
罪深いのは毛なのか、我々なのか。

私は父から琉球の血を引き継いで、
よく言えば睫毛がくっきり
悪く言えばスネ毛豪毛。
眉毛の濃さも腕や脚のウプゲとは呼べないもじゃもじゃも、ついでにほんの少し色黒の肌も小学生の頃はからかわれる対象になった事がありました。

イジメなんていうような酷いものではありません。
仲のいいともだちとは、
「シャワーでユラユラーってすると毛並みも波々になるのー(笑)」
「なにそれー(笑)」
とかいって笑い合えるような世界でした。

我々のビューティースタンダードのせいで忌み嫌われて焼き払われたり、スパ・トリートメントされたり。
毛は毛でも、生えた土地ガチャで悲惨な人生を、、いや毛生?というべきなのか、、、送る哀れな毛たちがいる中でも、今回特に取り上げたいのは

#抜毛症

いや、抜け毛ではないです。
惜しまれながらも抜け落ち、残された宿主を深い悲しみに突き落とす、アレではございません。

うまれ育った土地柄は頭髪、眉毛・睫毛などエリート中のエリートである【要る毛】組。
それなのに宿主自身によって無残に引き抜かれてその一生を終えていく、信じられないほど酷い毛たちの一生についてご存知でしょうか。

毛権保護団体が聞いたら炎上するんではないでしょうか。
でも、この現象のさらに辛い部分は、責められるべき責任者がいない、という現実なのです。
確かに毛の宿主の手によって夜な夜な引き抜かれていくのが抜毛症ですが、ここで重要なのがこちら⇩

抜毛症(トリコチロマニア)に苦しむ人は
毛を抜きたくて
抜いているのではない、
むしろ止めたいのに
手を止められない

という信じがたいけどこれが真実なのであります。
むしろ、
・どうしてもやめられない、
・周りからの視線やコメントが辛い、恥ずかしいなどの二次的苦しみ
・理解ない身内の言葉でさらにエスカレート
…こんな現実があるのです。
哀れ、毛よ!
哀れ、宿主!!

わたしの個人的な経験を付け加えますと、
・抜き続けるせいで髪をつまむ指や、いつも抜く部分の頭皮に血がにじむ
・気づいたら山盛りなって落ちている髪の毛を慌てて隠す
・学校で抜いていることも、薄くなっている髪もからかわれる
・抜いているときに、やめようとしてもなにかに強制されているように抜き続けてしまう
こんな抜毛症の現実があるのです。

毛は抜き続けるとどうなるのか、
ここにも悲しみと矛盾に満ちた不条理なるドラマが隠されております。
さぁ、続けてレッツゴー。

【要らない毛】であるあの子達は
熱処理されたり、時には皮膚まで引き剥がす勢いでワックスでごっそり抜かれたり、散々な目にあっております。
それにもめげず、雨ニモマケズ、
必死でまた新しく生えてくる、
「ムダ毛」などと侮辱的な呼称をものともせず、静かに強く生き続ける健気な姿。
涙せずには語れません。

それに対して【要る毛】なのにむしり取られてしまったあの子達。
望まれて、それなのに不可抗力の不条理によって宿主の手によって何度も何度も抜かれて去っていったあの子達。
いくら【要らない】と言われてもしぶとく戻ってくるムダ毛組に比べて【要る毛】なのにもう戻ってこない。
世を捨ててしまったのでしょうか。
「どうせ私なんか、、」といじけてしまったのでしょうか。
もう謎多き抜毛症が身を潜め始めて10年以上経つのに、一向に戻ってこないあの子達。
【要る毛】として生まれたからこその繊細さとプライドを感じるのはわたしの勘違いでしょうか。


ここまで(なんの語り口だよ?www)な感じでひたすら書いて1700文字超え、時間にして40分。
それなりに辛い話題なので責めて面白おかしくやってみました。

これからも意外と体験談の少ない抜毛症の事、わたしの現状などを発信していきます。

乞うご期待。

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